流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2 昨日という日は
歴史、
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明日という日は
ミステリー 

 

子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり 
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『愛の絆』

オンタリオ州セントトーマスで、ごくごく平凡に
暮らしてきたベーカー夫妻。
妻のドロシーさんは、夫グレンさんより
6つ年上の姉さん女房だった。
妻がどこかへ行くときには必ず夫が付いて来る―
二人はどこにいくにも、いつも一緒だった。
ダンスホールで出会ったときから、……

グレンさんは、ダンスホールで偶然見かけた
ドロシーさんに一目惚れしてしまった。
ダンスに誘ったが最初は断られた。
でも、彼はあきらめることなく、ドロシーさんの後を追った。
根負けしたドロシーさんは、結局、ダンスの誘いに応じた。
これが二人の馴れ初めだった。

そして……晴れて夫婦となった。
夫妻は、グレンさんのホームタウンである
セントトーマスに居を構えた。
ドロシーさんは、いくつかの会社で事務員として働いた。
夫グレンさんは、30年にわたってデパートの
家具売り場で働いた。

二人の間に生まれたのは、娘のリンさんただ一人である。
一人娘のリンさんが成人した後、
旅行好きなドロシーさんが海外旅行に出かけるときも、
必ずグレンさんが嬉しそうに付いて行った。
そうして二人でいろんなところを旅してきた。

定年後の夫グレンさんは、家の中でいつも
ドロシーさんの傍にいたがった。
ドロシーさんが付いて来てくれないと、
外出したがらない。
しかし、ドロシーさんは老いと共に持病の
肺疾患が悪化していった。
今年の11月5日、ドロシーさんは体調を崩して
セントトーマス病院に入院した。
彼女の肺はもはや治療可能な状態ではなく、
緩和ケアを受けることになった。

家に残された夫グレンさんは、
その2日後に体の不調を訴えて同じく
セントトーマス病院に運ばれるが、翌日に退院する。
だが、体調が戻らず、11月14日に
再入院することとなった。
緩和ケア病棟に入院したドロシーさんは、
ますます容態が悪くなり昏睡状態に陥っていた。

別病棟に入院していたグレンさんの方も、
意識こそあったが衰弱が進んでいた。
そして、12月1日、いよいよドロシーさんの命の炎が
消える時が近づいていることを悟った病院スタッフたちが
グレンさんを ベッドごとドロシーさんの病室に
運び込んだ。そして、意識レベルが下がりつつある
夫グレンさんのベッドを昏睡状態のドロシーさんの
ベッドの横にぴったりと寄せて配置した。

グレンさんは薄れゆく意識の中、ドロシーさんの手に
自分の手を伸ばし、手を繋いだ。
午後7時、ドロシーさんが息を引き取った。
そのとき、夫グレンさんも既に昏睡に落ちていた。
ナースたちは、亡くなった妻と昏睡状態の夫の手を
すぐにほどこうとはしなかった。
妻の臨終後2時間にわたって、
夫婦の手は繋がれたままだった。

2時間後、ドロシーさんの遺体を安置所に移すために
ナースたちが夫婦の手をほどいた。
手がほどかれた直後、グレンさんの容態が
みるみる急変した。30分後、グレンさんは、
まさしくドロシーさんの後を追うように息を引き取った。
安らかな死に顔だった。

一人娘のリンさんは言う。
「両親は互いに尽くし合っていて、深く愛し合っていました。
死さえも二人を分かつことはなかったということでしょう」
ドロシーさんの緩和ケアを担当していた医師の1人は、
グレンさんがドロシーさんの後を追うように
息を引き取ったことについて、こんなふうなことを
話している。

「旦那さんは奥さんといつまでも一緒にいたかった。
その強い思いが二人を天に導いた。医学的に
あれこれ説明するよりも、
そう考えて二人の冥福を祈りたいと思います」

リンさんは、衰弱していく父を死に瀕した母の病室に
運んでくれたナースたちの思いやりに
心から感謝している。
病院スタッフたちにとっても、二人の最後を
見届けたことは涙なしには語れない体験となった。

緩和ケア担当のシャロン医師は、こう話している。
「その場にいた皆の心に熱いものがこみ上げてきました。
愛の絆・・・それがあるからこそ、
私たちはこうして日夜この仕事に取り組んでいるのです」

二人の遺体は、セントトーマスの墓地に
仲良く並んで埋葬されることになっている。
リンさんは言う。
「父は、どんなときも母と一緒にいたがっていました。
純粋な愛、真の愛の絆で二人は結ばれていました。
こうして、両親は永遠に二人一緒にいることが
できるのです。
そう考えると、悲しいことではない気がします……

Author:@胸いっぱい

終わり




感動の実話本
「がんばれば、幸せになれるよ」

 
 

『脳天気な嫁』

仕事がうまくいかなくて悩んでたとき。
上司が俺のいない場で「彼にはこの仕事は
無理だったのかも知れない」と発言したと聞いて、
今まで自分なりにがんばってやってきたつもりだったのが
すべて否定されたような気がした。

何もかもイヤになって家に帰ったとき、
嫁に向かって「会社辞めようかな」とつぶやいた。
そしたら「ほんと?じゃ、旅行に行けるね!
どこがいい?」と脳天気な笑顔。
その笑顔を見たら急に力が抜けて、
俺も笑ってしまった。

で、もう一度がんばってみるか、と
思えるようになったし、人から指摘されても
直視するのを避けていた自分の欠点とも
向き合えるようになった。

まだその仕事の問題は多少残っているけど、
なんとかがんばってやっていく。
ああ、この女と結婚してよかった、と
台所で嫁が歌ってる鼻歌聞きながらしみじみ思った。

Author:名無しさん


パラオという国』

俺が中学生の頃、日本史担当の教師が、
「日本は戦争責任が~」と授業で 述べた。
その女性教師は、普段から授業で
そんな事を言ってるのは結構 知られていた。
中にはそうじゃないヤツも居たんだろうけど、
多くの生徒は 彼女に感化されていたと思う。

うちのクラスでもそんな話をしてたんだけど、
その時1人の男子生徒が 彼女の話を中断させた。
彼は某国と日本のクォーターだった。
普段からあんまり 喋る方じゃなかったんだけど、
その時は全然違ってた。

生徒「俺のじいちゃんは、
日本の兵隊に優しくしてもらったって言ってました。
皆礼儀正しく、差別もしない人達だったって」
教師「でも、酷いことも…」
生徒「後から来た、アメリカの方が酷かったって
言ってました」
教師「貴方のような考えの人もいるかも知れないけど、
それはごく一部で…」
生徒「ごく一部じゃ駄目なんですか?」
教師「そういうことじゃなくて…」
生徒「俺のじいちゃんの国は凄く小さいです。
他の国に比べれば全然重要じゃないかも知れないけど、
日本人は、そんな国も大事にしてくれたって
言ってました。
 
戦争の時、仲良くした日本兵は
みんな笑って出掛けて行って、
誰も帰ってこなかったと 言ってました。
国旗も日本を真似ました。
みんな、日本を尊敬しています」

このとき初めて、パラオという国を知った。
それと同時に、遠い南洋の島を守って果てた、
多くの日本兵がいたことも…

Author:名無しさん



安倍律子 「愛のきずな」




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる