流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


『メイク・ア・ウィッシュ』
難病に苦しむ子供達の夢を実現する
ボランティア団体です。
この活動が始まったのはアメリカで1980年のことです。
クリスという、7歳の男の子がいた。
警察官になるのが夢だったが、
白血病にかかって、学校にも行けなくなった。
クリスの夢を聞いた地元の警察官たちは、
クリスのために、ほんものそっくりの小さな制服と
ヘルメットとバッジを用意した。
そして、クリスを名誉警察官に任命した。
さっそうと制服に身を包んだクリスは、
規則にしたがって宣誓し、駐車違反の取締りをした。
ヘリコプターに乗って、空からの監視もした。
ミニチュアのバイクもプレゼントしてもらって、
大喜びだった。
それからわずか五日後、クリスは亡くなった。  
警察は、一日だけでも仲間だったクリスの死を悲しんで、
名誉警察官のための葬儀をおこなった。
クリスの夢の実現にかかわった人たちは、考えた。
ほかにも、夢をもちながら、
病気と闘っている子供たちが大勢いる。
その子たちの夢もかなえてあげたい。
クリスが大喜びしたように、その子たちも、
とびっきりの笑顔で生きることの幸せを
感じてくれるにちがいない。
こうしてメイク・ア・ウィッシュの運動が始まった。
今ではメイク・ア・ウィッシュの事務所は
アメリカの80ヶ所を始め世界中に支部がある。

日本では1992年に発足し、
現在まで200人の子供たちの夢をかなえた。
メイク・ア・ウィッシュ日本事務所が行った活動の一つ
「太郎くんは背番号1 」・・・  
太郎君は、もうすぐ一年生というときに、
神経芽細胞腫という病気で入院した。  
太郎君は病院内にある院内学級
「がんばるーむ」に毎朝誰よりも早く出かける。  
気分の悪い日だって腕に針を刺したまま、
注射のビンをさげたスタンドを押していく。  
具合の悪いときだって、
酸素吸入の機械を引っぱっていく。
太郎君のお母さんは太郎君になにか
ワクワクすることをさせてあげたいと考えた。  
お母さんがメイク・ア・ウィッシュに連絡すると、
おばさんたちが太郎くんの病室にやってきた。
「太郎くんの夢は、なーに?、
太郎君の夢がかなうお手伝いをするから教えて」  
太郎くんはずっと前からこっそり思っていたことを言ってみた。
太郎くんはダイエーホークスの秋山選手のファンだった。  
「ぼくねーぼく、ダイエーの選手と野球がしたい」
お母さんは予想もしていなかった言葉にビックリ。
だって、病気の太郎くんは、
みんなのように運動ができない。
メイク・ア・ウィッシュのおばさんたちは、
すぐにダイエーホークスに連絡した。  
「ゲーム開始の始球式で太郎くんに投げてもらいましょう。
その前に秋山選手とキャッチボールをするのはどうでしょう」
話は決まった。
始球式まで1ヵ月ちょっと。
病院から許可が出て家に帰れたときは、
お父さんとキャッチボールの練習をした。
でも、足が痛い。病気がくやしくて涙がでそうになる。
ちょっぴり不安になってきた。
院内学級「がんばるーむ」の仲間も励ましてくれた。
始球式の日がきた。車でドーム球場のそばの
シーホークホテルに向う。
ホテルの部屋についたら大きなプレゼントが
太郎くんを待っていた。
ダイエーホークスのユニホームだ。
背番号は1番。王監督のサイン入りのバットを貰った。
城島選手のサイン入りのボールも貰った。
でも、始球式までの1時間太郎くんはぐったりしていた。
「時間ですよ」係りの人に案内されてマウンドに出る。
下から見上げるドーム球場はとてつもなく大きい。
太郎くんと秋山選手のキャッチボールが始まった。
足の痛みなんかウソみたいに消えた。
秋山選手とツーショットの記念写真も撮った。
「ピッチャー富永太郎くん、背番号1」
場内アナウンスが、太郎くんの名前を高らかにつげる。
「がんばれよ」秋山選手の声がする。
「がんばれよ」「がんばれよ」つぎつぎに
ダイエーの選手が声をかけてくれる。
まるで太郎くんがチームの一員になったみたいに。
マウンドに立ってキャッチャー城島選手のミットをじっと見つめる。
大きく振りかぶって投げた。
まっすぐ伸びたボールをキャッチャーの城島選手が拾った。
試合開始のアナウンスとワーという歓声が
マウンドを下りる太郎くんの背中で聞こえる。
やったぞ。体の力がいっぺんに抜けた。
夢がかなった、夢を見事にかなえた太郎くんの姿は
テレビで放映されインタビューも受けた。

騒人社 「夢はいのち」「太郎くんの背番号1」から


私、子供産めないよ。




南蔵院住職・林覚乗
やさしさ、思いやりとは、……
勇気を持った行動が二つの命を救いました。

夫に蒸発された主婦が幼い子を道連れに、
自殺を考えていたところ、
見知らぬ人からから思わぬ励ましを受けて
立ち直ったという話が新聞に載っていました。

主婦Aさん(29)の夫は機械のリース会社に
勤務するごく普通のサラリーマンだったのですが、
あるとき商品相場に手を出し
会社や金融業者から借りたお金が二千万円。
これに、家のローンや勝負ごとの負けも加わって
ついにマイカーごと蒸発。
その日以来、A子さんは毎日夕方になると
三歳の長女を連れて自宅近くの陸橋へ
出掛けるのが日課になりました。
毎日、毎日、今日こそ夫が
帰ってくるのではないかという期待を胸に
陸橋の上にたたずむ日が続きました。
しかし一ヶ月が過ぎても
夫は帰らず連絡すらもありません。

借金の催促は厳しく、
帰るあてのない夫を待つことに
疲れ果てたA子さんは、
何度も死ぬことを考えたと言います。
そんな四月の雨の日、
一台の車が陸橋の下で止まり、
A子さんと同じ年格好の女性が降りてきて、
声をかけました。
「間違ったらごめんなさい。
いつもそこにいるけど、
身投げなんかしないでね」
この女性は日頃、陸橋の下を通り
二人を見ていたそうです。
A子さんは、思わず心の中を
見すかされたような気持ちになりました。
A子さんが返す言葉もないままでいると、
その女性は小銭入れを渡したそうです。
中には小さく折った一万円札が二枚と
メモ用紙が入っていました。
(いつも気になって、あなたのことを見ていました。
人生って死んで何もかも終わりだと思うけど、
お子さんだけは道連れにしないでね)と
記されています。さらにもう一つ、
小さなカエルのマスコットが入っていました。

A子さんには、このカエルが
「帰る」という言葉に結びつき
何かの暗示のように思われ、
その場で娘を抱きしめながら
あふれる涙をおさえることが出来なかったそうです。
「勇気がわいてきて、
立ち直れそうな気持ちになりました。
その後、北陸の旧家のA子さんの実家では
夫と縁を切るという条件で
お金の始末をつけてくれることになり、
A子さんも里帰りして出直すことになりました。
立ち直ったA子さんはその姿を見てもらおうと
何度か陸橋に出かけたのですが、
なぜかあの女性の車は通らなかったそうです。

A子さんが命の恩人を探している、
ということで新聞の記事は
締めくくられています。
苦しんでいる人を助けたい、
役に立ちたいという思いは
だれにもあるでしょう。
だが、なかなか実行出来ないものです。
この話では車の女性が一歩踏み込み、
勇気を持って一声かけ、
ちょっとした心づかいを見せたことが
二つの命を救いました。



縁は異なもの不思議なもの
漏らしちゃったあの子





時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


100回たたくと壊れる壁を
99回であきらめるな







P R
”車をきれいに”!!

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 特 長
塗装表面に塗布するだけで、
極薄いガラス皮膜を形成します。 
汚れが内部まで浸透しない為、
お手入れがラクラク

1滴の奇蹟