流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

言葉の魔術師・言葉の達人

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。


「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。


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今回は、「四季の歌」芹洋子、
「哀しみ本線日本海」森昌子
時の流れに身をまかせテレサ・テンなど
数多くの作詞でお馴染みの
荒木とよひさ」さんです。


代表作

四季の歌」 芹洋子
「哀しみ本線日本海」 森昌子
「つぐない」 テレサ・テン
時の流れに身をまかせ」 テレサ・テン
「すずめの涙」 桂銀淑
「めだかの兄妹」 わらべ
「想いで迷子」 チョー・ヨンピル
「恋唄綴り」 堀内孝雄
浮雲ふたり」 神野美伽 etc.



歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…



テレサ・テン つぐない
作詞:荒木とよひさ・作曲:三木たかし

窓に西陽があたる部屋は
いつもあなたの 匂いがするわ
ひとり暮らせば 想い出すから
壁の傷も 残したまま おいてゆくわ

愛をつぐなえば 別れになるけど
こんな女でも 忘れないでね
優しすぎたの あなた
子供みたいな あなた
あすは他人同志になるけれど





作詞論

 とにかく自分の心(人生)に詫びること。


作詞家になったきっかけは?

 19歳の頃、スキーの事故で病院に
 2年半入院した時に、ベッドで作った
 「四季の歌」が一人歩きしたこと。


プロ、初作品について

 「四季の歌」

作品を提供したいアーティスト

 矢沢永吉井上陽水etc.


あまり売れなかったが、私の好きなこの歌

 テレサ・テンの「恋人たちの神話」


なぜ「詩を書くことを選んだか」

 それしかなかったから。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス

 作品はどんどん書いて、惜しがらずに
 どんどん捨てること。


一口メモ

 
誰の為でもなく、レコード化を考えたわけでもなく、
 ただ自分の為に書いた詩である。

私の好きなあのフレーズ

 「悲しいけれど 少しずつ  
 忘れていいよ ボクのこと」


プロフィール 

 1943年大連生まれ。
 日大芸術学部在学中より音楽活動を始める。
 71年フォークグループ「有限会社荒木組」結成。
 72年、ミリオンセラーとなった「四季の歌 」
 (作詞・作曲)で作家デビュー。
 20歳代半ばより手がけたCMソングの数は
 2000曲余りに及ぶ。

 同時並行にバンド活動も続ける。
 30歳代半ばより、作詞家としての活動に重点を置く。
 「哀しみ本線日本海」(作曲:浜圭介、唄:森昌子)で
 日本作詞大賞優秀作品賞を受賞。
 40年間で実に2000を超える歌謡曲を手がけており、
 多数の受賞暦を誇る。「恋唄綴り」(作曲・唄:堀内孝雄)は、
 日本レコード大賞日本歌謡大賞をダブル受賞している。
 その後の活動はCMソング、歌謡曲、イメージソング、
 社歌、校歌などの作家活動のみにとどまらず、
 音楽企画プロデュース、ラジオパーソナリティー
 講演、ライヴ活動、ナレーション、エッセイ執筆など
 多方面で活躍を続けている。

 2003年、子供時代からの夢であった映画製作に進出を果たす。
 「いつかA列車(トレイン)に乗って」は、
 記念すべき監督第1作である。


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

惚れた数から、振られた数を、引けば女房が、残るだけ

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