流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

言葉の魔術師

言葉の魔術師・言葉の達人

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。
「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。

常に「聴き手側の心」を念頭に置きながら、
北国の春」などのヒット曲をはじめ
数多くの作品を世に送り出し、日本の大衆音楽の
普及・発展に貢献されている
「いで はく」さんです。



代表作
「すきま風」/ 杉良太郎
北国の春」/ 千昌夫
「明日の詩」/ 杉良太郎
信濃梓川」/ 森昌子
「ふたりの春」/ 川中美幸
「昭和流れうた」/ 森進一
「包丁一代」/ 岡千秋
「友の焼酎(さけ)」/ 八代亜紀
「愛しき島よ」/ ミヤギマモル
「欅伝説」/ さとう宗幸   
 他多数あり


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


ふたりの春 川中美幸


作詞論
歌はドラマであり、作り手のメッセージの伝達であると思う。
歌が聴く人の心の共感・共鳴を得た時、
その歌は初めて生きたものになり、
共感する人の数が多ければ多いほどメガヒット曲となる。
私の歌づくりは、伝達者である歌手のキャラクターが
最も生かされるよう、ストーリーを設定し、
風景を描き、色づかいをして、
聴き手側がそのドラマを思い浮かべやすいように
書いています

作詞家になったきっかけは?
 作曲家の遠藤実氏の秘書になったことから。

プロ、初作品について
 「青春譜」というフォーク調の詞を書いて師匠に認められた時、
 プロを意識した。
 メジャーのレコード会社からの初シングル盤は
 1973年(昭和48年)一節太郎「親子流し唄」。

作品を提供したいアーティスト
 特になし

あまり売れなかったが、私の好きなこの歌
 さとう宗幸の「欅伝説」

なぜ「詩を書くことを選んだか」
 自分のメッセージが発信できるのが魅力で。

プロの作詞家になりたい人へのアドバイス
 自分のカラーを持つこと。最初は模倣から入っても
   そこから脱皮して自分なりの特徴を持てばプロになれる。

一口メモ
 沖縄の島々に暮らす人々が持つおおらかさや、
 肩に力が入らない自然体の暮らしぶりを歌にしたかった。
 自分自身の憧れも込めて輝く島と青い海、
 風景と人情を思い描いてほしい。

私の好きなあのフレーズ

 「祭には歌い 悲しみに祈り 
 喜びに笑い 祝いには踊る」

プロフィール 
本名:井出博正


1941年長野県生まれ
1965年早稲田大学商学部
1971年作曲家 遠藤 実氏に師事し作詞の道に入る
1973年「親子流し唄」(一節太郎唄)でレコードデビュー
1976年「すきま風」(杉良太郎唄)から 
本格的な作詞家活動に入る
1985年第6回 古賀政男記念音楽大賞 優秀賞受賞
1997年第3回 古関裕而記念音楽祭 金賞受賞
2005年第47回 日本レコード大賞 功労賞受賞 
 財団法人遠藤実歌謡音楽振興財団 常務理事
 
 社団法人日本大衆音楽文化協会 常務理事
 
 社団法人日本作詩家協会 理事


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる






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