流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mituo31_2


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



妻の愛が詰まった時計

先月、俺の誕生日があった。
毎年誕生日には妻がごちそうを作り、
ケーキを焼いてくれる。
特に今年は、幼稚園に入ったばかりの息子からは
「パパ」というタイトルの似顔絵、
片言を喋れるようになったばかりの娘からは
「パパ、チュキ」という言葉とチュウをもらって、
とても嬉しかった。
そのささやかなパーティーのあと、
寝ようとしてベッドにいくと、
サイドテーブルに小さな包みが置いてあった。

あけてみると、俺が前から欲しいと思っていた
フランクミュラー(時計)が入っていた。
こんな高価なものを・・・家計は大丈夫なのか。
妻に聞くと、にこにこしながら、
家計からは一切出していないから安心して。
私のお金で買ったのよ、と言う。

妻は子供ができてからずっと専業主婦だし、
家を買うとき妻名義の貯金もほとんど使ってしまったから、
妻個人のお金でこんな高いものを買えるはずがない。
そのとき俺の脳裏に、数日前の妻の姿が浮かんだ。

独身の頃から大事にしてきた着物を、
何故か突然取り出して眺めていた妻。
いとおしそうに一枚一枚触れながら、
思い出話をしていた妻。
着物用のたんすを開けると、予想したとおり、
それらが何枚もなくなっていた。

妻が祖母から受け継いだという、大切な着物まで・・・
もう着ないから処分しただけよ、
あなたはいつも私にプレゼントをくれるけど
私はいつもケーキくらいしか作ってあげられなかったから。

あなたのお金を使わずに、私自身のお金で
プレゼントしたかったの。あなたへの感謝は、
こんなものじゃ表しきれないくらいだけど・・・。
妻はそう言った。

俺はケーキだけで充分だったのに。
大事な思い出を売ってまで、
プレゼントなんてしてくれなくてもよかったのに。
でも、でもありがとう。とても嬉しいよ。
俺は泣いた。泣きながら妻を抱きしめた。

あれから毎日、妻のくれた時計をはめて
会社に行っている。
妻の愛が詰まったこの時計を見ると、
どんどんやる気がわいてくる。
これからも妻と子供のためにがんばっていこうと思う。




俺の泣く場所





タイム・ショック
小学生の頃に目撃した、
未だに、おそらく一生忘れられない
両親のセ◎クスの話です・・・。
20年くらい経った今でも、
昨日のようのことに思い出します。

少学5年の夏休みが終わりの頃でした。
いつものように飯を食って風呂に入って
一旦寝たんですが、なんか夜中1時頃になっても
寝つけませんでした。で、
何か食おうかなと思いつき、
1階の居間に行くことにしました。
階段を降りかけたところで、
両親の寝室のドアが5センチくらい開いていて、
何やら騒がしい(?)声が聞こえました。

俺は、既に何回も、声と気配を感じたり
目撃していたため、ある意味(?)
慣れていました。(笑)
時には、部屋に帰って
オ◎ーニのおかずにしていたので。(笑)

だからその時も、
「あ、またヤってるのかな。
でもドアしめろよな~ !」と、
半分ムカツキながらも、いつものように
スケベ心がムクムクわいてきたので、
抜き足差し足でドアの隙間に近寄り、
息を潜めて、中のようすをうかがいました。
この日は、月の光がとても明るくて、
部屋の中はわりと鮮明に見えました。

ベッドの上で、パジャマ姿の父が、
あお向けに寝ている母に
覆い被さるようにしていました。
セ◎クスする前かした後かはわかりませんが、
抱き合っていました。
何故か母はすすり泣いていました。

そんな母を父は抱き、キスしたり頭を撫でながら、
「大丈夫や。何も、心配すんな。
○○(俺)も○○(妹)も、ええ子やから。」
「俺がついとるから、何も心配すんな。
大丈夫、大丈夫。愛してるから。待っとるから・・」
「心配すんな○○(母の名前)愛しとる!
俺がついとるから!」
などと、大きな声で語りかけていました。

やたらと「大丈夫」とか「心配すんな」を
繰り返す父に、俺は何か、
いつもと違う雰囲気を感じていました。
なんか、切羽詰った雰囲気でした。

その後、母が半分叫ぶように、
「○ちゃん(父の名前)、私怖い・・!
嫌や~。お願い、ずっと抱いてて!怖い!」と
言いました。

そしたら父が、「アホ!
おまえがそんな弱気でどうする!
絶対戻ってこような、大丈夫やから!」と
叫ぶように言い、
なんか、父まで泣き声ぽくなってきて、
二人で抱き合って大泣きしはじめました。
俺は唖然としましたが、
目が離せなくてそこから動きませんでした。

しばらくしたら、母の泣き声が
なんか喘ぎ声ぽくなってきて、
フッと見ると、いつの間にかパジャマを脱いだ
両親が営んでいました。

父は何度も母の名前を呼び、
今まで見た事もないような優しいしぐさと声で、
母を愛撫していました。
母は喘いでいるだけでなく、
やっぱり泣きつづけていました。

「絶対治るから。絶対良くなるから。
俺がついてるから! がんばって治そうな。
正月になったら、また○(俺)と○(妹)とお前で、
旅行行こうな~!なぁ!」と、父が母に語っていました。

その時になって、俺は母が
何か病気かケガをしていて、
ちょっとヤバイ事になってるのだということを、
初めて知りました。
母ちゃんヤバイんか? どんな病気なんや?
何なんだ一体!!と、激しく動転しましたが、
俺は何故か一歩も動けず、
声も出せないまま、両親をそのまま見ていました。

そうこうしているうちに、
母がいつのまにか父の上に乗り、
腰を動かし始めました。
ふとんがほとんど剥がれていて、
揺れるオ◎パイが月の光で丸見えでした。

母は泣いているようにも
笑っているようにも見えました。
「○ちゃん(父)と結婚して、
私とっても幸せや・・。」みたいな事を、
母は言いました。
何故かその言葉で、
俺は、勃起しながら泣いてしまいました。

その後、どのくらいその場にいたか
覚えてませんが、
気付いたら俺は自分の布団で泣いてました。
その夜は、結局一睡もせずに
終わってしまいました。


その翌日、ばあちゃんが家にきました。
母は、「お母さんしばらく病院いくから、
ばあちゃんにご飯つくってもろてね。」
みたいな事を、普通に明るく言い、
病院に行きました。

俺は、頭が真っ白になりました。
妹は全然わからないみたいで、
「いってらっしゃーい!」と元気に送り出しました。

母は、そのまま入院し、11月に亡くなりました。
末期の膵臓ガンでした。38歳でした。
父は、男手ひとつで俺と妹を育てあげ、
妹を嫁に出した4年前、母のところに行きました。

俺は今、嫁さんと一緒にこの家に住んでます。
心なしか、両親の寝室
(今はほとんど物置(?)に行くと、
嫁さんとケンカしていても、
優しい気持ちになり、
すぐに仲直りできる感じがします。




田舎もん





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから。


時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる












P R
きれいなお風呂・宣言

お風呂物語