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流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.



Kanshin021111 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。 

 
 

漢の韓信-(114)

韓信が楚の使者を前に語った言葉は、
彼の世界観を如実に示している。
彼は言った。
「国境というものは少なければ少ないほど良い」と。
一見覇道を極めようとする者の言葉のようであるが、
実際はそうではない。
彼は小さな国粋主義を嫌い、
広い視野で世界を捉えようとしていた。
しかし彼自身にも能力の限界があり、
周囲の状況も彼の理想を実現させは
しなかったのである。

漢は彭越に楚の後方を撹乱させ、
その隙に再び成皋を奪取した。
そして険阻な広武山(こうぶさん)に陣を取り、
項羽を迎え撃つ構えを見せた。
ひと口に広武山というと単独の山を連想させるが、
実はこの山は二つの峰に分かれた連山であり、
「広武山」という山名は、その総称である。

漢・楚の両国が争っていた当時にそれぞれの山が
どう呼ばれていたのかは不明であるが、
現代では東が覇王城、西が漢王城と呼ばれていて、
有名な史跡となっている。

つまり、広武山に築城した漢軍を追って
楚軍も広武山に入り、互いに谷を挟んで
対峙することになったのである。
この事実だけから判断すると、ついに漢は
武力にまさる楚によって山に封じ込められた、
と感じてしまいがちだが……。

しかし、実際は西に陣取った漢の後背には
敖倉があり、食料が尽きることはなかった。
かつて秦が強権的に民衆から収奪し、
こつこつと蓄え続けた穀物が漢を救ってくれる
……したたかな漢の戦略が、そこにあった。

これに対して東に陣取った楚の後背には何もなく、
唯一当てにできるのは遠い彭城からの
軍糧の補給路しかなかった。しかも、
これを彭越がたびたび襲撃する動きを見せ、
項羽を対処に困らせたのである。

このことを受け、対立の長期化を嫌った項羽
しきりに短期決戦を挑もうとした。が、
当然ながら劉邦はそれを受け流し続ける。
戦況は膠着状態となり、両者が対峙する期間は
思いのほか長いものとなった。

項羽と劉邦の両者の駆け引きは続き、
永遠に決着することがないように思われた。しかし、
この時こそが長らく続いた楚漢抗争の
最終局面の始まりで、いわば、
終わりの始まりなのである。

時は酈食其の死後、韓信が臨淄に
突入したころであった。
ある日の午後、楚の陣営に何やら動きが見えた。
向かいの峰の様子をうかがっていた
漢の兵士たちには、具体的なことはよくわからない。
ただ、遠目に見える楚の兵士たちの表情が
それまでになく明るく、自信に満ちていることだけが
わかった。

なにが始まるのか不審に思った漢兵たちが
様子を見ていると、やがて楚兵たちは
大きな板を持ち出し、それを漢側に見せつけるように
正面に据え付け始めた。
いったい、どういうことだろう。
板の大きさは縦が八尺、横が六尺ほどの大きさで、
ちょうど人間がひとり両手を広げて横たわることの
できる大きさである。

それがわかっても漢兵たちは事態を掌握することが
できないでいたが、やがて一人の老人が連行され、
その板に磔(はりつけ)にされるのを
確認することとなった。
そして、ようやく楚軍の意図がわかったのである。
あれは……劉太公だ!
磔にされたのは、劉邦の父であった。
彼は劉邦が彭城で敗戦して以来、
嫁の呂氏とともに楚軍に捕らえられ、
捕虜となっていたのである。

「漢王よ! 聞こえるか。今、お前の父は、
お前自身の不孝によって煮られようとしている。
悔い改めようとするならば、今すぐ降伏しろ。
それが嫌だというのであれば、お前の父は死ぬ。
言っておくが、わしはどちらでも構わない。
父親を失うか、降伏するか、
選択の自由はお前にある。
どちらか好きな方を選べ!」

項羽はそう言いながら、周囲の兵たちに
指示を出した。
すると大きな解体用の包丁やら、
料理用の大釜やらが粛然と用意されていく。
太公を磔にした板は、実は巨大な
「まな板」であったのだ。
劉邦はこの様子を確認し、いたたまれなくなった。
これまで自分は決して孝行息子などではなく、
思いのままに天下を望み、
結果的に肉親を巻き添えにして苦しめてきた。
それを常に心に病んできたわけではないが、
ここまでされるとさすがに気持ちが揺れる。
黙って殺させるわけにはいかなかった。

劉邦は怖じ気づき、行動を起こすことを
ためらったが、王としての義務がそれを許さない。
意を決して胸を張り、谷を隔てた項羽にむかって
言い放った。

項羽よ! ……わしとお前はかつて
……ともに懐王の臣となり、
兄弟の約を結んだ仲であったな。
わしとお前は兄弟! ……つまり、
わしの親父はお前の親父でもある」

現代ではとても通用しそうもない理屈だが、
これも、この時代特有の「義」の概念に基づく
論法である。
「義」は戦乱の時代のなかでの数少ない
道徳概念のひとつで、これを否定することは
当時の人々にとって最大の悪徳とされた。
また、子が親を殺すことは
「孝」の理念にも反する。

劉邦は実際に自分と項羽が義兄弟だと
信じたことは一度もなかったが、
懐王の下でともに君臣の契りをたてたことは事実で、
理論上は間違っていない。
よって、この種の論法を項羽が真っ向から
否定することはないだろうと信じた。

「お前が自分の親父をどうしても
殺すというのであれば、わしはあえて
止めようとは思わないし、
実際にここからではただ眺めることしかできない。
好きなようにせよ。ただし、ひとつだけ
お前に言いたいことがあるのだが」

ここで劉邦は内心で怯えつつも、
極めて不遜な一語を発した。
「……お前がそこの親父を煮殺した暁には、
どうかわしにもその煮汁を
一椀恵んでもらいたいものだ!」

――生意気な!
この言葉に逆上した項羽は、本当に
太公を殺そうとしたが、項伯がこれを諌め、
ことなきに至った。
劉邦は危険な橋を渡ることになったが、
なんとかこの場を乗り切ることができたのである。

広武山における楚漢対立の第一幕が、
これであった。


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


『別れの街 / 鈴木雅之





人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる


P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
    
    お風呂物語