流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

漢の韓信-(97)

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Author:紀之沢直

kensin 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。  


漢の韓信-(97)滎陽脱出

その日、滎陽の東門が開き、
中から二千人ほどの部隊が突出を始めた。
楚兵たちは突然の展開にみな首を傾げたが、
包囲している側としては、期待していた事態である。
一斉に攻撃を始めた。しかし漢兵たちは
抵抗もろくにせず、散り散りになって
逃亡するばかりである。

楚兵たちが追いかけてその姿形を確認してみると、
どれも甲冑に身を固めた女であるらしかった。
いぶかった楚兵たちが状況を把握できないでいるうちに、
彼らの前に目にも眩しい黄色い布で
全体を覆い尽くした車両が現れた。
その車両は随所に牛や犛牛(ヤク)の尾を
飾りとして施した大旗を靡かせており、
いわゆる黄屋車(こうやしゃ)という
漢王劉邦の専用車両であった。

「余は漢王である! いま余と余の軍は、
城中の食が尽きたため、休戦を申し出る。
戦闘をやめよ! 
余は楚に降るであろう」
楚兵たちはこれを聞き、みな感動して
万歳を叫んだ。

「ついにやったぞ」
「これで国に帰れる」兵たちは武器を捨て、
互いに抱き合い、無邪気に自分たちの
勝利を信じて喜びを表現した。
その隙に甲冑姿の女たちは四散して
残らず姿を消した。
あとには黄屋車だけが残った。

しかしその車両も項羽の本陣までたどり着くと、
主人の漢王だけを残し、滎陽城に引き返していった。
知らせを聞き、奥から姿を現した項羽
目の前の男を見るなり、激怒した。
顔中に広がる憤怒の色を隠そうともしない。

「貴様、漢王ではないな! 何者だ!」
漢王を称したその男は、項羽の面前で付け髭をとり、
上げ底をした履物を脱ぎ捨てた。
そうするとまるで王の貫禄などはなく、
意外なほど小男だったのである。

項羽の周囲の者は、あっけにとられた。
「我こそは、漢王を詐称する逆賊紀信である! 
楚の馬鹿者ども、その濁った目に
この姿をしっかりと焼き付けておくがいい!」

項羽は頭に血が上り、相手の胸ぐらをつかんで
恫喝した。
「貴様がどこの誰だろうと関係ない! 
劉邦はどこだ」
「お前が何者だと聞くから答えてやったのだ。
劉邦の行方など知らぬ!」

「この……無礼者め!」
項羽は紀信を突き放し、唾を吐き捨てるように
言い放った。
しかし紀信はその様子を笑い、
からかうようにして跳ね回る。
「お前がいくら腹を立てても無駄だ! 
すでに漢王は滎陽にはおらぬ。
やい、項羽の馬鹿め! 人殺し! 鬼!」
項羽はさらに逆上して紀信を指差し、
周囲に向かって叫んだ。
「……こいつを、焼き殺せ!」

自分の身が炎で焼かれていく状況を、
紀信はあまり観察しないようにした。
それを考えると、ともすれば
「助けてくれ」と言いたくなってしまう。
あと数刻で楽になれる、
我慢だ、と思うようにして、
あとは未来の自分に対する評価に
思いを馳せることにした。

家族が不本意ながら、幸せな生活を
送っている姿が見える。
ざまを見ろ。兄と嫂が子供たちを囲み、
弟の武功を誇らしげに話して聞かせる
場面が見える。

偽善者どもめ。俺はお前らのことが心底嫌いだ。
それを想像すると不思議なほど気が紛れた。
体はいつの間にか焼き尽くされ、
紀信はそれに気が付くこともなかった。
紀元前二〇四年七月、
紀信の人生は死を目前にした最後の
瞬間にのみ輝きを放ち、その蜉蝣のような
一生は幕を閉じた。

紀信が項羽に悪態をついている間に、
劉邦や陳平らはごく少数の護衛を従え、
滎陽城をあとにした。
諸将もそれに次いで段階的に脱出をはかり、
彼らはひとまず関中に入り、
再起を期すこととなったのである。
滎陽城には周苛、樅公ら少数の守備隊が残されている。

劉邦には彼らを見捨てる気持ちはなかった。
「早く陣容を整え、滎陽を救うのだ」
言うばかりでなく、劉邦は実際に行動に移そうとしたが、
それを止めた者がいる。
「滎陽へ出ては、楚軍と正面から戦うことになり、
これまでとなんら状況が変わりません。
それよりも武関から南方面に出兵すれば、
楚軍は滎陽を捨て置き、
そちらに兵を向けることになりましょう」

劉邦はその言をよしとして、
河南の宛(えん)葉(しょう)という地に出兵し、
楚軍をおびき寄せようとしたが、
結局滎陽を救うという目的は果たせずに終わった。
紀信が項羽によって焼かれたのは七月のことで、
その後、周苛が魏豹を殺害したのは八月のことであった。

さらにそのひと月後滎陽城は攻略され、
項羽の手に落ちた。
周苛を始めとする残存守備隊が滎陽を守り通したのは
二か月程度であり、
その期間は短いようでいて、長いようでもある。

劉邦が河南の地に出兵し、
陽動を試みたが間に合わなかったことを思えば、短い。
しかしそもそも食糧難を最大の理由に
劉邦が撤退したことを考えれば、
周苛らは長期間にわたって滎陽城を死守した、と
評価するのが正しいかもしれなかった。

少なくとも実際に敵として周苛と渡り合った項羽は、
そう感じたようである。
「貴公、わしのもとで将軍とならぬか。
上将軍として、三万戸の封地を与えよう」

項羽は引見した周苛に誘いの言葉をかけた。
敵を無条件に憎みぬくことを旨としてきた
この男にしては、極めて希有なことである。
それだけ周苛は奮戦したということで、
さしもの項羽も敵将の行動に美を感じた、
ということだろう。

しかし、周苛はそれを拒絶したのである。
「私は、常に勝つ側にいることを望み、
敗れる側にいることを望まぬ。
つまり、お前は、敗れて虜になるのだ。
殺されたくなければ、せいぜい早めに降ることだ。
お前など……漢軍の敵ではないのだ!」

周苛は煮殺された。釜茹での刑である。
この刑は、他の刑罰に比べて
圧倒的に死を迎えるまでの時間が長い。
当然被刑者が死の恐怖を味わう時間も長く、
それだけに見た目以上に
残酷な刑であるといっていいだろう。
水温が徐々に上がり、それにつれて
死が刻々と近寄るのを実感しながら
精神の平衡を維持するのは大変なことで、
大抵の者は途中で「助けてくれ」と泣き喚く。

あるいは項羽は周苛が「助けてくれ」と言えば、
助けたかもしれない。
しかし、釜の中の周苛は、
一切そのようなことは口にせず、
目を閉じ、無言のまま息を引き取った。
周苛は死ぬ瞬間まで自分に取り乱すことを許さず、
謹直な男であり続けたのである。
よって彼がどの瞬間に死んだのか、
正確に知る者はいない。
項羽はあわせて樅公を殺し、
韓王信を捕虜とした。
ここにおいて滎陽城は
その役目を終えたのである。


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、
狂人は未来を語る



歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


『雪深深 』 藤あや子




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴と、言い訳になるから……


『別れの宿 』美空ひばり



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる





P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

Furo1