流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

歴史・履歴への許可証

pass into history
歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
明日という日はミステリー、
今日という日はプレゼント(贈り物)


金ぴかのやかん




綾小路きみまろ、(中高年のアイドル )

鹿児島から「おやじにもらった1万円」だけを手に、
高校卒業後に上京。以来
「潜伏期間30年」の間に蓄えた、
中高年を罵(ば)倒する毒舌漫談が、
「ジジイ、ババアの養殖場」と言う
高齢化社会で、突如ブレークした。
2002年9月に発売のCD「爆笑スーパーライブ集
中高年に愛をこめて・・・」は15万枚を突破。
うわさがうわさを呼んで、ステージには
「オバサマ族」が殺到する。
「黄色」ではない「茶色い」声援が
今日も、日本列島で飛び交っている。

<年金ギャル>
「ようこそおいでくださいました、
年金ギャルの皆さん。
目を閉じたくなるような美しい方ばかりです。
まだまだ老け込むには早すぎます。
でも連れ込むには遅過ぎます」。
のっけから毒舌が、さく裂する。
大笑いし、立ち上がってまで拍手しているのは、
やり玉に挙げられているはずの
「年金ギャル」たち。
きみまろは、これでもかと、
ギャグの爆弾を落とし続ける。
「いま、日本列島は、ジジイ、ババアの
養殖場といわれております。
とくに、このかいわいは、
ジジイ、ババアの産卵場といわれております」。
「中高年よ、いつまでもあると思うなツヤと張り。
中高年のファンデーション、
落ち着く先はシワの中。
久々のお化粧、ダンナも後ずさり」。
罵倒されているはずなのに、笑いは止まらない。
「グサグサが、すごく気持ちいいんです」と
53歳の女性。中高年を笑い、中高年を絶倒させ、
ライブ盤のCDとテープは、売り上げが加速。
本人も驚きを隠せない。  
きみまろ 
まさか、こうなるとは思わなかったので、
戸惑ってます。どういうことなのかなって。
しかし、舞台を下りても、毒舌は止まらない。
きみまろ ネズミ講みたいにして、
広がっていってるんですよ。
新宿のCD店では1位。
わたしの下に浜崎あゆみがいるんだもん。
銀座では4位。下がポール・マッカートニー
中森明菜だもん。自分の芸を認めてもらって、
感謝しています。
芸人人生の集大成みたいなもんですから。
「潜伏期間30年」の間に、
あらゆる舞台を踏んできた。
玉置宏にあこがれ、司会者を夢見て上京した。
「皆さん、お金もないのに、
ようこそおいでくださいました。
よく、こんな店にきましたね」などと
客をののしっていたキャバレー時代には、
ドス黒いヤジとともに、おしぼりに白菜のおしんこ
灰皿までが飛んできたという。
一転、森進一を8年、
小林幸子4年半の専属司会で大舞台を経験し、
95年からは足かけ6年、
伍代夏子の歌謡ショーで
「20分の漫談コーナー」を受け持った。
きみまろ このころですね。
今の中高年漫談が確立したのは。  
<テープ配布>
試しにと録音したテープに反響があり、
講演の依頼も来た。
自分1人の漫談で勝負してみよう。
50歳にして、立った。
きみまろ 飽和状態だったのね。
1回、世に出ようと。世に出る入り口だったのね。
50になって、うらさみしい芸人にはなりたくない、
っていうのがありましたから。
今ダメだったら、ずっとダメ。そんな覚悟があったね。
まずは、寄席の高座に打って出た。
2001年の4月からは、高速道路のサービスエリアで、
観光バスを相手に、漫談のテープを無料で配り始めた。
きみまろ 中高年みんなが一緒に聞けるとこは、
どこかって考えて。あっバスだってひらめいてね。
かけてくれると信じて、とにかく配ったんです。
バスが来るたびに走ってね。
イヤがられながらも、配り続けて半年。
初めての経験をする。
きみまろ 「きみまろさん?」て聞かれたから
「ハイっ」て言ったら、バスガイドが、
サインくださいって言うんだよ。
何でオレが、サインしなきゃって思ったんだよね。
そしたらね、声は聞いてるんだけど、
この人に会ってみたいっていう、
バスガイドの出会い系サイトみたいに
なっちゃってるわけね。。
手応えを感じたころ、思わぬところから風が吹いた。
米国の同時多発テロ事件。
海外に出かけていた中高年たちが、
国内へと行き先を変えたのだった。
きみまろ すごかったんですよ。
バスの数が。グーッと増えましたね。
それで、だんだん盛り上がってきたね。
紅茶キノコみたいに。
ばい菌みたいに広がっていったんですよ。 
<初のテレビ>
配った総数は3000本を超えていた。
うわさを聞きつけたテイチクエンタテインメントから
CD化の話が持ち込まれ、
発売と同時にくすぶっていた火が燃え上がった。
「声もかけられなかった」メディアの取材が殺到。
ラジオに初めて出演し、
ワイドショーからは相次いで密着される。
「ほとんど休み」だったスケジュールが一気に埋まり、
初めてマネジャーがついた。
2002年11月には「笑点」(日本テレビ系)で、
テレビ初出演を果たし、
反響の大きさに1月5日、2度目の出演。
「30年の潜伏期間」から、
あっという間に抜け出していた。
きみまろ 
同じことをやってきたんだけど、
5年前には、はまらなくて、
今のこの混とんとした暗い世相に、
時代が、わたしを受け入れてくれた。
この時代でなかったら
売れなかっただろう、と思いますね。
それでも騒ぎ立てる周囲に、
浮かれることも、おごることもない。
きみまろ 
りんごだって熟れたら落ちる。
芸能人だって、売れたら売れなくなるんだから。
でも、わたしには、今までの
下積みの芸というものがあるから、
どんなにマスメディアに捨てられようと、
何にも怖くないんですよ。
もともと貧乏だったんだから。
もともと1万円もらって、
鹿児島から出てきたんだから、
また1から頑張ればいいじゃないですか。
高齢化社会に咲いた「中高年のアイドル」は、
ちょっと太めの腹をすえて、
怖さ知らずの毒舌を、発射し続ける。

◆綾小路(あやのこうじ)きみまろ 
本名・假屋美尋(かりや・よしひろ)
1950年(昭25)12月9日、
鹿児島県松山町生まれ。
県立末吉高卒業後、
「日本一の漫談家」を目指し上京。
拓大在学中にキャバレーの
司会をしたことがきっかけで芸能界に入る。
歌謡ショーの司会を経て、
2001年1月、落語家・鈴々舎馬風
(れいれいしゃ・ばふう)の一門に入り、
寄席の高座に上がり始めた。
柔道初段。マッサージ師の免許を持つ。
処女作「有効期限の過ぎた亭主・
賞味期限の切れた女房」
(PHP研究所)を出版。

西部日刊スポーツ新聞社
「九州育ちの有名人インタビュー」より


ネズミ経(ねずみきょう)


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴にとられるから……。



幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない






P R
きれいなお風呂・宣言 

f:id:campbll:20150116144932j:plain 
カビ汚れの無い、お風呂
バスタブ・タイル目地の黒カビ !!
DIYでさようなら~
バスルームの、
簡単・カビ防止コート剤!! 


カビシャット