流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Author:紀之沢直

kensin 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期という動乱の時代に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
そこから始まる彼の活躍…
国士無双」「背水の陣」「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。 

 
 
漢の韓信-50 
巴蜀の鎮撫を丞相の蕭何にまかせ、
劉邦はじめとする漢軍の面々はそろって
北進を開始した。
韓信はこれに合わせて、大々的に
桟道の修復を開始した。
桟道を直しながら進軍するものと
敵に見せかけるためである。
しかし一方で韓信は別働隊を編成し、
ひそかに山脈を大きく迂回する古道を使って
関中への進路をとらせた。

この古道を使えば、行く手を遮る川を
船で渡らねばならない。が、部隊が
一度に渡りきれるほど船の数はない。
必然的に渡河には船の往復を必要とし、
気が遠くなるほどの時間がかかった。
桟道の修復も一朝一夕に完成するものではなく、
韓信は兵を督励し、時には自ら作業を手伝いもした。

どちらも日進月歩的な進行状況ではあったが、
悲観すべきものではなかった。
明確な目的意識を持ち、韓信の表情から
鬱屈した悩める若者の陰が取り除かれていったのは、
このころからである。
時間がかかることはかねてから覚悟していたことなので、
どうということはない。
古道を行く別働隊の進軍速度に合わせて、
桟道の修復もせいぜい時間をかけて行えばよいのだ。
関中の敵が桟道の完成に合わせて
迎撃態勢を整える間に、
予想しない方角から降って湧いたように
別働隊が関中に流れ込む、それが理想である。

そのために少数の先遣隊を古道から送り、
関中の内応者を募らせたのは、
韓信の芸の細かさであった。
内応者を募ることはそう難しいことではなかった。
章邯を始めとする関中の王たちは
民衆の支持を失っており、
声をかければ民衆はおろか兵卒でも漢軍に味方をした。
たとえ迷う者がいたとしても、
多少褒美を上乗せすれば
意を決しない者はなかったのである。

かくして韓信は作戦に自信を持ち、
みせかけの桟道の修復作業にも
力が入る、という具合であった。
しかし、それを見た士卒の中には、
風格が足りないと感じた者も多い。
身分の高い者が卑しき作業に努力することを、
素直に受け入れないのであった。
この者たちは、韓信の若さに不安を持ち、
頼りなさを感じているから
そういう受け止め方をしたのである。

「将軍は努力家であられますな。
しかし、ここで体力を使い果たすと、
関中に入ってからがきつくなりますぞ」と、
声をかけてきた者がいる。老人であった。
こけた頬、白髪まじりの長い顎髭、
しみの多い肌……韓信にはそれが栽荘先生の
晩年の姿のように見えた。

「先生!……いや、人違いであろう。
老人、名はなんと言いますか」
その老人は優雅な微笑を作り、
緩やかな所作で受け答えをした。
「わしの名は、酈食其(れきいき)という。
おもに使者の役目を仰せつかって、
この軍にいさせてもらっている。……

ところで先生とは誰のことじゃ?」
韓信にはどうにも説明できない。
「いえ、昔お世話になった先生に
あなたがとてもよく似ていたものですから……」
「ほう、なるほど。ところで、わしも先生じゃ。
人はわしのことを酈生(れきせい)と呼ぶ。
なぜわしが先生と呼ばれるかというと、
いつも身なりに気をつけているからだ。
そこから生まれる気品のおかげで、
みながわしを敬うのだ」

なんという自信過剰な老いぼれであろう、と
韓信は思わないではなかったが、
この時代、老人にたてつくことは「孝」の概念上、
許されない。さらに、注意してみれば、
その老人はしみだらけの顔に似合わず、
不思議と調和された気品が確かにあった。
これを受けて韓信は、
この老人は儒者であるに違いない、と結論づけた。

「先生は、孔子の徒であられますか」
「いかにも。わしは儒者である。
儒者は日ごろ冠の位置まで注意深く直し、
礼のない言動を嫌う。
わしはこの軍を通じて孔子の教えを
天下に広めるのが最終目標よ」
儒家がどういうものか、
韓信は詳しく知っていたわけではない。
しかし、この時代の通念として、
儒家というものは王者に仕えるための
礼儀作法を教える学問だということだけは知っていた。

王者は彼らに行儀よくかしずかれることにより、
より王者としての風格を増す。
人によってはおべっか使いの学問だと
批判する者もあった。
「わが漢王は、あまり礼儀作法に
通じたお方ではありませんね。
儒者嫌いだという話も聞いたことがあります」
酈生は、劉邦の話を陰ですることがいかにも
楽しそうに笑った。
「それよ。わしが初めて漢王に相見えたときは、
王は両足をたらいにつけ、小娘に足を洗わせておった。

失礼千万な話じゃ。また、いろいろな噂も
それ以前に聞いておった。
漢王は儒者を見ると、その冠をむしり取って、
その中に小便をする、などと……。
しかし、漢王はそれ以上のことはせぬ。
ひところは儒者であること自体が
罪とされる時代があった。
将軍の若さでは知らないかもしれんが……
穴に埋められないだけましと思うしかない。
それに、漢王は儒者であろうとなかろうと、
聞くべき意見は分け隔てなく聞いてくださる。
やはり、他の者よりまし、と思うべきだろう」

酈生は平気で劉邦の陰口を叩き、
批評までしてのけた。
漢軍の自由な気風がそうさせたのか、
単に酈生が変わり者だったのかは
韓信にはよくわからない。
おそらくその両方だろうと、彼は思うことにした。

「先生には関中入りしたのち、
民衆に漢に味方するよう説いて回っていただきます。
よろしいか」酈生はやはり優雅に笑って答えた。
「それは構わん。それはそうと、将軍たる者、
土木作業などに根詰めて従事するものではない。
懸命なのはわかるが、やりすぎると
士卒たちに軽んじられるもとになるからのう。
もし将軍が望めば、みんなの前で
わしが将軍にかしずいてみせるぞ。
そうすればみなの将軍を見る目が
変わってくるだろうて」

「いえ……それはご免こうむります。
想像するだけで尻が痒くなってきそうだ」
これを聞いて酈生は高笑いし、去っていった。
高らかに笑っても下品な印象を残さないのは、
高名な儒者のなせる業だろうか。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、 花に例えた旧い歌
今さら聞いても、歌っても、
何処に置いても、飾っても
歌も花も、枯れてゆく....
人生、絵模様、万華鏡...


山口蘭子/愛のタンゴ


山口蘭子;山口・山口市生まれ。
早稲田大学仏文科でシャンソンに出会った。
作曲しようと思ったが指が短く、
ギターを弾くのに限界を感じた彼女は、
卒業と同時に、歌手の道に。
シャンソン歌手・芦野宏の前歌として全国を廻った。
「タンゴに出会うまではシャンソンでした。
しかし、タンゴを聴いたとき“詞が深い”
勉強しよう、と」自力でアルゼンチンに渡る。
現地のミュージシャンらとコンタクトを取り、
レコーディングも決めた。
フランス語、スペイン語、英語が堪能な才媛



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる









furo
P R

きれいなお風呂・宣言 


お風呂物語