流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

独りっきりの裁判 第1-16

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!


信じれば真実、疑えば妄想……

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

創作、ドキュメンタリーです。
ストーカー行為から脅迫に至った
加害者を相手に、
刑事、民事と奮闘したあげく、
独りで裁判に持ち込みました。
このストーリーでは、
民事裁判の手法や解説を交え、
被害者が直面されるであろう
問題点についても訴えています。

Author: 壇次郎


独りっきりの裁判 第1-16話 
(事件性)

私はしばらくの間、第一ビルから外出する仕事を
断ることにしました。
いつ、妄想状態に陥っている中村が、
凶器を持って現れるかが心配でした。
橋本さんを殴りつけに来るかが心配でした。
留守番電話に録音されている声の調子から考えると、
中村がビルで大暴れすることも想像できます。
中村の兄が、東京からヤクザ仲間を大勢引き連れて、
やって来るかもしれません。
仕事を断るだけでも、
かなりな損害となってしまいますが、
今後、その損害は、もっと増えていくこととなりました。
もし、警備会社に警備を依頼する様な事でもしたら、
いったいどのくらいの費用が
更に追加されたのでしょうか。
脅迫電話から2日後、
管轄警察署の生活安全課から
私に電話がありました。
警察より中村に電話をしてくれたそうです。
でも、「警察です」と言ったとたん、
電話は一方的に切られ、
以後、繋がらないそうです。
「中村の住むアパート近くの交番にも連絡をしてあり、
警邏中、注意をさせています。
今後、あまりにも脅迫が続き、
エスカレートしていく様子ならば、
保健所と連絡をとり合いながら対処しましょう。
また、仮に中村が誰かに危害を加えたならば、
刑事課の管轄になります。
この手の者は、時期が来て、
気候が落ち着けば、自然と落ち着き、
治まりますので、あまり心配しないで下さい。
まあ、こういう人物は、
貴方の自宅住所まで
突き止める程の知恵はありませんでしょうから
とのことでした。
まあ、おっしゃる通り、中村がわざわざ
法務局にまで出向き、
登記簿謄本を閲覧するとは思えません。
しかし、ヤクザの兄や、その仲間であれば、
そんな知恵はあるでしょう。
私の不安な気持ちに変化はありませんでした。
中村は、20歳代の頃、二度、
精神病院に入院していたことは、前述の通りです。
どんな症状、病状で入院したかは分かりませんが、
入院治療により、完治した訳ではないのでしょう。
中村の現状は、まさに妄想状態に
陥っている様子でした。
中村から私の携帯電話への着信は、
依然続いていました。
しかし、伝言は録音されず、頻度も少なくなり、
2日に1回のペースになりました。
ビルのテナントに勤務している方から、
ビルの近くをうろついているのを見たという
連絡もありました。
私にはまだ、気味の悪い不安が続いていました。
私は毎日、帰宅途中、書店に立ち寄り、
「刑法」や新しく出来た
ストーカー規制法」についての本を
読みあさっていました。
そして、今回の出来事は、刑法の
「脅迫」という罪に合致すると確信しました。
中村を逮捕するまでは行かなくても、
任意で事情聴取をし、
本人に注意をしてもらう事は、出来ないものか、
もし、警察で動いてくれるのであれば、
どんな手続きが必要なのか、
私は翌日になってから、警察署の刑事課に
この件の問い合わせをしてみました。
電話に出た刑事課の方に、私は事情を話しました。
その方の話ですと、
「すでに、警察の生活安全課にて対応しているし、
実害があったわけでもないので、
刑事課では動かないよ。
この程度の脅迫はよくあることでしょう。
こんなことは、事件でもなんでもないよ。
変に突っつくと、
治まるのも治まらなくなるよ」とのことでした。
「余計な仕事を持って来るな」と、
言わんばかりの返答でした。
刑事さんの言う通り、無視し続ければ
自然に治まるのかもしれません。
今の日本では、たとえ他人を脅迫しても
全くおとがめ無しという事態が、
「よくあること」なのかもしれません。
やはり、実害が発生しない限り、
警察ではどうしようもないのでしょう。
特定の人物に対し、
身体的な危害を加えるという
予告をしただけでは、
別にとがめられることも無いのでしょう。
但し、同じ「脅迫」でも、
小学校や幼稚園を脅迫したならば、
間違いなく警察は動くでしょう。
それとも、電話の問い合わせだから、
こんな返答になったのかもしれません。
訴状を持って、警察に出向き、
刑事告訴をするといった知識が、
当時の私にはありませんでした。
今、考えれば、警察の方から、
進んで刑事告訴を薦める事なんて、
ありえません。
まして、電話でそんな事を
教えてくれる訳がありません。
4月30日、中村からの封書が私に届きました。
文章の一部に詫びる言葉があったので、
自分が悪い事をしたことは認識している様子でした。
この手紙を書いた時は、若干、
正常な心理状態に戻っていたのかもしれません。
しかし、相変わらず意味不明の内容で、
キリストの名を利用した脅しとも言える
文面が多く見られました。
再会を望んでいる様子でもあり、
決して安心できる内容の手紙ではありませんでした。
中村の執拗な異常とも言える迷惑行為は、
このままでは終わりませんでした。


続く

Author: 夢庵壇次郎
http://www.newvel.jp/library/pso-1967.html


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


だらけの人生 鶴田浩二



田 浩二、本名は小野 榮一
1924年12月6日 ~ 1987年6月16日)
静岡県浜松市出身
高田浩吉と大曾根辰夫監督の尽力で松竹入り。
芸名の「鶴田浩二」は師匠の
高田浩吉」に由来する
恋人と噂された岸惠子と、
戦後最大のロマンスといわれた二人だが、
岸が所属する松竹はそれを許さなかった。
鶴田は自殺未遂事件を起こす。
同年、「男の夜曲」で歌手デビュー。
歌手としてもヒットを飛ばし
戦後の日本を代表する大スターとなっていく。
歌唱法
22歳の時に薬の副作用で、左耳が難聴になってしまう。
1951年松竹映画「地獄の血闘」に出演した際、
共演した歌手の田端義夫に、
歌唱方法についてのアドバイスを受け、
以後、鶴田は「左耳に左手を沿えて歌う」と言う
独特の歌唱スタイルになった。
他にも右手小指を立て、マイクを
白い「ハンケチ」で包む歌唱スタイルでも有名である。
1987年6月16日に肺癌のため62歳で死去。
鶴田の死去からわずか1か月後の
1987年7月17日、鶴田と同じく昭和の大スターだった
石原裕次郎が、52歳で肝細胞癌により亡くなっている。
又鶴田とも親交が深かった美空ひばり
当時入院中で、
1989年6月24日に間質性肺炎と呼吸不全のため、
52歳でこの世を去った。




昨日という日は歴史、
明日という日はミステリー、
今日という日はプレゼント
(贈り物)


時は絶えず流れ、
    今、微笑む花も、明日には枯れる





P R
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特 長
塗装表面に塗布するだけで、
極薄いガラス皮膜を形成します。 
汚れが内部まで浸透しない為、
お手入れがラクラク
奇蹟の1滴