流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!


信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Author:紀之沢直

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期という動乱の時代に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
そこから始まる彼の活躍…
国士無双」「背水の陣」「四面楚歌」。
そんな彼を描いた小説。




韓信-35-咸陽落城

秦の領土は小さくなった。
実効的支配地域は関中に限られ、
その関中もいまや危機にさらされている。
趙高は関所の外の諸王国を刺激しないよう思案を巡らし、
空名を擁して皇帝を称することを避け、
胡亥の兄の子である子嬰(しえい)という人物を探し出して、
これを単に「秦王」とした。

趙高の意図は、はっきりしない。
この段階に至って、わざわざ子嬰を擁立することに
一体どんな意味があるのか。
趙高はかつて劉邦に密使を送り、
「二人で関中王の座を分け合おう」という意思を
伝えているが、胡亥の殺害に成功した時点で、
自ら王位に就くという意志は
持ち合わせていなかったようである。

ではその反対に、子嬰を擁することで
秦の社稷を保つという、臣下としての
責任感があったかといえば、それ以前の行動から判断して、
そうとはいえないであろう。
つまりは陰茎を抜いた、男でも女でもない
宦官という精神不安定な人間のなせる業であった。
擁立される側の子嬰には、それがわかる。

「趙高は皇帝を殺した。いずれ私も同じように
殺されるであろう。趙高は、
楚を相手に密約を交わそうとした、とも聞いている……。
私は機会を見て、趙高を殺そうと思う」
子嬰は二人の息子にそう話したという。
王となるには、その身を清め、
先祖を祀るみたまやで玉璽(ぎょくじ)を受け取ることが
伝統的な習わしとなっており、子嬰もこの例にならい、
斎戒して宗廟に出向くことになっていた。
ところが子嬰は斎戒の途中で病気を発したと称し、
いっこうに宗廟に姿を現さない。

趙高は人をやって何度も催促したが、
子嬰は動かなかった。そこでしびれを切らした趙高は
ついに自ら説教しようと子嬰のもとに足を運んだのである。
これにより機会を得た子嬰は、
斎戒の場に伏兵を忍ばせておき、
趙高の姿を確認するや、斬ってかからせた。
しかし複数の兵に斬られながらも、趙高はしぶとかった。
いくら斬られてももんどりうつばかりでなかなか
息絶えようとしないのである。 

兵たちはしだいに気味が悪くなり、後ずさりを始めた。
苛立った子嬰は叫ぶ。「早く首をおとさないか!」
だが、兵たちは揃って首を振った。
「私どもの剣では、もうどうにもなりません。
剣が脂まみれで刃がたたないのです」
しかたなく子嬰は、自ら剣を振るって、趙高の首をおとした。

「人間の化け物め。兵士の剣まで腐らせるとは……。
私のこの剣はすでに汚れた。
もう二度と使うことはないであろう」
稀代の奸臣を討ち取ったという達成感はない。
子嬰の心に残るものは、後味の悪さと
薄気味悪さばかりであった。

嬰が秦王として君臨してから四十六日め、
劉邦の軍は武関を破り、ついに関中への侵入を果たした。
劉邦軍は決して破竹の勢いでここまで来たのではなく、
あちこちの城を攻めては攻めきれず、
あるいは勝ち、あるいは負けたりしながら、
ようやく武関までたどり着いた、というのが実情であった。

その後、覇上(はじょう)に駐屯した劉邦軍は、
ひとりの客を迎えた。その客こそが秦王子嬰である。
子嬰は車にいっさいの装飾をせず、
身に白装束をまとい、自らの首に縄をかけて
劉邦の前に拝謁した。
首の縄は、いつでもそれを縛って
自殺する覚悟ができていることを示している。
手には皇帝の玉璽と割り符を治めた函があった。
それを劉邦に渡そうというのである。
誰の目にも降伏するつもりであることは明らかだった。
諸将の中には秦を恨む者も多く、
そのため子嬰を殺そうと主張する者は少なくない。
しかし劉邦は子嬰を殺さず、
処分を保留し、監視するに留めた。

「子房、秦王をどうすべきであろうな? 
懐王のもとにでも送り届けるべきであろうか」
子房とは張良の字である。
張良は戦国時代の韓の遺臣で、
このころから劉邦幕営に身を寄せ、
軍師として活動している。
負けてばかりいる劉邦が苦しみながらも
関中にたどり着いたのはこの張良の策によるところが大であった。
張良は必要以上に敵を殺さず、
城市に戦乱を持ち込むことを極力避けるよう主張し、
それを実行した劉邦は民衆の支持を得ることに
成功したのである。

その張良は次のように答えた。
「せいぜい警備を固くし、士卒に変な気を
おこさせないようにしておくことが大事です。
いずれ項羽率いる軍勢がこの地にも到達しましょう。
そのときに引き渡してしまえばよかろうと存じます」
劉邦はおもしろそうに答えた。
「どうせ殺さねばならないのであれば、
項羽にその役をやってもらおうというのか。
それはいい。……しかし、
それでは関中の覇者は項羽、ということになりはしないか」
張良は静かに答えた。
「我々は関中に一番乗りを果たし、
懐王は確かに一番に関中に入った者を
関中王にする、と申されました。

しかし、だからといって項羽をさしおいて
関中王を称するのは、具合がよくありません。
楚の一番の実力者は、恐れながら懐王ではなく、
項羽です。
彼自身が沛公(劉邦のこと)を関中王と認めてくれれば
問題ありませんが、おそらくそうはなりますまい。……
秦が滅んだ今、沛公が天下を望むならば、
競争相手は項羽ということになります。……
しかし兵力の差は歴然としていますので、
しばらくは項羽に花を持たせる形となりましょう」

劉邦は、それを聞いて項羽軍神のような姿を想像し、
あからさまに震え上がったが、
しばらくして覚悟を決めたのか、
それとも虚勢を張ろうとしたのか、
いきなり大声で宣言するように言った。
「では項羽めがくる前に、咸陽を鎮撫せねばならん」
劉邦はそう言うと、いきなり宮殿に乱入した。
今のうちにやりたいことをやってしまおう、というのである。

宮殿にはおびただしい数の豪勢な調度品、
財宝、駿馬の類が揃っており、
劉邦の目を楽しませた。しかし、それ以上に
劉邦が興味を示したのは、全国から集められた
麗しい宮女たちであった。
劉邦は我慢できなくなり、鼻息荒く宮女たちを追い回し始めた。
「いかん」張良劉邦の痴態をみて、狼狽した。
傍らにいた、もと犬の屠殺人の樊噲とともに
必死に諌めようとした。樊噲が叫ぶ。
「おやめください。信用を失います。
沛公には、女や財宝に目が眩んだのですか」
すでに劉邦は宮女の一人に馬乗りになっていた。

樊噲は言うだけでなく、力づくでそれをひっぺがえそうとする。
だが劉邦は強情になっていた。
「噲、やめろ。どうせ項羽が来て、
そのうち死なねばならぬのなら、わしはここで死ぬ。
死ぬ前に道楽を極めるのだ!」
張良はそれを聞き、なんとも情けなくなった。
しかし、劉邦の不思議なところは、
そんな姿でさえも憎めないところである。
どこか滑稽で人間臭く、
近寄り難い聖人のような印象はまったく無い。


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、 花に例えた古い歌
今さら聞いても、歌っても、何処に置いても、飾っても
花も歌も、枯れてゆく....人生、絵模様、万華鏡...



舟唄 - 美空ひばり



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる










P R

きれいなお風呂・宣言 

お風呂物語