流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー、



「親孝行をしてますか」
「孝行をしたい時には親はなし」

このところ、五十肩で整体マッサージにかかっています。
とても穏やかな先生で、なにげない会話を交わしながらの
治療は、心まで癒されます。
さて、その先生のお母さんのお話です。

お父さんが早くに亡くなったので、
お母さんは女手一つで息子二人を育ててきました。
その苦労のせいか胃腸が弱く、
歳を取って床に就くことが多くなってからは、
いつも身体がだるいと言っていたそうです。
そこで、先生は、診療後や診療時間の合間を縫って、
お兄さん夫婦と暮らしているお母さんのところへ行き、
毎日のようにマッサージをしたそうです。

いくつになっても母親というものは、
子供の心配をするものです。
マッサージが終わり、車に乗って帰る姿を、
お母さんは重い身体を這って、窓のところまで行き
窓ガラスを開けて手を振って
「気をつけて」と見送りました。
「今日は、風邪をひいているから、
寒い風に当たるといけないよ」と言っても、
窓を開けて見送ったといいます。

さて、病気が重くなり、入院をすることになりました。
先生は、病院へお見舞いに行くとともに、
やはりマッサージを続けました。
だんだんと衰弱していくのがわかりました。
そんなある日のことです。
ふと、お母さんの目のを見ると、
なぜかボーとして力がありません。
「おふくろ、ちゃんと見えてるか」と聞くと、
急に瞳を大きく見開いて
「見えとるよ」と言いました。

でも、毎日、毎日、身体に触れながら
状態を見ている先生には、
残された時間が少ないことがわかったそうです。
「今日は、どこを揉もうか」と聞くと、
その日にかぎって
「いままで充分やってもらったから、もういいよ」
と言われました。
先生は、こう言いました。
「今まで、ありがとうな」照れくさくて、
そんなことは口にしたことがありませんでした。
すると、お母さんも、
「ありがとうね。マッサージしてもらって幸せだったよ」
そして、一緒に来ていた先生の息子さんに
こう言ったそうです。
「おまえも親孝行しなさいよ」
これに、「うん、わかったよ」と答えてくれたそうです。

翌日、お母さんは眠るように亡くなられました。
先生は言います。
「親孝行ができてよかった。この仕事をしていたおかげです。
オフクロはもちろん、人から喜んでもらえる
仕事に就けたことは、何よりの幸せでした。」
「オフクロは、亡くなる直前に、
親孝行のことを息子に話をしてくれた。
これもありがたいことでした」
言い古された言葉ですが
両親を亡くしている私には、心に響く言葉です。


父に会いたい・記憶にもない父を想う



ペンネーム・玉手箱ひかるさんのお話
「パンを積んで山の中へ」


私は、山梨でパンを移動販売する仕事をしています。
前任者から受けついだコースを回り、
事業所や個人のお宅を回っています。
月曜日・火曜日のコースは、
入社したときから売れ行きの悪いコースでした。

通常の販売の途中、チラシ配りや
飛び込み営業などを行ないながら、
新しいお客様を増やすのが私の仕事です。
入社して早三ヶ月。一生懸命やっているのですが、
その日、いただいた既存のコースをすべて回りきっても、
30袋ものパンが残っていました。

困った私は残っているパンを積んで、
甲府市内から車で1時間ほど走り、山の中の村に到着しました。
ある程度すれ違いができそうな場所に車を停め、
バンジュウ(箱)に品物を載せて日よけをかぶせ、
そこからは、歩いて民家を訪問することにしました。
洗濯物がはためく民家を一軒一軒まわると、
意外にも留守の家が多いことに気づきます。
草花が風にゆれて美しく輝き、村の風景や、
入り組んだくねくね道、高低差のある土地の形状を
見ているととても楽しい気持ちになってきました。
在宅している家から出てくるのは、
見るからに70歳以上のお年寄りでした。

「パンいかがですか?」と声をかける私に、
「…ひとりで暮らしているから、あまり食べられないよ」
「…年寄り二人きりだからねぇ」そんなふうに答えながらも、
「わざわざこんな遠くまで上がって来てくれたんだから、
ひとつもらおうか」そう言って、4個入りで360円のパンを一袋、
買ってくださいました。
年齢のために震える指で、一生懸命小銭を数え、
私の手に乗せてくれる。
この360円の、なんと重たいことでしょう!
「悪いな、待っててな、あと10円がひとつふたつ…」
動きが遅いことを詫びながら、間違えないように、
丁寧にお金を渡してくださいます。
お爺さんやお婆さんの心づかいに、
嬉しくて涙が出そうになりました。

ここの暮らしは質素でも、お爺さん・お婆さんには
満足な暮らしなのかもしれず、
私のパンは、本当は必要ないものなのに、
私の労をねぎらって買ってくださっているのかもしれない。
それは、罪ではないのだろうか。
お年寄りからお金を巻き上げるような
行為になっていないだろうか…。
しかし次の瞬間、少し心が晴れました。
「また来てね」「この上の家にも欲しがるおばさんがいるよ、
買うかわからんけど行ってみてやって」
お爺さん・お婆さんは、まるで私の亡くなったおじいちゃん、
おばあちゃんがそうだったように、
優しい笑顔で見送ってくれました。

月曜、火曜のコースは、比較的街の通りが多く、
5分も歩けばコンビニがあるというお宅へ訪問することも
しばしばです。 売れなくて当然。
急な細い山道を、一軒一軒歩きながら思いました。
時にはご迷惑になることも承知で、こういう山の中の、
お爺さんやお婆さんを訪ねてゆくことも、
私がこの仕事をする意味があるのでは
ないだろうかと。…



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだ…よ、
言えば愚痴になるから…。



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる





P R
きれいなお風呂・宣言

お風呂物語