流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー

 
 

 

人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……



友からのメール

僕の友達が事故で亡くなったんです。
本当に突然のことで、何が何だかわかんなくて
涙なんか出ませんでした。葬式にはクラスの
みんなや友達がたくさん来てました。

友達は遺影の中で笑ってました。
いつも僕に見せていてくれた笑顔です。
それを見てたら自然と涙が頬を伝っていました。
それが口まで流れてきて、しょっぱいなって思って、
それで自分が涙を流しているんだと気付いたんです。
僕はいたたまれなくなって葬式の会場を飛び出していました。

次の日、僕はパソコンのメールをチェックしました。
そこにはあの亡くなった友達からのメールが届いていました。
日付を確認すると事故の日でした。
僕は何だかドキドキして、メールを開きました。すると
「あさってに、いつも学校帰りで通る公園で待ってるから。
午後5時にね。遅れるなよ」と書いてありました。
何でわざわざメールで?と思いましたが、
何か不思議な気がしたような気分でした。

実はその日は僕の誕生日で、
親と出かけることになっていたのです。
車に乗って高速道路を使い、
隣の県に住むおじいちゃんの家に行くことになっていたのです。
僕はおじいちゃんに電話をし、今日は行けないと伝え、
親にも今日は用事があると言いました。
そしておじいちゃんの家に行くのは中止になったのです。

僕は友達からのメールの通り午後5時に公園に行きました。
もちろん友達は来ません。午後5時に鳴る、
公園のそばにある時計台の鐘を聞き、
僕は友達との思い出を振り返って家に帰りました。

そして家に帰ると親が血相を変えて僕に話し始めました。
「さっきニュースでやってたんだけど
今日通る予定だった高速道路で玉突き事故があったんだって。
予定通りに行ってたら私たちも事故に遭ってたわね」
僕が生まれた日に、僕が死ぬのを友達が救ってくれたんだ、
そう思えてきてあのメールは今でもパソコンに
保存してあります。

終わり




『日本の近寄ると危険な場所』



『恋人の死』

いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。
その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、
仕事もあったのに 毎日病室に訪れ付き添った。
結婚の約束もしていたんじゃないかな。
食べ物を、「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、
がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、
彼女がさすってあげたり。
そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、
従兄弟が死ぬなんてまったく想像つかなかった。

「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、
幸せな家庭築くんだろーな」なんて、見舞いにいくたび
幸せな想像しかできなかった。
普通にうらやましかった。
しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。
みるみるやせて、 目ばかりぎょろぎょろになって、
身内のわたしでも正視できなかった。

はやく終わってほしかった。人の命のもろさが怖かった。
でも彼女はずっとそばにいた。従兄弟の
やせ細った手を握って、抗がん剤の影響で、
ぼろぼろに禿げたあたまにかぶる毛糸の帽子を作ったり。
わたしは、怖くて怖くて病室にも入るのもいやで
病室に入っても、 彼女の後姿ばかり見ていた気がする。

従兄弟は、癌がよくなったらどこかへいこうとか、
あれ食べに行こうとか今度の携帯の最新機種を買いたいとか、
来ない日のことばかりしゃべった。
彼女は笑顔で、「絶対いこーね」
「わたしあれ食べたい」とか、いってた。
気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。

今、思い返せば、彼女はほかにどうすることも
できなかったんだと思った。
彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、
きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。
年末に、癌が全身にまわり、肺に転移。
従兄弟は最初の意識不明に陥った。

医師は、「癌を抑える薬がある。しかし、
一時的に抑える効果しかない。
苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったら
このまま死なせる」ときっぱり。
両親は、「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と
延命を望んだ。
横で、彼女はだまって、ふるえていた。

薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。
彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、
新薬は2人に時間をくれた。
「癌が治った」とはしゃいでいたけど、
一時的だというのは本人が何よりも知っていたと思う。
最後のときをすごす2人に、両親も親戚も
なにもいわず見守った。

春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。
あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、
彼女と従兄弟の母親が押さえつけ、抱きしめた。
「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」
彼女は、死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、
手足をさすった。

医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、
彼女は従兄弟を抱いた。
何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて
「人を愛する」ってこういうことかと思った。
彼女は、親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。
毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。
従兄弟が死んで数ヶ月あと、
勤めていた会社をやめたことを聞いた。

数年たって、墓参りにもこなくなった。
最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。
寂しく思った反面、ほっとした。
幸せになってほしいと思う。




時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる