流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

歴史・履歴への許可証

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歴史・履歴への許可証

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



一杯のかけそば、この物語は、
1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁
(架空の地名)にある「北海亭」という
蕎麦屋に、閉店間際に、子供を2人連れた
貧相な女性が現れる。…から始まりました。…


そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。
北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の
忙しさだった。
いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、
夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。
10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。
頃合いを見計らって、人はいいのだが
無愛想な主人に代わって、
常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、
忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と
土産のそばを持たせて、
パートタイムの従業員を帰した。

最後の客が店を出たところで、
そろそろ表の暖簾を下げようかと
話をしていた時、
入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、
2人の子どもを連れた女性が入ってきた。
6歳と10歳くらいの男の子は真新しい
揃いのトレーニングウェア姿で、
女性は季節はずれのチェックの
半コートを着ていた。
「いらっしゃいませ!」と迎える女将に、
その女性はおずおずと言った。
「あのー……かけそば……
1人前なのですが……よろしいでしょうか」
後ろでは、2人の子ども達が
心配顔で見上げている。
「えっ……えぇどうぞ。どうぞこちらへ」
暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、
カウンターの奥に向かって、
「かけ1丁!」と声をかける。
それを受けた主人は、チラリと
3人連れに目をやりながら「あいよっ! 
かけ1丁!」とこたえ、
玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。
玉そば1個で1人前の量である。
客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量の
そばがゆであがる。
テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、
額を寄せあって食べている3人の話し声が
カウンターの中までかすかに届く。

「おいしいね」と兄。「お母さんもお食べよ」と
1本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。
やがて食べ終え、150円の代金を支払い、
「ごちそうさまでした」と頭を下げて出ていく
母子3人に、「ありがとうございました! 
どうかよいお年を!」と声を合わせる
主人と女将。
新しい年を迎えた北海亭は、
相変わらずの忙しい毎日の中で
1年が過ぎ、再び12月31日がやってきた。

前年以上の猫の手も借りたいような、大晦日
10時を過ぎたところで、
店を閉めようとしたとき、
ガラガラガラと戸が開いて、
2人の男の子を連れた女性が入ってきた。
女将は女性の着ているチェックの
半コートを見て、
1年前の大晦日、最後の客を思いだした。
「あのー……かけそば……
1人前なのですが…よろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ。こちらへ」
女将は、昨年と同じ2番テーブルへ
案内しながら、「かけ1丁!」と
大きな声をかける。
「あいよっ! かけ1丁」と主人はこたえながら、
消したばかりのコンロに火を入れる。
「ねえお前さん、サービスということで
3人前、出して上げようよ」
そっと耳打ちする女将に、
「だめだだめだ、そんな事したら、
かえって気をつかうべ」と言いながら
玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、
「お前さん、仏頂面してるけどいいとこあるねえ」と
ほほ笑む妻に対し、
相変わらずだまって盛りつけをする主人である。

テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ
母子3人の会話が、
カウンターの中と外の2人に聞こえる。
「……おいしいね……」
「今年も北海亭のおそば食べれたね」
「来年も食べれるといいね……」
食べ終えて、150円を支払い、
出ていく3人の後ろ姿に
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
その日、何十回とくり返した言葉で
送り出した

商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜、
北海亭の主人と女将は、
たがいに口にこそ出さないが、
九時半を過ぎた頃より、そわそわと落ち着かない。
10時を回ったところで
従業員を帰した主人は、
壁に下げてあるメニュー札を裏返した。
今年の夏に値上げして
「かけそば200円」と書かれていた
メニュー札が、150円に早変わりしていた。
2番テーブルの上には、
すでに30分も前から「予約席」の札が
女将の手で置かれていた。

10時半になって、店内の客足が
とぎれるのを待っていたかのように、
母と子の3人連れが入ってきた。
兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた
大きめのジャンパーを着ていた。
2人とも見違えるほどに成長していたが、
母親は色あせたあのチェックの
半コート姿のままだった。
「いらっしゃいませ!」と笑顔で迎える女将に、
母親はおずおずと言う。
「あのー……かけそば……2人前なのですが
……よろしいでしょうか」
「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」と
2番テーブルへ案内しながら、
そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、
カウンターに向かって「かけ2丁!」
それを受けて「あいよっ! かけ2丁!」と
こたえた主人は、玉そば3個を
湯の中にほうり込んだ。
2杯のかけそばを互いに食べあう
母子3人の明るい笑い声が聞こえ、
話も弾んでいるのがわかる。
カウンターの中で思わず目と目を見交わして
ほほ笑む女将と、例の仏頂面のまま
「うん、うん」とうなずく主人である。

「お兄ちゃん、淳ちゃん……
今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」
「……お礼って……どうしたの」
「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、
8人もの人にけがをさせ
迷惑をかけてしまったんだけど
……保険などでも支払いできなかった分を、
毎月5万円ずつ払い続けていたの」
「うん、知っていたよ」
女将と主人は身動きしないで、
じっと聞いている。
「支払いは年明けの3月までになっていたけど、
実は今日、ぜんぶ支払いを済ますことができたの」
「えっ! ほんとう、お母さん!」
「ええ、ほんとうよ。
お兄ちゃんは新聞配達をして
がんばってくれてるし、
淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを
毎日してくれたおかげで、
お母さん安心して働くことができたの。
よくがんばったからって、
会社から特別手当をいただいたの。
それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」
「お母さん! お兄ちゃん! よかったね! 
でも、これからも、夕飯のしたくはボクがするよ」
「ボクも新聞配達、続けるよ。
淳! がんばろうな!」
「ありがとう。ほんとうにありがとう」

「今だから言えるけど、淳とボク、
お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……11月の日曜日、
淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう。
……あのとき、淳はもう1通、
先生からの手紙をあずかってきてたんだ。
淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、
全国コンクールに出品されることになったので、
参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。
先生からの手紙をお母さんに見せれば
……むりして会社を休むのわかるから、
淳、それを隠したんだ。
そのこと淳の友だちから聞いたものだから
……ボクが参観日に行ったんだ」
母「そう……そうだったの……それで」
「先生が、あなたは将来どんな人に
なりたいですか、という題で、
全員に作文を書かしました、

淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書きました。
先生『これからその作文を読んでもらいます』って。
一杯のかけそば』って聞いただけで
北海亭でのことだとわかったから……
淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを
書くんだ! と心の中で思ったんだ。
作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、
たくさんの借金が残ったこと、
お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、
ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど
……ぜんぶ読みあげたんだ。

そして12月31日の夜、
3人で食べた1杯のかけそばが、
とてもおしかったこと。
……3人でたった1杯しか頼まないのに、
おそば屋のおじさんとおばさんは、
ありがとうございました! どうかよいお年を!
って大きな声をかけてくれたこと。
その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 
生きるんだよ! って
言ってるような気がしたって。
それで淳は、大人になったら、お客さんに、
頑張ってね! 幸せにね! って思いを込めて、
ありがとうございました! と言える
日本一の、おそば屋さんになります。って
大きな声で読みあげたんだよ」

カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの
主人と女将の姿が見えない。
カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は、
1本のタオルの端を互いに
引っ張り合うようにつかんで、
こらえきれず溢れ出る涙を拭っていた。

「作文を読み終わったとき、
先生が、淳くんのお兄さんが
お母さんにかわって来てくださってますので、
ここで挨拶をしていただきましょうって……」
「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」
「突然言われたので、
初めは言葉が出なかったけど
皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。
……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。
それでクラブ活動の途中で帰るので、
迷惑をかけていると思います。
今、弟が『一杯のかけそば』と読み始めたとき
……ぼくは恥ずかしいと思いました。
……でも、胸を張って大きな声で
読みあげている弟を見ているうちに、
1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、
その心のほうが恥ずかしいことだと思いました。
あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた
母の勇気を、忘れてはいけないと思います。
兄弟、力を合わせ、母を守っていきます。
これからも淳と仲よくして下さい、って言ったんだ」
しんみりと、互いに手を握ったり、
笑い転げるようにして肩を叩きあったり、
昨年までとは、打って変わった
楽しげな年越しそばを食べ終え、300円を支払い
「ごちそうさまでした」と、
深々と頭を下げて出て行く3人を、
主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、
「ありがとうございました! どうかよいお年を!」
と送り出した。

また1年が過ぎて……。
北海亭では、夜の9時過ぎから「予約席」の札を
2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、
あの母子3人は現れなかった。
次の年も、さらに次の年も、
2番テーブルを空けて待ったが、
3人は現れなかった。
北海亭は商売繁盛のなかで、
店内改装をすることになり、
テーブルや椅子も新しくしたが、
あの2番テーブルだけはそのまま残した。
真新しいテーブルが並ぶなかで、
1脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。
「どうしてこれがここに」と不思議がる客に、
主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、
このテーブルを見ては自分たちの励みにしている、
いつの日か、あの3人のお客さんが、
来てくださるかも知れない、
その時、このテーブルで迎えたい、と説明していた。
その話が「幸せのテーブル」として、
客から客へと伝わった。
わざわざ遠くから訪ねてきて、
そばを食べていく女学生がいたり、
そのテーブルが、空くのを待って
注文をする若いカップルがいたりで、
なかなかの人気を呼んでいた。

それから更に、数年の歳月が流れた
12月31日の夜のことである。
北海亭には同じ町内の商店会のメンバーで
家族同然のつきあいをしている仲間達が
それぞれの店じまいを終え集まってきていた。
北海亭で年越しそばを食べた後、
除夜の鐘の音を聞きながら仲間とその家族がそろって
近くの神社へ初詣に行くのが
5~6年前からの恒例となっていた。
この夜も9時半過ぎに、魚屋の夫婦が刺身を
盛り合わせた大皿を両手に持って入って来たのが
合図だったかのように、いつもの仲間30人余りが
酒や肴を手に次々と北海亭に集まってきた。
「幸せの2番テーブル」の物語の由来を知っている
仲間達は、互いに口にこそ出さないが、
おそらく今年も空いたまま新年を迎えるであろう
「大晦日10時過ぎの予約席」をそっとしたまま、
窮屈な小上がりの席を全員が少しずつ身体を
ずらせて遅れてきた仲間を招き入れていた。
海水浴のエピソード、孫が生まれた話、
大売り出しの話。賑やかさが頂点に達した10時過ぎ、
入口の戸がガラガラガラと開いた。

幾人かの視線が入口に向けられ、全員が押し黙る。
北海亭の主人と女将以外は誰も会ったことのない、
あの「幸せの2番テーブル」の物語に出てくる
薄手のチェックの半コートを着た若い母親と
幼い二人の男の子を誰しもが想像するが、
入ってきたのはスーツを着てオーバーを手にした
二人の青年だった。
ホッとした溜め息が漏れ、賑やかさが戻る。
女将が申し訳なさそうな顔で
「あいにく、満席なものですから」

断ろうとしたその時、
和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて
二人の青年の間に立った。
店内にいる全ての者が息を呑んで聞き耳を立てる。
「あのー……かけそば……3人前なのですが……
よろしいでしょうか」
その声を聞いて女将の顔色が変わる。
十数年の歳月を瞬時に押しのけ、
あの日の若い母親と幼い二人の姿が
目の前の3人と重なる。
カウンターの中から目を見開いて
にらみ付けている主人と
今入ってきた3人の客とを交互に指さしながら
「あの……あの……、おまえさん」と、
おろおろしている女将に青年の一人が言った

「私達は14年前の大晦日の夜、
親子3人で1人前のかけそばを注文した者です。
あの時、一杯のかけそばに励まされ、
3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。
その後、母の実家があります滋賀県へ越しました。
私は今年、医師の国家試験に合格しまして
京都の大学病院に小児科医の卵として
勤めておりますが、年明け4月より
札幌の総合病院で勤務することになりました。
その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、
おそば屋さんにはなりませんでしたが、
京都の銀行に勤める弟と相談をしまして、
今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。

それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さんを訪ね、
3人前のかけそばを頼むことでした」
うなずきながら聞いていた女将と主人の目から
どっと涙があふれ出る。
入口に近いテーブルに陣取っていた八百屋の大将が
そばを口に含んだまま聞いていたが、
そのままゴクッと飲み込んで立ち上がり
「おいおい、女将さん。何してんだよお。
10年間この日のために用意して待ちに待った
『大晦日10時過ぎの予約席』じゃないか。
ご案内だよ。ご案内」
八百屋に肩をぽんと叩かれ、気を取り直した女将は
「ようこそ、さあどうぞ。 
おまえさん、2番テーブルかけ3丁!」
仏頂面を涙でぬらした主人、
「あいよっ! かけ3丁!」
期せずして上がる歓声と拍手の店の外では、
先程までちらついていた雪もやみ、
新雪にはね返った窓明かりが照らしだす
『北海亭』と書かれた暖簾を、
ほんの一足早く吹く睦月の風が揺らしていた。



一杯のかけそば』は、栗良平による日本の童話、
および同作を原作とした映画作品。
ブーム終焉のきっかけとなるのは
美談の語り部と讃えられていた作者について
美談とは相反するスキャンダルが報じられたり、
フジテレビ『笑っていいとも』で、司会のタモリ
「その当時、150円あったらインスタントのそばが
3個買えたはず」「涙のファシズム」と
作品を批判したことである


類似した台湾の実話
2006年3月、台湾に似た実話があることを
毎日新聞が報じた。
ある貧しい7人家族がおり、母親がガンで入院しているために
看病をしていた5人の子供が食事がろくに食べられず、
それを見かねた病院の看護婦がその家族に
ワンタン麺を与えた所、5人のうち3人の子供たちは
麺だけを食べ、母親に元気になってほしいと
ワンタンを母親の為に残した。
これを見た看護婦が感動し台湾中の人々に伝え、
台湾中の人々が涙しその家族に対し寄付が殺到した。
同年4月21日にその母親が子供を残し
ガンで死去し、陳水扁総統が哀悼の意を表した



いじめがなくなった作文



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから。


時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる



P R
きれいなお風呂・宣言 


お風呂物語