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流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想……

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


火遊び 前川 清 -北貴美(ほうたかみ)-



メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

Author:紀之沢直



Kanshin021111 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。
 
 
 
 
漢の韓信-(110)

大は皇帝や王、小は邑の父老に至るまでの
当時の権力者の間には、自分の発言に責任を持たないという
共通する政治的手法が存在した。
やや皮肉に近い表現ではあるが、これは彼らが置かれた状況に
柔軟に対応し、その都度自分の意見を変えた、ということである。
時には自分より上の権力者の側に寄り添い、
またある時には民衆の側に立った行動を示した
彼らの政治は、まるで綱渡りのようでもある。
しかし、彼らも政治家である前にひとりの人間であることは
間違いなく、そうである以上本音というものが
心中にあることは確かであろう。
その本音を押し殺して政治に徹することができたという事実は、
賞賛に値するものかもしれない。
しかし韓信決してそれに倣おうとは思わなかった。

曹参はもと沛の獄吏であり、そのころから
蕭何の下で働いていた男である。その彼が上役の
蕭何と諮り、沛のごろつきに過ぎなかった劉邦
担ぎ上げたところから漢王朝の歴史が始まった、
と言っても差し支えない。

のちに蕭何の死後、漢の二代目の相国として
王朝創業時の混乱期を支えたことから判断しても、
いかに彼が有能な人物であったかを想像することは
難しくないだろう。しかし、
劉邦が彭城で惨憺たる敗北を喫してから
皇帝に即位するまでの間、彼に与えられた役割は、
ほぼ一貫して韓信の下の一武将として働くことであった。

魏豹を征伐する作戦に招集されたのに始まり、
代、趙の制圧、続いて斉の攻略……。
曹参がこの間に韓信のもとを離れたのは井陘の戦いの後から
斉へ出撃する間までしかない。

劉邦の意図が、自立の可能性が高い
韓信の行動を監視させることにあったとすれば、
信用できる重鎮である曹参にその役目を与えた、
ということであろう。

しかし疑惑のある韓信に替えて曹参を大将に任じた、
という事実はなく、これは曹参の才が
韓信のそれを上回ることがなかった、ということを意味している。
韓信は言葉にこそ出さなかったが、そのことを後ろめたく感じ、
曹参と会うときには遠慮がちに言葉を選びながら
話すことを常としていた。だが、
当の曹参はあまりそのようなことを気にせず、
おおらかに、細かいことを言わず、
包み込むような態度で韓信と接したという。
のちに蕭何の跡をついで相国となり、
人民を統治するにあたり「静」・「清」の二点を重んじて
善悪正邪を併せ入れることに徹したという
彼の性格の一端が、ここに顕われている。

この当時の曹参は武将であったが、
韓信は曹参のそのような点を信頼し、
斉国内の鎮撫を含めた内政の大部分を彼に任せ、
自身は国境付近を渡り歩いて再び楚が
介入してくることに備えている。
その曹参が使者をよこして、韓信に訴えた。
言上は次の通りである。

「斉の住民は漢の支配を快く思わない様子……。
民衆は我々に石を投げつけ、武威を示しても
畏怖する気配もなく、日夜、騒動が絶えない。
このまま放っておくと騒動が反乱となり、
反乱は戦争に至る。私が思うに、
これは斉の住民の不安が引き起こした事態である。
彼らは王国の維持を期待し、
斉が漢の一郡となることを欲していないのだ」

この言を受けて韓信は臨淄に向かい、
それとなく住民の様子を観察した。
しかし臨淄の街道は戦時の混乱期にも関わらず、
以前と変わらぬ賑わいを見せ、
表面的には不穏な空気は感じられない。
住民に対しては、たとえ領主が変わっても
自分たちの生活には干渉させない、
という意気込みさえ感じた。

ただし臨淄の風景は、韓信が想像していたものと、
やはり若干違った。
彼は臨淄を学問の都として捉えていたのである。
戦国時代の斉は学問を奨励し、
諸国から集まった学者たちに臨淄の南門にあたる
稷門(しょくもん)周辺に邸宅を与えて住まわせていた。
彼らはそこで日夜論議を交わしながら研究にいそしみ、
これが斉のみならず中国全体の文化発展に
寄与したのである。

これらの学者たちは稷下の学士と呼ばれ、
その代表的人物として、かの孟子荀子がいる。
しかしこのときの臨淄の街角では、
人々は闘鶏に興じ、たむろして博打を打っている。
辻には怒号が飛び交い、路地裏には
ならず者たちが闊歩していた。
活気があることは確かだが、殺伐とし過ぎていて、
それが健全な活気であるとはいい難い。
学問の都だからといって町中の人間が皆
学者であるはずもなかったが、
もう少し秩序のある世界を韓信は想像していたのだった。

実際に臨淄の様子を見て不安を抱いた韓信は、
城内の父老連中を招き、議論の場を設けた。
民衆の心を安んじるには、まず父老から、というのが
この時代、この国の定石である。
「……私が見るに、斉の人心は荒れているようだ。
私の認識では、臨淄とは諸国から学問を志す者が
一同に集結する場所で、百花繚乱の文化が
花開いた土地であったはずだが、実際に見てみると、
とてもそのような印象は受けない。
これは単に私の認識違い、ということなのか。
それともなにかの原因によって民衆は
すさんだ心を持つようになった、ということなのか」

これに対し、父老たちは若い韓信
鼻で笑うような態度をとった。
「臨淄は学者だけの町ではござらぬ。
鉄、銅、織物……。これらの産出量で
臨淄の右に出る城市はないであろう。
臨淄は当代きっての工業都市なのだ。
ゆえに、城内にはいろいろな者がいる。
その中には性格が穏やかな者も、荒い者もいるであろう。
その中で荒れた者が目立つのは自然なことだ」
父老の一人はそう語ったが、臨淄が
大都会であることを誇りとし、それがあたかも
自分の功によるものであるように語るのが、
韓信には気に入らなかった。
「なるほど臨淄は大都会で人口も多く、
さまざまな性格の者がここに居住している。
しかしだからといって、人民が兵に
石を投げつけたりすることを座視するわけにいかない。
趙の邯鄲は臨淄と同じような都会であったが、
このようなことはなかったのだ」「経緯が異なる。
臨淄の住民は、斉の王室になにが起きたかを
知っているのだ。つまり、漢によって騙され、
滅びたということを、だ!」

つづく
Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


『 Hey! Mr.わたしが愛した早打ちマック』 すぎもとまさと



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる


P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
    
    お風呂物語