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流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



Mousou2 日本最大の組織
(山口組)
 
創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。

 
 
その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・ 
今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。 


水鏡 鈴木一平
作詞:鈴木一平・作曲:鈴木一平


一生一度きりの 別れならばいいものを
人は幾度となく 悲しみを繰り返す
手さぐりの中で ふと 抱かれるような
甘い思い出は 通りすぎてゆく
振り返ることなく 明日だけをみつめながら
いつか来た道と 気付かずに歩いた
そこは 幸せと 不幸の別れ道
悲しみおぼえた 出逢い道

私だけの貴方には なってくれるはずがない
心のぬくもりも今は
わすれてみるわ わすれてみよう
揺れる 二人の 夢もよう






『過去の出来事』

島田紳助の右翼問題解決に動いた
人物が語る真相


2011年8月
タレントの島田紳助が、ヤクザとの交際が
明るみになった事で芸能界を引退した。
引退会見で名指しこそしなかったが、
そのヤクザというのは極心連合会の橋本弘文会長で、
両者を繋いだのはボクシングの
元世界チャンピオン渡辺二郎である。

そもそものキッカケは、十数年前、
紳助がある問題を抱え自分で解決する事が出来ず、
会社にも助けてもらえなかった出来事があり、
その問題を解決してくれたのが橋本会長だったという。
この問題についても会見で詳細は語られなかったが、
昔ある番組で紳助が右翼を侮辱するような発言をし、
その事で右翼団体から糾弾された出来事を指している。

この紳助の右翼問題が起こった頃、
橋本会長は山口組本家の直参ではなく
三代目山健組の若頭という立場だった。
それではどのように解決されたのか?
元三代目山健組本部長の片岡昭生が、
週刊誌のインタビューで当時の事を明かしている。

「十数年前に極心の会長から頼まれたんや。
渡辺二郎から話があって島田が困ってるらしい。
兄弟、右翼知らんか?」って。
ワシは「ああそれやったら俺の兄弟分で古川組若頭の
入江秀雄がおるから頼んでみるわ」言うて
入江に話を持っていった。

入江は二つ返事で引き受けてくれ片付けてくれた。
実際に解決してくれたんは入江です。
お金も一切動いてない。それから一ヶ月か二ヶ月してから
会長を通じて島田から招待があったわけです。
会長から「わしの兄弟分です」と紹介されたような
気がします。二郎ちゃんもおったように思います。
バーベキュー食べてデカイお風呂にも入れてもろて、
サッカーを楽しんだ者もおりました。
その後なんばグランド花月に行って新喜劇見て
帰りました。

十数年前の事が何故今になって売れっ子芸人の
引退に繋がるのか?「わしもおかしいな思いましたわ。
誰かが警察に喋ってるんであれば十数年前に
出てこな嘘やからね」
黒い交際の証拠メールについて は?
「会長はもともとお笑いが好きやから事実やと思う。
島田が筆マメやいう事も聞いた事ありますわ。」

引退会見でヤクザとの付き合いは深くないので
セーフと思った、と語った事については?
「マンガやね。ようのうのうと言ってるなと。
風の便りでバックが極心やと言うてると
聞いた事もある。
言いかねんやろなとは思いました。」

同じ頃に片岡は吉本の別の芸人のトラブルも
処理している。
ダウンタウンの浜田が倉木麻衣は宇多田の
パクリではないか?と発言した件である。
「サムエンタープライズの盛田から話を聞いて
ワシは右翼関係の仕事してる若い衆に
東京へ行かせました。
それで騒ぎはピシャッと終わった。

盛田のところへは吉本の林社長から話があったようです。
神戸のクラブで会いましたが金はもらってません。
もちろん浜ちゃんとも会ってません。
会う必要がないからね。」更に片岡はこう語っている。

「悪いヤクザもおりゃ何も知らん若い衆もおる。
今は任侠という言葉が薄れつつありまんな。
今のヤクザはなんでもありでんがな。
まず利害や。トラブルを解決するのにまず必要なのは
誠実さでしょう。
だから島田も浜ちゃんの件もうまく片付いた。
そやけどワシみたいな古い型の人間は
ふるいにかけられます。」
以上が現在は堅気となった片岡昭生が
インタビューで語った
吉本興業と右翼のトラブルである。


JR東京駅八重洲口射殺事件 
消えた2億円事件・


平成14年(2002年)11月25日
JR東京駅八重洲口にある富士屋ホテルの前で、
二代目佐藤組内六甲連合会々長・亀谷直人が、
三代目山健組内侠友会々長・鶴城丈二を
白昼射殺した。ともに五代目山口組系同士だった。

背景

平成9年(1997年)8月
東京都港区の路上で、車で移動中の
三代目山健組々長・桑田兼吉ら一行が、
警視庁の検問を受けた。
桑田組長の後続車両から拳銃が出てきたことから、
まず組員が銃刀法違反の現行犯で逮捕。
同時に桑田組長も拳銃の共同所持容疑で
現行犯逮捕された。
平成10年(1998年)1月
桑田兼吉を共謀共同正犯で起訴。懲役10年を求刑。
平成12年3月
桑田兼吉は東京地裁で懲役7年の判決を受けた。
桑田は即日控訴
平成13年10月
東京高裁控訴を棄却。桑田は最高裁に上告。
平成14年11月25日
上告中の桑田兼吉の二度目の保釈請求が却下された
この日、事件が起こった。

事件までのいきさつ

なぜ桑田の保釈請求が却下された日に、
事件が起こったのか?
事件当時、若頭の宅見勝が射殺されてから
次の若頭候補、司忍、瀧澤孝、桑田兼吉ら
若頭補佐が相次いで逮捕され若頭不在の期間が
5年に及んでいた。
そんな中、桑田組長の保釈が認められず
山健組では苦慮していた。
とりわけ五代目山口組々長・渡辺芳則の
意向も強くはたらいていた。

渡辺は自分の後継者には井上邦雄を望んでいたが、
井上は当時まだ三代目山健組の若頭補佐であり、
本家の直参にも上がっていなかった。
その井上にまず山健組の四代目を継承させるためにも、
山健組三代目組長の桑田を一度社会復帰させ、
話し合う必要があった。

また山健組の跡目候補には山健組若頭の
橋本弘文がおり、跡目候補としては井上よりも
一歩リードしていた。
そういう井上が山健組の四代目を継ぐ為には、
解決しておかなければならない問題が多数あり、
その為にも桑田の保釈は、渡辺と山健組にとって
必須だった。

山健組では、山健組内侠友会々長・鶴城丈二、
同多三郎一家総長・後藤一男、
同繁田会々長・繁田誠治ら3人が担当し、
桑田の保釈工作に動いていた。
なにがなんでも桑田の保釈が必要だった

山健組に近付いたのが、亀谷直人だった。
亀谷は、当時の検事総長原田明夫には貸しがあり、
自分が原田を動かす事で桑田の保釈を
可能に出来ると持ちかけた。
亀谷は、検察の裏金作りを告発しようとしていた
三井環の口封じ逮捕を画策していた検察に、
三井逮捕のでっち上げで検察に協力した事がある。

三井の逮捕容疑はいくつかあったが、
亀谷の配下は贈収賄で三井への贈賄を証言し、
三井の有罪に協力していた。
これらの事実から亀谷が検察に持つパイプは、
あながち嘘ではないと山健組では考えたはずである。
その工作資金として、山健組から亀谷に
2億円が渡った。

しかし桑田は保釈されず、鶴城から激しく詰められる。
事件があったこの日も面談し、
激しいやり取りがあったという。
渡してある2億円についても話がつかず、
場所を変えようという事になり、鶴城の若い者が
運転する車の後部座席に二人は
左右に分かれて乗り込んだが、その直後
亀谷が発砲した。

事件後

平成15年(2003年)5月
最高裁は桑田兼吉の上告棄却し懲役7年の
実刑が確定。
桑田は持病の悪化などで、勾留停止中だった。
同年7月
桑田は東京の飲食店で階段から落ち重傷を負い、
さらに収監が見合わされた。
平成16年(2004年)3月
桑田は東京拘置所に収監された。
平成17年(2005年)
橋本弘文は極心連合会々長として山健組から
直参に昇格。

山健組は桑田の引退により、若頭に昇格していた
井上邦雄が四代目組長に就任。
山口組の五代目組長渡辺芳則は引退し、
本家若頭に就いていた司忍が六代目組長に就任。
山口組内は弘道会が主導し、
山健組は沈下する事になった。

鶴城丈二を射殺した亀谷直人は、
懲役20年の判決を受け服役している。
繁田誠治は絶縁後の2003年11月に何者かにより
神戸市内で刺殺され、
後藤一男も2007年5月に同じ山健組の者により
刺殺された。


中野会が孤立する原因となったもう一つの事件

中野太郎が京都の理髪店で銃撃された直後、
もう一つ重要な事件が起きている。
京都での事件から1ヵ月後大阪市北区梅田で
生島久次が山健組系の手により射殺された。
報道では不動産会社会長とされている。

この生島久次は三代目山口組の時代、
菅谷組内生島組組長だったが1983年に
銃刀法違反容疑で指名手配された。
有名な整形外科で顔を整形手術する等して、
時効が成立するまで逃亡し、
その間にヤクザを引退し時効が成立する頃には
不動産や金融などの事業を成功させていた。

現役時代は大阪を拠点に、日本一の
金持ちヤクザと言われるほどの資金力を誇り、
山口組の直参幹部を相手にケンカするなど
武闘派としても名が知られていた。
射殺された生島久次は現役を引退していたものの、
山口組の直参何人かに金を貸し
その取立てを巡って、生島側に立った中野が
介入しトラブルになっていた事もあった。

また生島が射殺された時、付いていたボディーガードが
拳銃で応戦し、襲撃犯の一人を射殺している。
真に堅気の社長であれば、まずボディーガードが
拳銃を携帯しているという事はない。
生島もまた中野と一体となり活動を活発化させていた。

中野をバックにする生島からの厳しい取立てを
受けた直参が、たまらず話を宅見に持ち込む事も
あったという。
この生島という人物は、引退してからも
山口組内にトラブルを起こすなど、
力も資金力もあり、宅見をはじめ一部の者から
評判はよくなかった。

しかし引退後も関西のグレーゾーンに影響力を持ち、
四代目の竹中正久に江坂のマンションを提供したり、
飛鳥会事件の小西邦彦とも親交があった。
グリコ森永事件では元三代目直参の黒沢組長とともに
黒幕の噂もあった。
竹中正久が四代目時代に乗っていた
ベンツの白いリムジンは生島が祝いに
贈った物だと言われている。

そういう生島が中野会でヤクザに復帰するという噂が
この頃流れた。噂の信憑性はともかく
こういう噂が流れるくらい中野会を強力に
資金面でもバックアップしていたのが生島である。
そういう生島が殺された。

中野としても面白くない事件が続いた。
こういう事件が続く中、「いよいよ中野は
山口組を放り出される」という話が
大阪では多くのヤクザが、口にするようになる。
今までの中野会の行状からしてない話ではない。
しかし五代目との関係からありえるのか?
ヤクザは噂話が大好きである。
様々な憶測が流れた。

中野も自身が置かれている状況を把握するのに
難しくはなかった。こういう中野が頼りに出来るのは
五代目組長渡辺しかいなかっただろう。
渡辺もまた頼りにするのは若頭の宅見ではなく
中野だった。
渡辺はトップに君臨するも、五代目就任に際して
宅見に多大な労をとってもらい、
就任後も実質的な権限は宅見に奪われていた。
渡辺との関係そのものが、中野に
一か八かの勝負に打って出させてしまったのだろう。
宅見暗殺がもし中野会の手によるものだと
表に出なければ、今の山口組は
どのようになっていたのだろうか。
渡辺から中野へと継承しても不思議はない関係が
当時はあった。

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『メリーゴーランド』 すぎもとまさと




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……