流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!


信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー、

 

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韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期という動乱の時代に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
そこから始まる彼の活躍…
国士無双」「背水の陣」「四面楚歌」。
そんな彼を描いた小説。 

韓信-11
五回目の巡幸の途上で、始皇帝は卒した。
とはいってもそれを知っているのは、巡幸に同行していた
宦官(かんがん)の趙高(ちょうこう)丞相李斯(じょうしょうりし)、
そして始皇帝の末子の胡亥(こがい)の三名のみである。
もっとも、皇帝の身の回りの世話をする宦官のうち
数名は事実を知っていたと思われるが、数には含まれてはいない。

趙高も宦官ではあるが、彼だけは別格である。
皇帝一行は楚の領地を過ぎ、会稽まで達して進路を北に取り、
海岸線づたいに北上して山東半島をぐるりと回り切ったところから、
内陸に入って帰路をとろうとした。
ところが内陸に入って間もなくの平原津(へいげんしん)という地で
皇帝は病を得、そのまま治癒することなく沙丘の平台
(現在の河北省広宗県のあたり)という地で崩御した。

首都の咸陽は遠く、この時点で皇帝の死が
世間に知れ渡ると、諸国の反乱分子が
彼らより早く首都に流れ込む危険が高い。
彼らは皇帝の死を秘密にし、巡幸の行列が咸陽に達した時点で
喪を発しようと決めた。
そこまでは順当だが、問題はそれからである。
始皇帝は始終不老不死を願い、そのためには
さまざまな努力をした人だったが
(一説には水銀などを薬として飲んでいたとされている)、
このときばかりは自分の死期を確信し、
息子のひとりである扶蘇(ふそ<)という人物にあてて
遺書を残していた。

「咸陽にて朕の葬式をせよ」という一見漠然とした内容だったが、
葬式を主宰させることは正式な跡取りとして認めた、
ということなのである。
これにより次期皇帝は扶蘇と定められた。

この遺書は詔勅(しょうちょく)として封印され、
宦官の趙高に預けられた。
しかし趙高がこれを使者に持たせて扶蘇のもとに送る前に
皇帝が崩じたことから、彼の暗躍が始まる。

扶蘇は咸陽にはいない。扶蘇はこれより少し前、
始皇帝焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)の件で
諫言したことが原因で、はるか北方の
オルドスの地で匈奴と対峙している蒙恬将軍のもとに
軍監として編入させられていた。
左遷されたように見えるが、最終的に跡継ぎに
指名したことを考えると、始皇帝扶蘇に期待をかけ、
武者修行の場を与えた、と考えるのが正しいようである。
しかし、趙高にとっては、扶蘇が皇帝になっても
何も変わらなかった。
せいぜい自分は今と同じ裏の存在のままだろう。
宦官でありながら表の世界で活躍するには、
自分の扱いやすい人物が皇帝である必要があったが、
扶蘇と趙高は特に親しい間柄ではない。
そこで白羽の矢が立ったのは末子の胡亥である。

趙高は胡亥の家庭教師であったことから
胡亥の扱いには慣れており、説得もしやすい。
都合のいいことに胡亥はこのたびの巡幸に
同行していたので内密に話も進めやすかった。
胡亥は「義」や「孝」の論理で趙高の説得に激しく反対したが、
最後には結局折れた。

そこで趙高は自身の預かる始皇帝の遺書を破棄し、
胡亥を次期皇帝にする偽造の遺書を作製することに決め、
それを丞相李斯に伝えた。
李斯が反対したのは、言うまでもない。
彼には胡亥が皇帝にふさわしい人物とは思えず、
それ以上に、皇帝付きの宦官ふぜいが
帝国の運命を左右しようとするのが気に入らなかった。

始皇帝が天下を統一できたのは、
李斯の政策によるものが大きく、彼はもちろんそれを
自負していた。
秦は法治主義を充実させ、封建制を廃して
郡県制を採用し、
政治を脅かす思想家たちの書をあまねく焼き払い、
その思想家の信奉者たちを穴に埋めた。
そのどれもが李斯の献策によるものなのである。

秦の皇帝とは、私の政策を実現できる者にのみ、
その資格がある。という自負心があっても、
それを驕りだとは言えまい。事実その通りだったからである。
ただ李斯という男にはその自負心が強すぎるきらいがあり、
他者と相容れない欠点がある。 

かつて韓非子(かんぴし)という優れた法家の
権威ともいうべき人物がいた。
李斯と韓非子は同門の間柄で、ともに荀子(じゅんし)のもとで
学んだ旧知の仲であった。
韓非子は法の理論を完成させ、始皇帝はその著書を読み、
いたく感動して秦に招き入れた。
しかし李斯はそのことによって自己の立場が
軽んじられることを危惧し、奸計(かんけい)を用いて
彼を毒殺してしまう。
韓非子が秦に入国して早々の早業だった。
李斯には自分より優れた人物に対する恐怖心がある。

そこに趙高のつけいる隙があった。
扶蘇さまの後ろ盾には名将である蒙恬どのがおられますな」
李斯は胡亥と同様、再三の趙高の説得に抵抗したが、
最終的にそのひと言で決まった。

蒙恬は匈奴征伐で功績があり、始皇帝にも
その能力を愛された、すぐれた軍人である。
彼が扶蘇を擁して咸陽に戻って来た暁には、
自分は除かれるに違いない。

では、その前にこちらから除いてしまおう、というわけである。
毒を喰らうならば皿まで、という勢いで話に乗った李斯は、
胡亥を皇帝に即位させるだけでなく、
扶蘇と蒙恬に自害を命ずる詔勅まで偽造した。

扶蘇はこれを信じて潔く自決し、
蒙恬はこれを疑い、その場で自決はしなかったが、
牢獄に繋がれたのち服毒自殺をした。

政敵は除かれたわけである。
韓信が釣りをして老婆の世話になっている間に、
天下は静かだが、しかし大きく変動しようとしていた。
つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
花に例えた古い歌
 今さら聞いても、歌っても、 
 何処に置いても、飾っても
  花も歌も、枯れてゆく....
  人生、絵模様、万華鏡...


すきま風 八代亜紀



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから……


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる





P R
きれいなお風呂・宣言 

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