流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり 
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あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)

 
 
『ある病院での物語』
見方が変われば、希望が見える。


寝たきりで首も動かせない男性が病室に運びこまれたとき、
もうひとりの患者が窓際のベッドに横たわっていました。
お互いに親しくなると、窓際の患者は窓から外をながめて、
外の世界についてくわしい話をしだしました。

「今日はいい天気ですよー。
青空にぽっかり雲が浮かんでいます。  
向かいにある公園の桜が咲き始めたところですよ」
別の日には、
「今日は風が強い日ですから、木の葉が揺れて、  
まるでダンスをおどっているようですよー」などと、
寝たきりで首さえ動かせない彼に 語って
聞かせてあげたのです。

彼は窓際の男性が語るその光景を想像することで、
毎日毎日、心が慰められました。
そして、自分も外の世界が見えるように
早く病気を治そうと思うのでした。

しばらくして、窓際の男性は退院することになりました。
もうひとりの男性は喜びました。
「やった。これで、自分が外の世界を見ることができる。  
これからは、自分が窓の外の世界を見て
新入りの患者に話して聞かせてやろう」

看護師にベッドを窓際に移すように頼むと、
すぐに聞き入れてくれました。
しかし心躍らせて窓の外に目をやった彼は、
愕然としました。
窓はコンクリートの壁に面しており、
外の世界など何も見えなかったのです。

それから彼は考えましt、 あの窓際の男性は、
いったい何を見ていたのでしょう。
彼の目が見ていたのは灰色の壁でした。

しかし想像の力で、その向こうにあるものを
見ようとしていたのです。 そして、
ただ天井を見ることしかできず、 いつも辛そうにしている
ルームメートのために、 自分の思い描いた
壁の向こうの世界を話して聞かせてくれていたのです。

同じ壁を見て、ある人はその壁だけを見ます。
別の人はその先にある「希望」を見ます。
状況は同じであっても、見方によって見えるものは
違います。 辛い困難な状況にいるとき、
物事の暗い面だけを見てしまいがちです。

しかし、希望をもって、少し前向きに、
少し積極的な見方をすることによって、
明るい局面を、私たちは見ることができるのです。
そして、見えてきた希望を、まわりの人にも語り、
沈んでいる人を元気づけてあげることもできるでしょう。

「雲の上にはいつも太陽が輝いている」(三浦綾子
壁の向こうにも、雲の上にも、光は輝いています。
暗い夜の先には、明るい朝が待っています。
希望はいつでも、あるのです。

Author:中井俊已



『命について考える』

日本全国で「いじめ」のニュースが伝えられています。
自ら命を絶った子供たちがいます。
どれほど辛かったか。 どうして、そこまで
追い詰められたのか。
誰も手を差し伸べてくれなかったのか。
ご両親は、どれほど辛いだろう。

そう考えると、胸が引き裂かれるような思いがします。
鈴木中人さんは 「命」の大切さを伝える仕事をしています。
彼は、お嬢さんを6歳のときにがんで亡くしました。
それを契機に勤めていた大手自動車部品メーカーを辞めて、
特定非営利活動法人「いのちをバトンタッチする会」を
立ち上げました。

そして、全国の学校や会社で講演を行い、
親や子と一緒になって「命」について考える
活動をしています。
その様子は、NHKなどでも特集番組として
全国放送されました。

その鈴木さんからこんなメッセージが届きました。
自殺…。今、思うことをつづります。
私は、生徒の自殺があった7つの中学・高校で
「いのちの授業」をしました。
自殺を受けての教職員や地域の緊急大会での講演も。
全て、一見すると「普通」の学校・地域でした。
自殺者3万人時代。
自殺は、いつでも何処でも誰にでも起こりうるものです。
「死にたい」「自殺をやめました」…、
そんな声もいただきます。何を心すれば
良いのでしょうか?

ある中学生のメッセージ。
「ある出来事で、死にたいと思うようになりました。
親にも言えない。なぜ自分は生きているのか。
机の木に、爪で『死にたい』と毎日掘り続けました。  
もう耐えられなくなって先生に話しました、泣きながら。  
母に伝わります。母は目の前に泣き崩れました。  
でも直ぐに私を抱きかかえて一緒に泣いてくれました。  
『生きている』と実感しました。  
今もそのことを思うと吐き気がします」

「死にたい」と思う人の心は、絶望的な孤立感です。
自分は一人ぼっち、生きる価値がない、
誰も自分のために涙を流してくれない…。
まず、「あなたは一人ぼっちではない」と
体で感じてもらう。 そして、その人が
背負っている重荷をなくしてあげる。
一刻も早く、時には毅然と。

万一、自殺が起きたとき。 遺された家族は
自分を責める、
人知れず血の涙を流し続けます。
その人に石を投げないでください。
周りの人は、哀悼の意を示し、
起こったことに真摯に、人間として向き合う。
その大人の姿を、子どもたちは
みつめています。

自殺は悪い。ただそれだけを教えないでください。
子どもに微妙な心の変化を生じさせることもあります。
「死ぬ奴が悪い」。
大切なことは、困っている・弱い人に
どのような目線をもつか。
あなたも友達も、・つながっている・
愛されていることを 実感させてあげてください。

「どんなことがあっても、お父さんお母さんよりも
絶対に早く死んではいけない!」
あなたの思いを、あなたの言葉で語ってください。
いのちは、かけがえがない。
いのちは、自分だけのものではない。
遺された人は、いっぱい涙を流す。
だから、いのちを大切にしようね、と。
小さないのちの思いが、涙する人に
届きますように…。

Author:鈴木中人



『ありがとうと伝えたい…母への思い』


人生で起こることは何か大切なことを
気づかせて くれるために起こるようです。
人生で最も大切なことを両親から教えられました。
父も母も今はもういませんが、 大切なことを
教え残してくれました。

父からは『あり方』でした。 みんなから愛されていた父に、
最も愛されていたのは自分だったということがわかったとき、
父が亡くなったあとも後から後から涙が流れてきました。

それから6年後、桜が舞う季節 。病院主催の
お花見会に参加するため、病室から小さくなった母を
車椅子に乗せて近くの神社に足を運びました。
母が34歳の時に難病のベージェット病が発症しました。
母がずっとつけていた日記には、ほとんど毎日のように
微熱や頭痛があると書かれていた。
妹と一緒に、その日記を見ていて辛くなった。
無理をすると発症するからと医者には言われていたようだ。

子供たち二人が学校から帰ってきたらお腹を空かさないように、
いつもお菓子が買ってあった。
お菓子はいつも妹と半分にして分けた。
看護婦をしていた母にとって、毎日のように
お菓子を買っておくことだけでも大変だったはずだ。

神社には桜が舞っていて、ポカポカと暖かく気持ちが良かった。
看護師の方たちが おいしいおでんを振舞ってくれている。
よく煮込まれた大根はとろとろでした。
看護師さんからスプーンが手渡された。
今日は、母にもちょっとだけなら食べさせても良いという。

病気のため、母の身体がだんだんと動かなくなっていった。
ついに身体に必要な栄養を毎日3度の
点滴で補うようになっていた。
幼い頃に大火傷を負い、頭皮に後遺症が残った
母のこれまでの人生は 辛かったことのほうが多かったはず。
いったい何が楽しかったんだろうかと妹と話したことがあった。

人を傷つけることは決して言わなかった。
誰に対しても優しかったのは人の痛みが
よくわかったからなのかもしれない。
母の病気が進行するにしたがい、身体の自由が
利かなくなった母の身の回りのお世話をすることが
多くなっていった。

そのうち、母を幼い子供のように接するようになっていた。
「おでんが欲しい?」と聞くと 食べたいという。
久しぶりに人間らしく口からおでんを
食べさせてあげられることに嬉しさを感じた。
おでんを小さく小さく刻んで、スプーンの上にのせ、
口元に運んで食べさせた。「おいしい」
母が本当に美味しそうに嬉しそうなので、
自分も本当に嬉しくなり、 嬉しくて、
嬉しくて涙がにじんできた。

口元にスプーンでおでんを運ぶとき、私が赤ちゃんの時に
母がおでんを私に運ぶのと同じように
スプーンで 口元に運んでいたときの映像が入ってきました。
子を思う母の愛情がポンと心に入ってきました。
時を越えて、母の愛を受け取った瞬間でした。
そこには、愛しかありませんでした。
子が存在しているだけで愛おしく感じる心。
自分のすべてを注ぎ込む愛情がそこにはありました。
母の無償の愛を感じて泣き崩れました。

おでんをのせたスプーンを口元に運びながら
無理に微笑もうとすると余計に涙が溢れます。
こんなにも愛されていたんだと思うと涙が
止まりませんでした。もっと親孝行すればよかった。
もっと作ってくれた料理をおいしいって
言ってあげればよかった。

それなのに、こんなにもこんなにも愛されていたんだ。
そう思うと涙があふれて止まりませんでした。
「こんなに素晴らしい行事をしてくださり、  
本当にありがとうございました」
感謝の手紙を院長先生宛に出しました。
心から接してくれる看護師さんたちを
院長先生に褒めていただきたかったのです

それ以降、母は友人から呼ばれていたように
看護師さん達からは、 「あっこさん」と
呼ばれるようになっていました。
母の最期の友人たちでした。
『人には優しくしよう』 これが、母から学んだことです。

それから数年後、最愛の妹にガンが見つかった。
聞いたとき、目の前が真っ暗になりました。
目を開けているのに何も見えませんでした。
祖父母、両親をすでに亡くしている自分にとって、
たった一人でこの世に残されるような虚無感を
感じました。全く現実を受け入れられませんでした。

手術は成功しました。 いまは、再発の可能性が
なくなる5年が無事に過ぎればと思っています。

心の底から気がついたことがあります。それは、
人生で一番大切なことは、 一番大切なことを
一番大切にすること。
好かれていない人のご機嫌を取るより、
自分を愛してくれている人のために
時間をもっと使おう。
でっかいことをしようとするよりも、
いつも見守ってくれている人が喜ぶことをするために
時間をもっと使おう。
ありがとう、ごめんなさいがちゃんと言える人になろう。
人に迷惑だけはかけない人生にしよう。
嬉しいときには嬉しいとちゃんと伝えよう。
愛している人に愛しているとちゃんと伝えよう。
人生で一番大切なことだから、
親が子供に一番最初に教えることなんだと
心に落ちます。(納得・理解する)

Author:宮本忠行


『世界の絶景 1…』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、
  添わぬ先から、この苦労