流れ雲

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妄想劇場一考編

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信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「ミステリー列伝」歴史の闇


新国立「A案採用」は出来レースだったのか!?~
大成建設に取らせたい」という空気はこうして作られた

Kiyogi


わずか8点差の裏事情
森喜朗氏がB案を推したのは、A案に結論を導くための
高等戦術だった?

京オリンピックのメーン会場となる新国立競技場は、
(A案)建築家の隈研吾氏、設計事務所の梓設計、ゼネコンの
大成建設で取り組むことになった。

(B案)伊東豊雄氏、日本設計、竹中工務店清水建設大林組JV。
納得がいかなかった伊東氏は記者会見を開き、
「基本理念では負けていない。工期短縮で大差をつけられたことは、
疑問に思っている」と、口にした。

確かに、実力は伯仲、A案が610点でB案が602点。
工期短縮部分で27点の大差をつけられ、
これが「敗因」の決め手となったが、
A案の36ヵ月に対しB案は34ヵ月で劣っていない。
なぜ「工期で差がつくのか」という疑問もわかる。

ただ、そうした建築家としての率直な意見より、
今回は、「大成建設に取らせたい」という“空気”が、
政界にも官界にも業界にも流れていたことを指摘しておきたい。
そういう意味で、談合によって「八百長相撲」が行われたのではなく、
あえて片方を勝たせる「人情相撲」が行われたのではないか。

『検証』

建設費高騰でザハ・ハディド案が白紙撤回されて以降、
新国立競技場に最も熱心だったのは大成建設だった。
その理由は、
①ザハ案の旧計画でスタンド部分を担う施工予定業者だったこと、
②取り壊された旧国立競技場を1958年に完成させ、
「ウチの事業」という思いがあること、
③鉄骨などの材料や協力会社、職人等を旧計画の時点で確保、
施工準備を終えていること――などである。

公募締め切りは、9月1日から開始されたが、
その厳しさに、どの建築家もどの業者も驚いた。
まず、設計と施工が一体の「デザインビルド方式」なので、
建築家はゼネコンと組まねばならない。
しかも施工条件は、総工費上限1550億円で
2020年4月竣工とタイトなスケジュール。
こなせるのは、スーパーゼネコン
(大成、鹿島、清水、大林、竹中)に限られた。
結果として、11月16日の技術提案締切日に向けて
作業を行ったのは、A案の大成グループとB案の
竹中グループだけだった。

「必ずやるから、他の仕事を入れるな」
ザハ案での迷走もあって、入札過程は秘匿が貫かれ、
公式には、どのグループが公募締め切りに応じ、
どんな過程を経ているかはオープンにされなかった。
プランが明らかになったのは、12月14日からであり、
メディアが「どちらの案がいいと思うか」と、
アンケートを実施するなど国民的関心事となった。
その選考を委ねられたのは、村上周三・
東京大学名誉教授を委員長とする審査委員会。
7人の委員が9項目を評価。一人当たりの持ち点は
140点で980点満点だった。

A案とB案が8点差だったのは前述の通りだが、
気になるのは19日の審査が、一発で行われたわけではないこと。
22日の記者会見の席上、村上委員長は、
「これ、言ってもいいのかわからないけど」と、前振りして
次のように述べた。
「仮採点をして、なんとなく審査員みんなの相場観を確かめてから
本採点をした」
相場観というのは、審査員の意識の統一を図るという意味だろうが、
それを行う必要があったのか。
「採点に偏りが出ないための策」という説明を加えている
メディアもあったが、その「意思統一」は、「前向きに取り組み、
事前準備が整っている」という大成グループに優位に働いただろう。

そう考えれば、「工期の短縮」で大成グループ案が27点差をつけ、
これが竹中グループ案に勝利した理由であるのもわかる。
「大成が工事を取るのは間違いないと思ってました。
大成の担当者から『必ずやるから他の仕事を入れないでくれ』と、
言われてましたしね。それは他の下請けも同じで、
竹中JVより準備は万端というのが、業界の常識でした」
(下請け企業の社長)
そうした目に見えない準備と意欲も、「大成優位」に
働いたのかもしれない。

『森氏は「憎まれ役」を買って出た?』

大成グループを買っていたのは役所も同じ。
国交省幹部がこう漏らした。
「公募締め切りの前の段階で、大成の村田(誉之)社長は、
マスコミに対して『ウチでやりたい』と、明言していた。
1社単独で社運をかける勢い。採算だけ見れば
厳しいのは間違いないが、それを度外視して
『レガシー(遺産)に関わりたい』と。大成にやらせたい
という気持ちにもなる」

今回、「官製談合の疑いを招かないように」と、
入札過程は厳重に管理され、価格や工法その他で
“調整”があったとは思えない。
オリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が、
「B案の方がいい」と、2案が出揃ったところで
唐突に口にして物議を醸した。
この発言の狙いには諸説あるが、「憎まれ役の自分が
B案といえばA案の流れになるという森流高等戦術」という説は、
A案になったことを思えば、頷ける。
いずれにせよ、当初の「大成で決まり」というほど
優位ではなかったが、流れを引き寄せた大成グループが、
各界の同意を得て、なんとか勝利した印象なのである。

Author :
伊藤博敏「ニュースの深層



愛はかげろう




『日常や社会に存在する都市伝説』

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スペインで生まれ、日本でも人気の棒付きキャンディ
チュッパチャプス」。1977年に日本で発売以来、
ずっと30円という値段で愛されてきたが、
2004年7月1日には40円に値上がりされた。
他のお菓子と比べ、少し割高に感じたことがないだろうか?
実は、「チュッパチャプス」の値段が高いのには、
とある理由があるのだ。

それには、「チュッパチャプス」の包み紙が
大きく関係している。なんと、
包み紙の奇抜で独特なデザインは、かの有名な
ピカソによって描かれたものなのである。
チュッパチャップスが世界展開される際、
考案者がピカソに頼み込んでロゴを作成してもらい、
それが今日の包み紙のデザインとなっているのだ。
ピカソがデザインしたために、包み紙の著作料が
高額となってしまい、販売価格に影響しているのである。

アメリカが発祥のお菓子だと思っている方も
多いかもしれませんが、チュッパチャプス
1958年にスペインのバルセロナで誕生しました。
キャンディの形状がサッカーボールに似ていることから、
当初はスペイン語で「ゴール」を意味する「GOL」という
名目で発売されましたが、名前があまり浸透しなかったため、
1961年に現在の「チュッパチャプス」という名称に
変更されました。そして1969年、そんなチュッパチャプス
世界進出させるため、考案者のエンリケ・ベルナートは
スペイン出身の世界的な画家にロゴデザインの
依頼を持ち掛けたのです。

それはピカソではありませんが、
有名な「サルバドール・ダリ」という画家でした。
ダリがヒナギクをあしらってデザインしたロゴを
エンリケはとても気に入り、それが今日の
チュッパチャプスのロゴマークとなったのです。
サルバドール・ダリがデザインしたにも関わらず、
同じスペイン出身の画家であるピカソの方が
知名度が高く、チュッパチャプスの販売価格が
高いことから、もっともらしい話として
生まれたのでしょう。


Author :都市伝説



Mituo 
時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる

 
 
 
 
 
 一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

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    カビの生えない・きれいなお風呂
   
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