流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Kanshin021111 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。 

  
 
 
漢の韓信-(121)

胸に当たった矢は突き刺さり、非常に強い衝撃を劉邦に与えた。
さらにその衝撃によって劉邦は転倒して頭を打ち、気を失った。
どれほどの時が経ったのだろう。
劉邦が再び目を開けたときには、谷の向こうに
項羽の姿はなく、岩場に一人きりで立っていたはずの
自分のまわりには、張良や陳平などの
幹部たちが輪をなしていた。

「お気付きになられたぞ!」
周囲の男たちは口々に劉邦の無事を祝い、喜びの声をあげた。
劉邦は、うつろな意識のなかで、それに腹を立てた。
痛い……なんという痛みだ。こいつらはなにがそんなに嬉しいのか。
人の痛みも知らず……。
しかしその思いは、自分にも当てはまる。
劉邦は数々の部下の死によって、現在の地位を保っているのだった。

実際に矢傷を受けた痛みを体感した彼は、
自分のためにこれに倍する痛みを感じながら死んでいった者たちの
苦しみにはじめて思いを馳せることになった。

紀信や周苛を始めとして、わしに命を捧げてくれた者は、数多い。
その中には名も知らぬ者も多いが……
どうして彼らがわしのために死んでくれたのか……謎だ! 
しかし、ひとつはっきりしているのは、いまわしが
このまま死んでしまっては、彼らの死をかけた努力が
すべて無に帰す、ということだろう。

そう考えた劉邦は、痛みを振り払って起き上がり、
座った姿勢をとったかと思うと、一気に突き刺さった矢を引き抜いた。
それに伴って多少血が吹き出たが、意に介した表情は見せない。
しかし、顔色は青白く、額には脂汗が浮かび、
誰の目にも憔悴していることは明らかだった。

「……お前らのその顔はなんだ! ……わしは死んでおらぬ」
剛胆な口調で言い放った劉邦は、なにを思ったか
しきりに右足の親指のあたりをさすり始めた。
「よいか。わしが射抜かれたのは、足の指だ。
兵たちに胸を射たれたと悟られてはならぬ」
自分が射たれたことによって兵の士気が低下することを
恐れた劉邦は、痛みに耐え、張良の介添えのもと陣頭に立ち、
士卒に自分の無事な姿を見せて回ったという。

しかし無理がたたったのか、傷口が開いた。
まともに立っていることも困難になった劉邦
一時成皋へ引き下がり、療養することになった。
これにより漢の上層部の意志は、次第に
講和を目指す方向へ流れ始めたのである。

胸の傷は深かったが、それでも思っていたより早く
治癒の兆しが見え始めた。
しかし、問題なのは心の方である。
「足を射たれた」と虚勢を張ってみせたとしても、
自分自身に嘘をつき通すのは難しい。
劉邦はこのとき、自分の傷ついた心を癒すのに苦労した。
劉邦は体力がある程度回復すると、逃げるように
関中に戻ってしまった。

丞相の蕭何は劉邦が突然帰還したので、このとき目を丸くして
驚きをあらわしたという。
「お怪我をされたと聞きましたが、もう出歩いておられるとは……
お体の具合は大丈夫なのですか」
蕭何は劉邦に尋ねたが、劉邦の返事は素っ気ない。
「体など、もうよい」
蕭何は重ねて聞く。

「どうなされたというのです」
劉邦は、これに対し返事をしなかった。
もう、やめだ。
「おつらそうでございますな」
「蕭何」
「はい」
「……長いこと戦ってきて、わしは、ようやくわかった。
わしはどうあがいても項羽には勝てぬ。
お前は知恵も回る男だから、わしのかわりも務まるだろう。
明日からお前が王だ。いや、今日、いまからでも構わない」

「……本気でおっしゃっておられるのですか」
「本気だ」
「残念ながら私は軍事のことはどうも苦手でございまして……
恐れながら、辞退申し上げます。
しかし、大王があくまで王座を退くというのであれば、
かわりにひとり適任の者を推挙いたします」
「誰だ? ……いや、言うな。答えはわかっている」
韓信を推挙いたします」
「……言うな、と言っているのに!」

「ご不満ですか」
「……あいつは駄目だ」
「理由をお聞かせ願いますか?」
「あいつは……自分に対して厳しい男だ。
それに真面目な男だし、頭もいいときている。
しかし、だからこそあいつは、他人の弱さや、だらしなさや
奔放さを許さないに違いない。
あいつの治める国は秦以上にがちがちの
管理社会になるだろうよ。
臣下や民衆は暮らしにくくなるはずだ」
「そうでしょうか」
「そうに決まっている」

「ならば、あきらめてご自分で国を治めていただくしか
ありませぬな。韓信が駄目な以上、
大王にやっていただくしかありませぬ。
大丈夫、やれますよ」
蕭何は気分の落ち込んだ劉邦をなだめたりすかしたりして、
機嫌を取りつづけた。そして渋る劉邦を無理に誘い、
関中の父老たちに会わせ、酒宴をさせたりした。
そこで父老たちに激励された劉邦は、
結局広武山に戻ることとなる。

劉邦が関中に滞在したのは、たった四日間に過ぎなかった。
劉邦にとって、自らの傷心を慰めるには
短すぎる期間であったに違いない。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『悲しい酒 美空ひばり




作詞石本美由起、作曲古賀政男による、
美空ひばりの代表曲のひとつ
1960年に新人歌手の北見沢惇の為に
書かれた曲であったが、
北見沢はヒット曲に出来なかった。

その後、誰に歌われることもなく埋もれたままになっていた
埋もれさせるには惜しいと感じていた作曲者の
古賀政男により、カバー曲であることを伏せたまま
美空ひばりにレコーディングされ、
1966年6月10日にシングルレコードとして
発売されるに至った。

ちなみに、オリジナル歌手である北見沢惇は、
美空ひばりバージョン発売直後の
1966年8月9日に夭折している(享年30)。

ひばりが歌唱する時は、涙を流しながら
歌うことが多く、
ひばりは「涙を自由に操れる」とも言われた。

また一説には、小林旭さんとの別れた気持ちを
表したとも言われています。


人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる


P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
    
    お風呂物語 


 

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo
昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー

 
 
 
 
 

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



献血


あまり気のりはしなかった。
谷口綾は、高校のクラスメートのトモコからコンパに誘われた。
綾は、看護学校に通っている。 ものすごく忙しい。
授業も難しくて、ついて行くのが大変だ。
高校の友達の多くは、大学に進んだ。
正直言って、ただ遊んでいるようにしか見えない。 事実、
仲の良い友達からは、「カレシとディズニー・シーへ行った」とか、
「朝までカラオケして21曲歌った」とか、
そんなメールばかりが送られてくる。

適当に話を合わせて返信する。
「私は勉強が忙しいんだからね」と言いたいところだが、
そんなことを言ったら二度とメールが来なくなるに違いない。
友達をなくすのが怖かった。
何度も誘われた。ずっと断っていた。
でも、たまには行かないと・・・。
そう思って嫌々出掛けたコンパだった。

会場は、ちょっとレトロな居酒屋だった。
ホーロー看板があちこちの壁に掛かっている。
相手は、トモコの大学とテニスサークルで付き合いのある
別の大学の男子たちだった。 こっちが4人。
向こうも4人。綾を除いて、全員が大学生。
どうも人数合わせに誘われたらしいとわかった。
ところが・・・。来た来た来た来た!ピーンと来てしまった。
嫌々参加したにもかかわらず、「ああ、きっとこの人が
運命の人だわ」という男子がいたのだ。

自己紹介で、朝岡真司と名乗った。
テーブル席の真向かいになった。
綾は、こんな気分になったのは初めてだった。
ちょっと緊張して、上手く話ができない。
30分もすると、誰が決めたわけでもなく8人が
4人ずつのグループに分かれて 話をするようになった。
1時間後には、それがまた真向かいの2人に分かれて
話をするようになっていた。思い切って、綾は訊いた。

「ねえ、朝岡さんは、どこの出身なの?」
「長野だよ、上田って知ってるかな」
「ごめん」 「あっ、そう」
綾は、昔、一度だけ長野県に行ったことがあった。
従弟にスキーに誘われたのだ。でも、ゲレンデに着くなり
、いきなり捻挫。 以来、長野は鬼門になっていた。

今度は朝岡が訊いてきた。
「趣味は何?」
「う~ん、音楽聴くことかな」
「へえ、どんなの?ラップとかKポップとか」
「ううん、あんまり・・・クラシックかな」
「ええ~高尚だな~。いいとこのお嬢さん?ひょっとして」
「そんなことないですよ」

どうも話が合わない。 綾は、それでも何とか、
共通する会話の糸口を見つけようとした。
なんだか気になるのだ。
「中学とか高校の時って、何かクラブやってましたか」
「ずっと、陸上だった。800とハードル」
「大学はテニスのサークルに入っているんでしょ」
「いや、今日は特別参加。テニスは一度もやったことないんだ。
球技って、どうも苦手でさ」
「ふ~ん、そうなんだ」

綾は、野球が好きだった。プロ野球高校野球も。
もちろん、自分がやるわけではないが、父親の影響で、
幼い頃から何度も野球場へ観戦に行った。 甲子園にも。
もっと、話がしたいと思っていたところへ、
一番離れた席の男子が呼んだ。
「お~い、朝岡、ちょっとこっちへ来い」
「なんだよ~」

代わりに、目の前に他の男子がやって来た。
いろいろ話しかけられたが、気のない返事をしたまま、
時間が過ぎた。朝岡ともっと話がしたかった。
こんな気分になったのは初めてだった。
何かを感じる。波長が合いそうな。
それなのに、共通の話題が見つからない。
そのまま会はお開きになってしまった。

二次会に行く者と、用事があるからと帰る者。
それぞれ店の前で別れた。
メルアドも交換せず、朝岡と別れた。
(直感が間違ってたかな)そう思いを振り切って、
明日の授業の下調べをしておこうと、自宅へ急いだ。
翌日、学校の帰り道。 綾は、一年に一度の行事のため、
ある場所と向かった。 赤十字献血ルームだ。
去年から誕生日に献血をすることに決めたのだ。
今年で二回目。

受付を済ませて、ハッとした。
目の前の部屋から、朝岡が出てきた。
「あっ・・・昨日の・・・谷口さん」
「朝岡さん・・・」
「君も献血やってるんだ」
「まだ二回目だけど・・・誕生日にやるって決めたの。
でも、明日は用事があって来られないから、今日・・・」
「え! 明日誕生日だって?! 
俺もだよ、俺も誕生日、明日!」

そう言いながら、朝岡は肩に掛けたバッグから
免許証を取り出して見せてくれた。
綾も、それにつられて免許証を見せる。
(誕生日が一緒だなんて、なんで聞かなかったんだろう。
星座とかの基本じゃないの)

「あら、あなたたち、知り合いだったの?」
赤十字の人が二人に声をかけてきた。
「ううん、昨日知り合ったばかりなんだけど」と綾が言う。
「あら、そう。じゃあ知らないわね。この人ね、
献血マニアなのよ」 「やめてくださいよ、山田さん」
朝岡が顔を紅くして言う。
「いいじゃない、ホントのことなんだから。

朝岡君はね、ほとんど毎月来るのよ。200mlね」
「うわあ、スゴイ!」
綾は、「なんだか気になる」「波長が合いそうな」
直感が合っていたことに嬉しくなった。
朝岡が言った。
「待ってるからさ、お茶飲んでかない?」…

終わり

Author :志賀内泰弘




中島みゆき劇場 :・わかれうた〜ひとり上手』




『風のうわさ』

山越一郎は、小さな広告代理店を経営している。
この不景気で、青色吐息。資金繰りに詰まり、
一度は「死んでしまおう」と覚悟をしたこともある。
それでも思いとどまったのは、
「もう明日のことを憂うのはやめよう」
「今日のことだけ考えよう」と思ったからだった。

そういえば・・・。 「あの頃」は輝いていたし、無茶もした。
久し振りにそんな学生時代のことを考えていたら、
電車を乗り越してしまった。「いけね!」
慌てて車両から飛び降りた。
そこは、学生時代によく通ったバーのある駅だった。
一瞬、反対方向の電車に乗り換えるため、
階段を上りかけて止めた。
そのまま外へ出て、一駅歩くことにした。
改札から人がドッと吐き出される。
そんな雑踏の中に、どこか見覚えのある後姿を見かけた。

考える間もなく、声を出していた。
「シュン!」呼ばれた男が振り返った。
やっぱり。 それは、一郎が大学時代を共にした
大谷俊太郎だった。
頭には、ところどころ白いものが混じっている。

「おおっ、いっちゃん」俊太郎は、人の波の中で笑顔を向けた。
急に立ち止まったので、次々と人がぶつかってきたが、
体育会系の大柄な身体は揺れることもなかった。
一郎は近づくなり、俊太郎の頬を殴りつけた。
やさしく、やさしく。俊太郎も、拳を作って、
一郎の鳩尾にパンチを食らわせた。
こちらも、柔らかく。
「元気か?」と訊かれ、一郎は、「おおっ」と応えた。
なにしろ、会社は火の車だ。
心の底から「元気だぜ!」とは返事できなかった。
「急ぐか?」と俊太郎に訊かれ、「いいや」と答える。

今度は、一郎が「ちょっと行くか?」と右手を
口元近くで傾ける仕草をした。
「そう言えば、この近くだったな」
「うん、まだやってるらしいぜ」金も無いくせに、
当時は週に3回は通っていたバー「ジェットプレーン」へ
二人は足を向けた。店の前に来ると、
ちょうどマスターがゴミを出しに外へ出てきたところだった。
マスターも彼らと同じように歳を重ねていた。
もう、とうに六十を越えているはずだ。
「おや、懐かしい。二人とも生きてござったか」
あいかわらずに皮肉屋だ。
「懐かしいね」という言葉もなく、
開店前だが、クイッと顔を横に振って、店の中へと
招いてくれた。
一郎は、俊太郎の名前を呼んではみたものの、
少し複雑な思いがした。
自分は今、とても誇れるような生活にない。
今日のことだけ考えて、ギリギリで生きている。
話をすれば、自ずと「今、どうしてる?」と訊かれることになる。
大手の広告代理店を飛び出して独立したのは
バブル華やかりし頃のことだ。
「あの頃」なら、きっと「オレの行き着けの店へ」と
高級クラブでおごっていたに違いない。
マスターが、一番安い銘柄のボトルを差し出した。
「おお、コレコレ」一郎は、氷の入った二人のグラスに、
琥珀の液体を注ぎ込んだ。(そういえば・・・)

いつのことか。俊太郎のうわさ話を耳にしたことを思い出した。
離婚して、同時に仕事も失ったというのだ。
俊太郎は、大学を卒業して3年目に結婚した。
一郎も披露宴に招かれた。奥さんは、食品卸をしている
中小企業の社長の娘だった。 跡継ぎとしての入り婿だった。
みんなで、「逆玉だ」とさんざん冷やかしたものだ。
一郎が、どこからともなく聞いたのは、
何か義父の逆鱗に触れることがあり、
家を追い出されたという話だった。
耳にしたのは、10年くらい前のことだった。
そこまで思い出して、ハッとした。

平日の昼間にもかかわらず、 タートルネックのセーターに
ブルゾンを羽織っている。 下は、ベージュのジーンズだ。
それに、薄汚れたスニーカー。
(今、何をしてるんだろう)一郎は、聞きたい気持ちを抑えて
グラスにウイスキーを注ぎ足してやった。

俊太郎が壁のポスターを見て言った。
それは、ずいぶんと黄ばんでいた。
「オレさ、この映画さ、リツコと一緒に
見に行ったことがあるんだぜ」
「ええ、リツコだって!?」
安西律子。それは、同じクラスのマドンナだった。
なんとか口説きたいと思っていた。
もちろん、二人だけではない。 みんながそう思っていた。
しかし、男に興味がないのか、とうとうリツコは
大学時代、 誰とも付き合うことなく卒業した。
「おいおい、オマエ抜け駆けしたのかよ!」
「おおっ、そうだ」
「コノヤロー」
「もっとも、ただ映画観て、お茶飲んだだけだけどな」
「当たり前だ」 「いい娘だったよなあ」 「うん、可愛かったなあ」
やがて酔いが回ってきた。二人とも口にするのは、
同じことばかりだった。

「リツコ~」 「好きだよ~」 「リッちゃん、好きだったよお~」
そんな中でも、一郎はどこか覚めていた。
(シュンは何をしてるんだろう)しかし、彼が困っていても、
今の一郎には何も力になってやれることはできなかった。
「オレ、そろそろ行くわ」と俊太郎が言い、立ち上がった。
「おお、オレも」 「また来るよ」と、あてのない挨拶をして店を出た。
さっきの駅前まで行って、「じゃあ」と言い、
手を軽く振って別れた。その時、
「ひょっとすると」と思った。 俊太郎も
同じ気持ちだったんじゃないかと。

「今、何してるんだ?」その一言を口にしたくても、
じっと我慢して、ただただ飲み続けていたのではないかと。
一郎は、凍てつく風の中で、ふわっと心に温かいものを感じた。
「ひょっとしてアイツ、オレのウワサも、
誰かから聞いたのかもしれないな」
一人、駅のホームに立って電車を待ちながら、
アイツの今の住所も電話番号さえも聞くのを忘れたことに
気づいた。…

《終わり》

Author :志賀内泰弘




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる







 
Furo611

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

冥談「ミステリー列伝」



タイの超絶美人Yoshiさん
微笑みの国・タイ、タイランド出身の大学生だ!


Yoshirinrada1


Yoshiさんが注目を浴びるきっかけになったのはドラマ
『Lovesick series』に出演したことだ。
何でもBL小説が原作の学園モノという同作。
キャストは見事に美男美女ばかりだったが、
そのなかで一際輝いていたのが、デビューしたての
Yoshiさんだったという。
ドラマ人気にともない、すぐさま「あの美少女は誰!?」と
話題になったという。しかし、Yoshiさんが男性だったのに
完全に誰も気が付かなかったのだ。

Yosiki2


男性だったと判明
      えええええええ! マジで!? 嘘でしょ!?
胸はなんとかなるとしても、あの骨格はどうみても女子。
しかもドラマ放送当時は性転換前で、
つまり “男性の体” であったという。

Yosiki11

      
性転換後、ますます美しくなったと話題
メディア『泰国中文網』などによると、ついに
手術を受けたとのこと。
心だけでなく、体の方も女性になったのである。
      
Author :泰国中文網 執筆:沢井メグ



「究極に珍しい21の気象現象」





時代が変わるとともに覆された常識も多く存在します。
このような覆された常識はウェブ上などでも多く紹介されています

鎌倉幕府の成立年

「いい国作ろう鎌倉幕府」というフレーズのように、
これまで鎌倉幕府が成立したのは1192年とされていました。
しかし研究が進み、実質的に鎌倉幕府が成立したのは1185年で、
源頼朝征夷大将軍という位を天皇から得て
名実ともに幕府が完成したのが1192年という見方が通説となり、
現在の中学歴史教科書のほとんどは鎌倉幕府の成立を
1185年と表記しており、覚え方は
「いい箱作ろう鎌倉幕府」へと変更されたそうです。

薬はお茶で飲んではいけない

お茶で薬を飲むと薬の効果がお茶の成分によって打ち消されるので、
薬はお茶で飲んではいけないと子どもの頃に
親から注意されたことがある人も多いはず。
しかし最近の研究によって、体内への薬の吸収に
お茶の成分のタンニンなどはほとんど影響しないことが
明らかになりました。
多くの薬はお茶やウーロン茶などで飲んでも差し支えはないですが、
一部の抗生物質などはお茶の中に含まれる
カフェインと相互作用があるため注意が必要です。

歯磨きは食後すぐにする

虫歯の予防のため、食後すぐに歯磨きをした方が
良いイメージがあります。しかし、
食事にはお酢を代表とした酸性のものが多く含まれており、
歯の象牙質は酸に弱いため食後すぐに
歯ブラシで歯磨きをするとその象牙質が削られてしまい、
かえって虫歯になるリスクが高まってしまうそうです。
よって、食後1時間ほど時間をおいてから歯磨きをすると、
歯を傷つけずに歯磨きができるそうです。

傷口は乾燥させる

ケガをした時に傷口から出る粘液は傷口についた
砂などと一緒に洗い流して乾燥させてしまいがちですが、
この粘液は身体の自然治癒作用により分泌されるもので
傷口を消毒して傷を治す効果があります。
この粘液を洗い流して乾かしたりすると
傷口に刺激を与えてしまい、かえってケガの治りを
遅くしてしまいます。

日光浴は健康に良い

以前は日焼けした小麦色の肌が健康の象徴のようにいわれており、
日光浴は赤ちゃんの健康のために必要だとされていました。
しかし、日光浴によって得られる効果よりも
有害な紫外線のほうが問題であり、
赤ちゃんに関しては直射日光ではなく木陰で間接的に
日が当たるだけで十分であるという考え方に変わり、
1998年には母子健康手帳から日光浴の必要性に関する
記述が削除されました。



Mituo 
時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる

 
  
 
 
 
一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
  お風呂物語

Furo611 

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2 日本最大の組織
(山口組)
 
創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。
   
 
その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…


『山口組動乱‼』分裂の真相と山口組の内情
あの「大量処分」が始まりだった  (2)

戸山口組に次々と加勢

ふつう組を割って出た側が暴力団業界で孤立を余儀なくされる。
資金に不足しても他団体から貸してもらえず、
応援部隊も派遣されない。
他団体としても「組を割って出る」ことに賛成できないからだ。
うっかり賛成すれば、自分の組が内紛を起こしたとき収拾に困る。

つまり所属していた組の親分から子、あるいは舎弟の
盃を受けながら、組を割って出るのはいわゆる「逆盃」であり、
親分絶対の暴力団世界では認められない。
これが原則的なルールなのだ。
この辺りのことは神戸山口組も十分心得ている。
そのため暴力団世界で孤立しないよう、
分裂に踏み切る直前に他団体への根回しに動いている。
すでに山陽道の二つの組は神戸山口組との交際を
約束してくれたらしい。

そうでなくても俠友会・寺岡修会長は俠道会(広島県尾道市
池澤望会長と五分の兄弟分、
山健組・井上邦雄組長は浪川睦会(福岡県大牟田市
浪川政浩会長と兄弟分、
かつては住吉会・加藤英幸総本部長(幸平一家総長、東京)と
兄弟分だったとされる。
また大阪の酒梅組はいち早く神戸山口組支持を打ち出し、
六代目山口組との親戚づきあいを解消、
司組長が後見人であることの拒絶を通知したという。

また他団体ではないが、山健組でかつて好戦性で知られた
三島組・三島敬一組長(山健組─健竜会最高顧問)の
再起用情報が流れている。
三島組長はかつて大阪・西成で活動していたが、
高山清司若頭の指示で健竜会から絶縁され、三島組は解散、
三島氏は故郷の熊本に帰った。が、このほど
井上組長から詫びと最高顧問で迎えたいという意向が伝えられ、
三島組を再結成、弘道会を直撃する構えという。

山口組の「賞味期限」が迫っている?

しかし逆にいえば、神戸山口組の優位点はこれだけともいえる。
今のところ所属組や組員数が多いのは圧倒的に
六代目山口組の方だ。
住吉会幸平一家・加藤英幸総長の神戸山口組陣中見舞いに対して、
未確認情報だが、稲川会が住吉会に抗議したと伝えられる。
稲川会・内堀和也理事長(山川一家総長)は
六代目山口組・竹内照明若頭補佐(弘道会会長)と兄弟分だから、
当然、六代目山口組を支持している。が、かといって
関東の暴力団がそれぞれ一枚岩かというと、決してそんなことはなく、
一つ意見を強行すれば、山口組と同様、
必ず分裂を引き起こすと見る向きは多い。

稲川会でも山梨の組織などがいずれ神戸山口組に
参加するという噂が根強く続いている。現状、
六代目山口組が7対3ぐらいの割合で神戸山口組を
圧倒している模様だ。友好関係にある団体数も多い。
長らく暴力団世界の盟主を続けたガリバー型寡占の
巨大組織だから、たとえ勢力が半減しても、
構成員数で第一位であることは変わらない。が、1ヵ月後、2ヵ月後も、
この状態で固まっていると見なすのは早計だろう。

なにしろ直系組長やその下の若頭、若頭補佐クラスにとっては
生きるか死ぬかの二者択一である。
どちらの勢力が短命か、長命か、しっかり見極めないと、
自分ばかりか配下の組員さえ路頭に迷わせることになる。
様子を見極めた上での移動は大いにあり得ることだろう。

結局、神戸山口組メンバーの危機感が示すように、
山口組には賞味期限が迫っているのかもしれない。
どちらに転んでも、賞味期限はあまり延びそうにない。
警察や暴力団排除条例、組織犯罪処罰法などに包囲され、
片や半グレ集団に幅寄せされている。

抗争の導火線

六代目山口組は勢力が劣る神戸山口組を
暴力的に蹂躙することはできない。
抗争すれば、民法や暴対法の「組長の使用者責任」や、
組織犯罪処罰法違反(組織的殺人など)で実行犯の組員ばかりか
組長も逮捕され、あるいは損害賠償を求められ、
組織がメタメタになる。

両派とも表向き抗争はできない。
しかし敵対する勢力の権益を奪うことで暴力団は活性化する。
逆に向こう三軒両隣が自派か自派の友好団体なら、
シノギをどこにも求めようがない。
敵対する団体があるからこそ、そこの利権を食い荒らせる。

暴力団にとっては健康な環境である。
よって山口組と神戸山口組との対立抗争は最初、
地域限定的な経済戦になるはずだ。
早い話、東京には弘道会も山健組も進出、
企業事務所を構えている。
不動産、金融、建設、解体業、産廃処理、作業員派遣、
ホストクラブ、ヤミカジノ、特殊詐欺など、あらゆる職種が
軒を並べている。

企業事務所だからといって、拳銃やナイフ、金属バット
持っていないわけではない。
ビジネスをめぐってのトラブルや小競り合いはいつでもあり、
それが暴力沙汰に発展する理由も無数にある。
今回のような場合、拳銃の使用はいささか荷が重い。
所持、発砲、殺傷行為と別々に計算され、
それらの刑が加算されてとんでもない量刑になり得る。
しかも拳銃は暴力団抗争のイメージに結びつきやすいから、
なるべくなら使いたくない。

そこで集団的に相手をバットで打ち据えるなど、
あたかも半グレ風の喧嘩も装うだろう。
バットを使っても六本木クラブ襲撃事件のように
一般人への人違い殺人は起こる。
山口組における「名古屋─神戸抗争」は
全国の繁華街をストリートファイトで彩りかねないのだ。


Author :溝口敦:賢者の知恵



『レクイエム・Gメン75 』






人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……






チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou2 昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー 


 

 
子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり 
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



「私は都内でナースをしています。
これは二年ほど前の話です。」


ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。
彼女は手遅れの状態で癌が見つかり
半年もつか分からない状態でした。

彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりした
タレントさんみたいにかわいい人でした。
末期のがんであと半年もつかわからないことは
彼女もしっていました。
けれど絶対に笑顔をたやさない。
人前で涙や弱音を吐かない人でした。そして明るく、
とっても優しい人でした。
私と彼女は同い年でした。私は彼女を尊敬しました。

彼女は上智大学の4年生でした。
彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」と
言っていました。
彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。
同じ病院の小児科の子供たちにも好かれて
よく英語を教えていました。

彼女にはお母さんがいませんでした。
彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。
それから、お父さんと二人でくらしていました。
彼女はお父さんのことが大好きでした。

彼女はあえて抗がん剤治療はしないで進行をとめる薬を
投与していました。
髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、
容態は悪くなる一方で彼女は日に日に衰弱していきました。

12月に入りました。
彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。
彼女のお父さんは「逝かないでくれ、お父さんを一人にしないでくれ」と
言っていました。本当に心が痛みました。
私は最後を立ち合いました。

心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり
「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。
応急処置はできない状態だったのです。
そのままといういい方はおかしいのですが処置はしませんでした。
お父さんは彼女の頭をなでながら「お父さんの子供でありがとう。」と
言いました。

私は泣きました。
ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。
お父さんは彼女の病室からみつかった一冊のノートを
みせてくれました。
英語の勉強のノートだったのですが、一番最後のページに
こう書いてあったのです。

ありがとう ありがとう
わたしはとっても幸せでした。
お父さん、ごめんなさい。孫の顔みせてあげられなかったね。
わたしは病気になってつらいことはあったけど、
決して後悔はしていない。
神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。
ちょっと、早めのミッション。
男手ひとつで育ててくれてありがとう。
だいすきだよ。

彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。
それから2年ほどたっていま、彼女のお父さんは
私の病院で入院しています。
おとうさんは癌になってしまいました。

けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思って
あの子がそうさせてくれたのかもしれない。
だから死ぬのはこわくないんだ。
あの子がまっていてくれてるから。」

ときどき、彼女のことを思い出します。…

終わり



『布袋像のもたらすサイン
次空間を超えて伝えられる未知のエネルギー』


1920年代の出来事である。
英国からの一組の旅行客が、神戸の古物屋で
小さな像を見つけた。それは、七福神の一つ、
布袋像をかたどったもので、象牙を彫ってつくられた
精巧な掘出し物といえる像だった。
夫妻はその像を一目見て、大変気に入ったので、
すぐに購入してしまった。

そうして、船に戻った夫妻は次の目的地に向かって
旅立っていった。しかし、その夜から婦人の歯が
猛烈に痛み出した。同時に、体中の関節も
ズキズキ疼きはじめたのである。痛みはひどくなる一方で、
医者から鎮痛剤をもらったがあまり利き目はなかった。

翌朝、婦人の痛みが嘘のように直ってしまうのと入れ替えに、
今度は、夫の歯が激しく痛み出した。
そうして夫はあまりの痛みに堪え切れずに、
船が港に着くや否や、医者のもとに行き、
歯を抜いてくれと頼んだ。
歯が抜き終えると、痛みは治まった。
しかし、船に戻るとまた、別な歯が痛み出した。
そういう感じで船がアメリカに着くまで、
夫妻の旅はとんでもない憂鬱なものとなってしまった。

アメリカには夫の母親が住んでいたが、
夫妻はおみやげとして神戸で手に入れた掘り出し物の
布袋像をプレゼントした。
まもなく、夫の母親の歯がひどく痛み出した。
母親は気分が悪くなると言って、その像を
夫妻に返してしまった。

しかし、夫妻はこの時、まだ歯や関節の痛みと
布袋像との関係を疑ってはいなかったので、
そのまま荷物につめて、自分たちの故郷である
イギリスに向かった。その旅の途中で一人の客が
夫妻の布袋像を気に入り、一晩だけ貸してくれと申し出た。

そして、その客は布袋像を自分の部屋に持ち帰ったのだが、
急に起った恐ろしい歯痛に悩まされることになった。
翌朝、その客は夫妻の部屋に訪れて、
布袋像を返し、昨日は歯と関節が急に痛み出して、
一睡も出来ず、布袋像を鑑賞するどころではなかったと伝えた。

ここに至り、夫妻はいままでの自分たちを襲った
不可解な歯や関節の痛みがこの布袋の像と
なんらかの関係があると確信したのである。

夫妻はイギリスに着くや否や、ロンドンの古物商を訪れて、
これまでのいきさつを説明した上でこの像を売ってしまった。
夫妻としては一刻も早く、このいまわしい像から
逃げたい一心だったのだろう。そして、二度とその古物商を
訪れることはなかった。

以上の事実は何を意味しているのだろう?
この布袋像には何か呪いでもかけられていたのであろうか? 
今となってはよくわからない。
しかし、こう考えてみればどうだろうか? 
まだこの布袋像が加工もされない、生きている象から生えている
牙だった頃・・・
何十年も前のある日、不幸にして、その象は
象牙を取る目的で、密猟者たちに撃たれたのである。
瀕死の状態でありながら、その象は生きていた。
密猟者たちは象牙欲しさに、瀕死状態の象から
無理やり牙を引き抜こうとしたのではないだろうか? 
生きていながら、ものすごい力で神経の束ごと引き抜かれる
地獄のような苦しみと恐怖を象はその時感じたのにちがいない。

その堪えがたい苦痛と恐怖は、マイナスのエネルギーとして
周囲にまき散らされ、その象が息絶えた後も、
象牙の中に記録されたのではないだろうか?
そうして、そのパワーがかなり強烈であったがゆえに、
多くの人間がそれと同様の感覚に近いものを
感受したのではないだろうか? 

超心理学では精神感応力という言葉があるが、
その能力にたけた人間であればあるほど、
物質に込められた未知のエネルギーから
さまざまな情報を知りうるという。

最近も、ニュースで、一人の精神感応力者が、
残された凶器から、死体の埋められている場所、
はては、犯人の居所まで言い当て、迷宮入りの事件が
解決したとアメリカの公式メディアが伝えている。

Author:歴史ミステリーサイト
 



夜へ急ぐ人一青窈




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労