流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

信じれば真実、疑えば妄想……


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー、


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Author:紀之沢直
 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期という動乱の時代に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
そこから始まる彼の活躍…
国士無双」「背水の陣」「四面楚歌」。
そんな彼を描いた小説。 

  

韓信-20・無聊 
陳勝は各地に制圧を目的とした軍を派遣し、
それぞれ成功したり、失敗したりしていた。
軍を派遣して制圧したのはいいものの、
派遣した将軍が自立して王となってしまうこともあったが、
離反されるよりはいいと考えれば、
着実に勢力をのばしつつあった、と言っていいだろう。
その勢力が頂点に達したのは、陳勝が派遣した
将軍周章(しゅうしょう)がついに函谷関(かんこくかん)を
破った時である。

険しい山々に囲まれ、東に函谷関、西に隴(ろう)関、
北に簫(しょう)関、南に武(ぶ)関という
四つの関所に守られた天然の要害の地を古来から
関中(かんちゅう)という。
現在の陝西(せんせい)省渭水(いすい)盆地がこれにあたり、
秦の国都、咸陽もここに位置していた。
秦の建国以来、函谷関を始めとする関所が破られた例はなく、
そのため周章軍の来襲は、秦の宮廷を混乱に陥れた。
これは二世皇帝胡亥の耳にも入り、
すでに政務に興味を示さなくなっていた彼が、
焦って臣下に対処を促したくらいである。
これを由来として「周章」という語は
「慌てる」という意味になった。
狼狽(ろうばい)という仮想の動物を意とする語を付け加えて、
その意を強調する。

しかし結果から言うと、周章軍は撃退された。
秦に新たな将軍が任命されたからである。
その将軍は、もともと少府と呼ばれる
徴税官の職に就いていた男で、
名を章邯(しょうかん)といった。
章邯は、麗山(りざん)で始皇帝の陵墓を造営している囚人に
大赦令を出させ、これを軍として組織することを提案した。
むろん章邯のような、たかだか徴税官ごときが
皇帝に直接ものを言える立場ではなく、
献策は宦官の趙高を通して行われたのである。
章邯の意見は聞くべき価値があったが、完全とはいえない。
兵は組織できても、それを率いる将がいないのである。

李信や王翦などは過去の人であり、
人事に困った皇帝は趙高に判断をゆだねた。
趙高はいやらしい男であった。
正確には宦官なので男だともいえない。
このときの章邯のように、非常時であるのを理由に、
皇帝に献策などを行う者が現れることを趙高は嫌った。
それによって自分より政治的に優位な立場に
章邯が立つことを憂慮した趙高は、
章邯自身を将軍として兵を統御させることを説き、
これを認めさせることに成功した。
戦乱の中で章邯が敗死することを希望したのである。

そんな趙高の思惑とは裏腹に、
将軍に任じられた章邯は、よくやった。
このとき麗山の労役から解放され、
章邯の指揮下に入った囚人の数は二十余万と言われているが、
彼はよくこれを統御し、周章軍を関の外へ
追い出すことに成功した。
さらに副将に司馬欣(しばきん)董翳(とうえい)を得た章邯は
関外へ撃って出て、周章を敗死させることになる。
陳勝の勢力はこれを機に、かげりを見せ始めた。

故郷の淮陰を守ったという高揚感は、韓信にはない。
あったのは後悔の念である。求めに応じたとはいえ、
自分がとった行動は、あと先のことを考えない
軽はずみなもののように思われ、
彼としては自分の馬鹿さ加減に吐き気がしてくるのだった。
雍昌を撃退することは陳勝を敵に回すことである。
そんなことがわからない自分ではなかったが、
あの時は心ならずも血が騒ぎ、戦ってみたいという
誘惑に勝つことができなかった。
雍昌を仕留めた時のあの感覚……それは、
弓の練習で的の中心に矢を当てた時の感覚に似ており、
鳥肌の立つような快感だった。

先生、私は酷薄な人間なのでしょうか……
もし、先生が私をそのように育てたのだとしたら、
恨み申し上げます。
いや、そんなはずはない……これはきっと
私が生まれ持った性格なのでしょう。
だとすれば、誰を恨みようもない……。
もはや先生はこの世にいない。
私は自分で自分を育てなければならないのだ。
韓信の憂鬱は自分の行動が淮陰を危機に陥れたのではないか、
という不安から端を発している。
しかし、そんな韓信の思いとはよそに、
その後の淮陰は大きな戦渦に巻き込まれることはなかった。
陳勝その人に危機が迫っていたからである。

きっかけは陳勝軍に起こった内訌であった。
陳勝とともに兵を挙げた呉広はこのとき
滎陽(けいよう)を囲んでいたが、なかなかこれを抜くことができず、
攻めあぐねていた。
呉広の配下の兵たちは上官の用兵に疑念を持つようになり、
謀議の結果、反乱を起こし呉広を殺害してしまった。
これを受けて陳勝はかわりの指揮官を立てて
滎陽を攻めさせたが、このとき現れたのが
秦の将軍・章邯である。
章邯によって陳勝軍はさんざんに撃ち破られ、
ついには陳勝自身も危機に陥り、逃避行にはいった。
しかし、そのさなか、陳勝は自分の馬車を操縦する
御者に裏切られ、殺されてしまう。
史上初の農民反乱である陳勝呉広の乱は、
事実上、ここに終結した。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


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歌は心の走馬灯、
花に例えた古い歌
 今さら聞いても、歌っても、 
 何処に置いても、飾っても
  花も歌も、枯れてゆく....
  人生、絵模様、万華鏡...



ゆきこ 小林旭


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる









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