流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2 日本最大の組織
(山口組)
 
創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。



その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。 


極心連合会 橋本弘文会長
離脱 引退 解散か

戸山口組との分裂後、六代目山口組内で
その存在感を更に増しているのは
三代目弘道会の竹内照明会長だ。
これに引き換え非弘道会系組織は
今まで以上に沈下している。
その中でも特に関西に拠点を持つ直系組織の
それは顕著で、土地柄もあってか
傘下の現役組員同士は山健組系列との関係も濃く、
六代目山口組の残留組員はグラついている。

特に極心連合会においては、橋本会長の
本家での席次に引き換えその傘下は
かなり脆弱な体制が知られている。
公に言われている組員総数よりも
実際にははるかに組員数は少ない。
そのため極心連合会が離脱し
一本独鈷でやっていける機動力は
ないように思える。

極心の者にとっては親方の本家での地位が
何よりも頼るところであり、一本でやっていく道は
何の現実味もない。
解散か独立かと言われているが、
現時点での報道はあくまでも出所は
警察だとされている・・・。


2014年 夏の怪文書

2014年の夏、密かに話題となった「怪文書」がある。
A4の用紙2枚に綴られていて、
中野会会長襲撃事件や宅見勝若頭暗殺事件についても
触れられている。
内容の真偽は不明だが公になっている内容は
以下の通りである。

現在の執行部、幹部の醜態、
悪業の数々は目を覆うばかりである。
内部の噂話、悪口はするな、
他団体に関しての話題も内政干渉にあたるなどと、
さも仁侠界の伝統、掟を尊重するかのような
態度を偽装しているが、
所詮は自己欺瞞と無能の所産である。

逆に山口組の現状を組全体や
他団体に知らしめれば、
自身の信頼を失墜せしめ山口組自体が崩壊し、
引いては自分たちの生命の危機さえ
感じているからである
組内組織に京都市内で会津小鉄会を使嗾して
拳銃襲撃させた事件は、
現在の司、高山の正体を如実にあらわしている。
つまり、全てが虚言と裏切りで成立っていると
断言できる。所謂、名古屋方式である。

現在の山口組体制はそのことが普通の事として
罷まかり通る異常な世界なのである。
一旦、自分達が窮地に陥ると、山口組は
互いに傷を舐めあって助けあわなければならないなどと
言いつつ、その裏では自分達の利に合致しないことには、
どんなに身体を張って尽くした人間に対しても
平気で裏切り、追い詰め追放する。
この事は、司、高山という人物が、
日本古来の渡世の掟や信義を知らない事に
原因が求められる

ここまで山口組を衰退させ仁侠界全体を落としめた
司、高山両名の陰湿な姦計を全て述べるには
紙数が足りない。
中野太郎会長襲撃事件と宅見若頭殺害事件から
説き起こすことにする。

当時の中野会長の言動は先鋭的であり、
宅見若頭、司弘道会会長、古川組長、
桑田山健組長、滝沢組長など
殆どの山口組幹部は苦々しく、又、
恐怖心さえ感じていた。
桑田組長と盃のあった、
会津小鉄会の図越会長も違った状況であるが
恐怖を覚えていた。
そこで、当時、お人好しで少々軽いとの評のあった
古川組長に司が接近し、嗾け、
桑田組長、宅見若頭に中野会長殺害を
持ちかけたのである。

何故、司はこれ程までに中野殺害に固執したのか。
中野会長と司はともに大分県の出身である。
司の出自、来歴について熟知していたし、
とくに集団就職以後の大阪での履歴については
詳細に把握しており、司にとって中野会長の存在は
一生頭の上がらない目の上のタンコブだったのである。

しかし、組内部での実行は動揺と不信感が増幅し
組織がもたないとの判断から、
会津小鉄会に白羽の矢を立てたのである。
会津小鉄会は何故この計画に乗ったのか。
客観的には図越会長が桑田会長との
日常会話のなかから
山口組内部の状況を熟知していたこと、
即ち、渡辺五代目が意志薄弱で主体性に乏しく、
執行部に対して強権的な発言が出来ない事、
実行後の和解も容易だと踏んだからである。

更に、会津小鉄会が最終決断を下した最大の理由は、
図越会長が中野会長から多額の金の無心をされ
断りきれずにいた事実である。
併あわせて、中野会長が京都に住居を移したことと
相俟って、将来に対する不安と恐怖心が渦巻いて、
永久に無心が続くならばと乾坤一擲の勝負にでたのである。

この中野襲撃に関して、襲撃を受けた現場の
理髪店の窓ガラスが防弾に改造されていた事実がある。
これは会津小鉄の襲撃を知る若衆がひとり抜け、
中野会の組員となり襲撃計画を通報し
迎撃体制を整えていたのである。

この時、会津から桑田組長に襲撃計画が
漏れているから実行を延期したいと
再三にわたって申し入れが行われたが、
古川組長や司の姿勢は強硬で、
返って日頃の軟弱振りを糾弾され
実行せざるを得なかったのである。

この中野会長襲撃は失敗に終わり、
会津小鉄側の形ばかりの詫びを
渡辺五代目が簡単に受け入れ、
その根回しを宅見若頭が率先して行ったことから
中野会長の疑念は深まっていく。

以前、渡辺五代目の処遇について宅見若頭から
トラック一杯の現金を中野会長に届けるから
一任してくれとの申し出が為されており、
其の事と相俟って宅見殺害への決意が深まっていく。
宅見襲撃については、中野会長は
渡辺五代目の同意を得てから実行しており、
事件後の中野処分について二転三転する中、
執行部が五代目を責め立て結局は
絶縁となったのである。

以上がその怪文書の内容である。



カサブランカ・グッバイ 鳥羽一郎 




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……