流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想劇場・番外編(18禁)

妄想劇場・番外編(18禁)

信じれば真実、疑えば妄想……


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メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい。

枕出せとは、つれない言葉、そばにある膝、知りながら
よその夢見る浮気なあなた、貸して口惜しい、膝枕



春画を極めた本当の男の心意気と、艶やかな女達を描いた
・・初編


このところ、この男には様々なるところから浮世絵の依頼が来ていた。
彼の名声は留まることがない。
もともと絵が好きで、器用な彼はどんな絵も得意としていた。
幼い頃から絵を描かせれば天才と言われていて、
彼の描く多くの絵は、草花や鳥獣虫魚が主であり、何を書いても
それが生きているようであり
彼の描く絵は、どの絵も、いつでも飛ぶように売れていた。

或る絵は、居間に掲げた絵で それは世にも珍しい鳥が、
妖しくも奇妙で美しい声を発しながら彼方へ飛んでいったし
別の鯉を描いた絵は、或る日吹いてきた風で彼方へ飛び、
その紙が小さな池の上に落ちた。
すると、絵は池の中に吸いこまれたと思うと、
絵から抜け出た鯉が、スイスイと泳いで逃げたこともあったと言う。

更には、彼がたまたま描いた恐ろしい鬼毛迫る幽霊の絵を描いて
それを見た物好きな男が気に入りその絵を買ったのである。
男は、その夜からうなされ
気が付いて眼が覚めたときには、男の頭上に絵に描いた幽霊が
佇んでいて、 男は恐怖で朝まで気を失ったと言う。
それが頻繁に起こったので、その絵を寺に納めたという噂もあった。

それ程に絵描きの描いた絵は半端でなく凄かったので、
その名前は広まっていった。
今の彼は江戸で当代一流の絵師と言っても良いだろう。
高名な彼のその名前は、(北川浮丸)という絵描きである。

だが、その浮丸をしても、この世界でも安閑としていられないのだ。
それは、自分意外にも浮世絵を描く名人が最近増えてきており、
安閑としていられないのである。
彼等のその台頭が、浮丸の自尊心に火を点けたからである。

しかし、今彼が悩み、無性に拘っているのに春画の存在があった。
花鳥風月も良いのだが、描き飽きていた頃でもあり、
或る女を描くことに悩み、どん欲になっていた。
それには理由があった。

その浮丸が、或るところから噂を聞いたからである。
「あの浮丸の絵はどれも素晴らしい
美人画は、まるでその美人が絵から出てきそうだが
ただ綺麗だけで、本当の女を感じない
それにあの春画は、あまり燃えないし・・いまいちだな、
葛飾北斎や、鈴木春信の絡み絵に比べたら雲泥の差だ・・」

「浮丸の絵からは女と情交を結びたいとは感じない、綺麗なだけさ」
「絵を見ても、こんな女と寝てみたい、こんな格好で交わってみたい、
という気が起きない」
・・等という噂がどこからか入り、
気位が高い浮丸の気持ちを傷つけていた。

今までに描いてきた浮丸の美人画は、着物を着た流し目の女だったり、
煙管を吸って、いかにも涼しげな粋な女が多かった。
それはすこぶる評判なのだが、粗野で好色な者達にとっては、
それが不満だったのである。

浮丸自身も最近描いた自分の春画を見ながら、
何か物足りなさを感じていたのだった。
だからその噂が余計に気になるのである。
浮丸は、本当は生身の女を描きたかったのである。
あまり、露骨な絵を描けば、お上から罰せられるし、
酷いときは絵が描けないどころか、世間を騒がせた罪で
島流しにもなる・・ という噂も聞いていた。

女の裸を描いていても、薄着をきて乳を出していたり
艶めかしいという、どちらかというと上品な絵が多かった。
そんなことで、いまいち躊躇していたのだが、
それは建前であり、巷では実際にはそれが
緩いものであると知ったとき、 浮丸は俄然として、
その意欲に目覚めたのである。

「女を描くにはまずは、生身の女を知らなければならない」
「もっと本当の女を知ろう、とことん知ろう、
そうしなければ女は描けない」
「その上で、男と女が絡んだ本当の情交の絵を描けばいい」

そう思った浮丸は、矢も楯もたまらず、
一大決心をして、当代盛んで様々な吉原の女達を描こうと思った。
勿論、浮丸は吉原を知らないわけではなく、
何度か遊女と遊んだことはある。

しかし、今は絵を描く目的で本当の女を知りたい。
そう思うと、彼の気持ちはいたたまれずに、
或る決心をした。

今まで描いた絵で、沢山の金を稼いでいる浮丸は
金には不自由しない。
その金を使い、思うままに女を知り、本当の絵を描いてみたい。
優男と絡んだ情交している濡れた本当の女を描きたい。
その思いは益々彼の心の中で大きくなっていった。

しかし、自尊心の高い浮丸は、今は身分も名前も伏して、
誰にも知られず、
その花街へ繰り出したいと思ったのである。
本当の女の身体と心を知り、それを生々しく
まるで生きているように、これぞ愛憎の絵だと言わせたい。
描いてあっと世間を言わせたい、と思うのであった。

つづく

Author :官能小説家
http://syosetu.net/pc/



これほど惚れた素振りをしても、ほんとに悟りの悪い人



初恋/photo.by『堀北真希




Tinko_2
人の為(ため)と
書いて
いつわり(偽)と
読むんだねぇ 

 
 

 
 
子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂




P R
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Moto3

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Kanshin021111 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。 

  
 
 
 
漢の韓信-(123)

一方、広武山での楚・漢の対立は泥沼化し、なかなか進展を見せない。
楚は軍糧の補給に苦労し、このときの軍中には、
次第に飢えの徴候が現れてきている。
これに対し漢は敖倉を後背に抱え、食料に関する問題は抱えておらず、
楚が飢えて弱ったところを攻撃すれば、あるいは勝てたかもしれなかった。
しかし項羽の圧倒的な武勇が、劉邦にそれを思いとどまらせた。
加えて劉邦の父と妻を人質に取られているという事実は、
彼らに行動に慎重さを要求した。

このため、広武山の攻防において、常に先手を打つのは楚の側である。
谷を挟んで、楚軍はしきりに漢軍を挑発したが、
劉邦はどのような嘲りを受けようとも、まともに取りあおうとはしなかった。
それに苛立った項羽は、軍中から壮士を選抜し、
一騎打ちで漢に挑ませることに決めた。

退屈しのぎの余興のようにも思われるが、項羽としては狙いがある。
楚の壮士が次々に漢の壮士を撃ち破れば、
さしもの劉邦も自軍の士気の低下を恐れ、
自ら姿を現すに違いない、と考えたのだった。
かくして武勇自慢の楚の壮士の一人が軍門から出撃することになり、
その壮士は騎馬で谷を降りていった。

「我と勝負せよ」長柄の矛を構えた壮士は、そう言って漢軍に勝負を挑んだ。
「誰もいないのか。漢は腰抜けばかりの集団だと聞いていたが、
なるほどその通りよ!」
壮士がそんな調子で漢軍を狼藉し始めたので、
たまりかねた劉邦は左右の者に、ぼそりと言った。
「仕方ない。誰か、出せ」この命を受けて、漢の軍門から左手に
短弓を抱えた一人の騎馬武者が姿を現した。
彼は巧みな騎術で谷をくだり、馬上で矢をつがえながら言った。

「私が、相手だ」言うと同時に短弓から矢が発射される。
その矢は突進してくる楚の壮士のこめかみを正確につらぬいた。
あっという間の勝負である。
「あれは……楼煩だ! そうに違いない」
楚軍の兵士はみな一様に恐れ、おののいた。
漢の楼煩兵はそれを当然の如く受け流し、つぶやく。

「一人目……次、出てこい」その声が聞こえたかどうかは定かではない。
しかし先に仕掛けた以上、引くことのできない楚の側としては、
次の壮士を前面に出すしかなかった。
しかしこの状況で楼煩の弓術にまともに張り合おうとするのは、
無謀とも言える。楚の壮士がいくら剣術や槍術に長けていても、
接近することができなければ、威力を発揮することはできない。
よって二人めの壮士は突進しつつ弓を構えて
相手の楼煩に狙いを定めて射ったが、楼煩兵は馬を操り、
そのことごとくをかわした。

そして相手が短弓の射程内に入ったことを確認すると、
静かに狙いを定めて矢を放ったのである。
矢はやはり正確に楚兵の目と目の間を貫いた。
「二人目……。次!」言うと同時に楼煩は馬を走らせ、
楚の軍門との距離を縮めた。
相手が射程に入るまで待つ時間の無駄を省こうとしたのである。

楚の三人めの壮士は軍門を出たと同時に、射殺された。
「次!」そのとき楼煩兵の視界に大柄な兵の姿が見えた。
手には戟をとり、きらびやかな甲冑を身に付けている。
「四人目……」楼煩は矢をつがえ、その人物を射とうとした。
しかし、不思議なことに、それ以上体がいうことをきかない。
手はこわばり、目は目標を直視することができなかった。

彼は突如恐れをなしたようにその場を離れ、一目散に
軍門のなかに逃げ込んだ。
「……項王だ! 項王がいる!」逃げ帰った楼煩は狂ったように喚いた。
項羽は楚の四人めの壮士として、自分自身を前線に配置したのであった。
項羽とあえて一騎打ちを挑もうとする者など、漢軍の中にはいない。
出れば殺されるのはわかっており、劉邦自身もそれを理解していた。
しかし、理解していながら、この場に至っては
出ざるを得ないのが実情であった。

漢は楚に比べて全体的に武勇で劣るので、生存を望む兵は
楚に靡くのが自然な流れである。
だが漢は食を保証することで兵の流出を防ぎ、どうにかここに至っている。
だが、それも限界であった。項王を恐れ、
すごすごと逃げ出すような王に兵がいつまでも心服するはずがない。
いま、この場に韓信がいたら……。劉邦はそう考えたが、
すぐさま首を振ってそんな考えを頭の中から追いやった。
韓信項羽に打ち勝つことになったら、兵は韓信に従うだろう。
そんな事態になっては、彼の存在意義など無きに等しい。
劉邦は意を決し軍門を出て、項羽と対峙することにした。
しかしわかりきったことだが、武を競い合って敵う相手ではない。
劉邦は両軍の兵たちが見守る中、項羽
論破することにしたのである。

項羽! 貴様ほど悪逆な者は天下にはおらぬ」
谷を隔てた会見が始まった。
両軍の兵士は等しく息をのみ、誰もひと言も発しない。
「天下を貴様の手に渡すわけにはいかぬ。
なぜならば貴様はあまりにも罪の多い男だからだ。
わしはそれを証明するために、いまここに貴様の罪を列挙してやる。
数えきれないほどの罪だが、だからといって、
どれも見過ごすわけにはいかん」
項羽は本来こらえ性のない男であったが、この場では
怒りをあらわすことなく、なにも言わなかった。
劉邦の出方に虚をつかれたのか、それとも
お手並み拝見、とでも思っていたのか、この時点では定かではない。

劉邦はそれをいいことに声高らかに演説し出した。
「貴様の罪の一つ! かつて懐王は先に関中に入った者を
関中王と定めるとしたが、貴様は約束を違え、わしを蜀漢の王とした」
「二! 貴様は卿子冠(宋義のこと)を偽って殺し、
 自ら大将軍の座についた」
「三! 貴様は趙を鉅鹿に助け、それが終わると懐王に断りもなしに
 諸侯を引き連れ、函谷関に入った」
「四! 懐王は秦国内では暴虐な行為を働くなと命令された。
 にも関わらず、貴様は宮殿を焼き、始皇帝の墓を暴き、
 財物をことごとく私物化した」
「五! 貴様はやはり断りもなく、独断で秦王子嬰を殺した」
「六! 貴様は悪逆な方法で秦の士卒二十万を新安で穴埋めにし、
 秦の降将章邯を勝手に王に封じた」
「七! 貴様は自分の部下にばかりよき地を与えて王とし、
 もとの王を辺地に移し、天下に争乱を起こさせるに至った」
「八! 貴様は義帝(懐王)を郴県に追いだして、
 欲望のまま広大な領地をとった」
「九! 貴様は江南においてひそかに人に命じて義帝を殺させた」
「十! 貴様は人臣の身でありながら主君を殺した。
 また、降伏する者を殺した。政治をとっては不公平、
 誓いを破ってばかりで義に背く。天下に轟く大逆無道とは貴様のことだ」

劉邦はあらかじめこのような項羽に対する誹謗を
暗誦でもしていたのであろうか。
この場に及んでこれほど項羽に対する中傷を列挙してみせるとは、
よほど胆力の座った男でなければできない行為である。
単なるごろつきの出身であったと言われる劉邦であったが、
やはり天下に覇を唱えようとする資質があった、ということか。
だがそのこと自体が「一種の狂人である」とも言えないことはない。

「貴様はわしと決戦しようと、そこに突っ立っておるが」
劉邦は次第に気分が高揚してきたのか、滑舌も良く、調子に乗っている。
「貴様を討つことは、わしにとって賊に誅罰を与えるのと同じことだ! 
よって貴様を討つのは、貴人たるこのわしの仕事ではない」
項羽は狼藉を浴びせられながら、まだなにも反論しないでいる。
劉邦はそのことにさらに気分を良くし、最後のひと言を発した。

「貴様を討つ仕事はわしではなく、刑余の罪人こそがふさわしい!」
おお、というどよめきが両軍の兵士の中に起こった。
しかしそれもつかの間のことであった。
どよめきは漢兵の悲鳴によって、かき消されたのである。
劉邦があおむけに転倒しているのであった。
どういうわけか、ぴくりとも動かない。
誰もなにが起きたのか、理解できないでいた。
これを確認した項羽は、後方に控えた兵に声をかけ、
その場をあとにした。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…




『ひとり上手 』




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる



P R
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妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー

 
 
   

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『処刑までの53時間を録音したテープ』

ある死刑囚が、死刑執行を告げられてから実際に
処刑されるまでの様子を録音されたテープが
公開されていた。


現代では、死刑の執行を本人に告げるのは、執行当日の
午前9時ごろで、処刑は10時には執行される。
死刑囚からすれば、処刑の1時間前にいきなり
通達があるということになる。
現在はこれが慣例となっているが昔からそうだったわけではなく、
かつては2、3日前に本人に告げることが普通であった。
執行日を聞かされた死刑囚は、残された時間で
家族に会わせてもらったり、他の受刑者と語り合ったりして、
自分の最後の時を迎えていた。
昭和30年(1955年)、大阪拘置所の所長である玉井策郎氏は、
ある死刑囚が死刑の執行を告げられてから、
最後の時を迎えるまでの53時間をひそかにテープに
録音していた。

元々、拘置所の職員や教誨師(きょうかいし)
死刑執行の際、お経をあげたり祈りをささげたりして
死刑囚の心を安息に導く役目の人物の教育のための
資料として録音したものだが、
このテープは、翌年、国会に死刑廃止法案が提出された際に、
資料として法務省にも提出されている。
録音は全部で53時間、テープにして23本に及ぶものだが、
これを編集して1時間40分にまとめた「完成品」が、
視聴会で公開されることとなった。

教誨師(きょうかいし)たちを集めて行われた視聴会には、
何人かの新聞記者も同席し、その中で読売新聞の記者が、
聞きながら速記で内容を書きとめ、
昭和31年4月13日付け読売新聞に掲載している。
また、いくつかの報道番組が、実際の音声を
テレビでも放送していた。

死刑執行日を告げられる

このテープの主人公は、死刑囚 O(38)。
(ゼロではなく、頭文字「オゥ」)
神戸において3人組で強盗を行い、警官を銃で射殺して
死刑判決を受け、最高裁でも上告が棄却されて死刑が確定した。
テープの冒頭は「死刑囚Oは、京都宮津のキコリの
次男に生まれ・・」というナレーションに始まり、
Oの経歴の紹介を経て、録音部分に入る。

廊下を歩く数名の足音、戸を開けて閉める音。
昭和30年2月9日、午前10時20分、死刑囚Oは、
呼び出されて大阪拘置所の所長室に入った。
「O君、特別恩赦(おんしゃ)を願っていたけれども、
今日、残念ながら却下になってきた。まことに残念だ。
却下になってきた以上、近く執行があるはずだ。
これまで苦労したね、よくやってくれた。」
※恩赦:国家的に祝いごとなどがあった際に、
恩赦願いを出していると、刑が軽減される場合がある。
昔はこれで死刑が無期懲役に減刑された例がいくつかあるが、
近年では恩赦はほとんどない。

所長からこう告げられ、あさっての死刑執行を
宣言されたOは、ハンカチを取り出し涙声で
「非常にお世話になりました・・。
私はこれまで(拘置所内で)反則を繰り返し、
身分帳(罪の経歴)が汚れています。
これを残していくのは残念です。
何とか消していただけませんか。」と答える。

「それは実に立派なことだ。」所長が答える間、
Oの泣き続ける。
「会いたい人には会えるようにするし、法の許す限りのことは、
食べたいものでも何でも甘えるつもりで言いなさい。
出来るだけの面倒はみますから。」

所長室を出たOは教誨(きょうかい)室へと入り、
そこでお茶を飲むと教誨師に法話を聞かせてもらった。
しばらく教誨室で過ごしていると、ドアが開き、
拘置所の連絡で呼ばれたOの姉が案内されて入って来た。
姉を案内してきた課長が「O君、長い間言おうと思っていたことを
思い残すことのないように話しなさい。」と言う。

「何年ぶりかな、姉さんと話すのは。
T(自分の息子)は元気かね?」
自分の一人息子のことが気にかかる。
Oは死刑確定後は妻とも離婚し、
息子はこの姉に引き取ってもらっていた。
息子には、自分が戦死したことにしてある。
色あせた小学校の入学の時の写真を大事に持っている。
「もう、中学校を卒業するんだよ、
これからどうすればいいのかね。」
姉も涙ながらにOの問いかけに答える。

昼食のカツライスが運ばれてきた。
食べながら泣きながらの姉と弟の会話が続く。
姉が帰った後、今度は「送別お茶の会」が、
日本間で開かれた。
女囚1人を除いた死刑囚8人と所長、
管理部長、職員が出席した。
「お茶の会」自体は茶道の師範をお迎えして
毎月定期的に行っているものだが、
この日はOのための臨時のお茶の会である。

Oが挨拶をし「私が今のようになったのも
信仰のおかげです。」というと、他の死刑囚から
「はじめはずいぶんと悪かったからねえ!
特に25年ごろはねえ!」と声が上がると
一斉に笑い声が起こった。
Oは収監されたばかりのころは、看守には食ってかかり、
起床の時間も守らず、脱獄も何度も計画した。
他の死刑囚たちと、そんな思い出話に花が咲く。
そして一人一人がOに向けて、はなむけの歌を送る。
O自身も歌った。カラオケなどない時代、
伴奏もないが、それぞれが真剣にOのために歌った。
最後に所長が音頭を取り、蛍の光を全員で歌って
「送別お茶の会」は終了した。
「送別会」とは世間ではありふれたことであるが、
この送別会はまさに本当の意味での送別会であった。

姉と最後の面会

翌日10日の13時30分よりOを送るための送別俳句会が、
俳句の先生を招いて行われた。
死刑囚を中心に行われたこの俳句会では、
それぞれが詠(よ)んだ様々な俳句が披露され、
もちろんOの作品も発表された。

俳句会が終わって、いよいよ姉と最後の面会である。
面会は畳の間で行われ、子供時代のことや、
年老いた母への心配、自分の子供のことなど、
話は尽きない。
16時半になり、面会時間もそろそろ終了となった。
関保護課長が「別れは尽きないと思うし、
言い足りないこともあったと思うけど、
役所の規則がそれを許さない。お別れしましょう。」と、
面会の終わりを告げた。

Oは涙を流しながら
「姉さん、長い間ありがとう。どうかお母さんにもよろしく。
子供のことはくれぐれもよろしくお願いします。」と姉に
最後の頼みを行う。姉はずっと泣き続けている。
関保護課長が
「さ、これで別れましょう。残酷なようですが別れましょう。
最後にO君の手をしっかり握ってやって下さい。」と、
再び終了を示唆する。Oと姉は抱き合って泣く。

「もう時間が許しません。どうか姉さんも本人の
冥福を祈ってやって下さい。明日は立派な態度で
逝けると思います。」
関保護課長は両者を引き離し、
「姉さん、悪うございました。」と挨拶し、
ついに最後のお別れは終わりを告げた。
Oは舎房へ帰り、姉は声を上げて畳に泣き伏せる。

最後の時

夜が開けて11日、死刑執行の日が来た。
彼は昨日の晩、医務課長からもらった下剤を飲み、
腹の中のものをすっかり出した。
朝食はお茶漬けと奈良漬けである。
間もなく仏前に死刑囚全員とOが集まり、礼拝を行う。
教誨師がお経を上げる。Oの声も、残された死刑囚の声も
涙声になっている。

Oが最後の挨拶を行う。
「私は恩赦があることを期待していたので、その間、
宗教なんか必要ないものだと修行を怠(おこた)っていたのは
考え違いで、損をしました。どうか皆さんも、
助かるとか無期になるとか、このような気持ちを捨てるとともに、
見栄を捨て、真剣に死という問題に直面し、
人がどう思うかこう思うかということを考えないで、
死後を願うことが必要だと思います。

いよいよ皆さんと別れて、今日は刑場に臨むのでありますが、
私は今日、刑場で泣くかも知れないし、
また、腰を抜かすかも知れません。
あとで誰かに聞かれたら、その姿が本当の
私の姿だと思って下さい。」

実に淡々とした口調で、昨日、おとといに比べると
見違えるほど堂々とした態度になっていた。
挨拶を終わらせると、彼は並んでいる死刑囚の
一人一人と握手し、声をかけ、お礼を言う。
「一日でも長く生きてくれ。」「体に気をつけて。」
Oの言葉を聞き、死刑囚たちもOに励ましの言葉を返す。
みんな涙声になっている。

全員との別れが終わると、Oは手を振って個人教誨室へと入った。
処刑時刻までまだ少しある。ここで保護課長と最後の話をする。
処刑場では着々と準備が進んでいる。
時間になった。保安課長が迎えに来る。
「お別れだよ。」
Oの方を見ながら、保安課長は重々しく声をかけた。

教誨師や拘置所の所長、検事など、
立ち合い人が次々と処刑場へ入る。
刑場の仏間にはロウソクが灯され、香(こう)が焚(た)かれている。
仏間の前に置かれているイスにOが座る。
Oの正面に所長が立つ。
「長い間、苦労したねぇ。これで最後のお別れだな。
よくやってくれた。言い足りないこと、書き足りないことがあったら
全部ここで言いなさい。」

「今日(こんにち)のような修養を積めたのは、ひとえに所長をはじめ、
皆さんの理解によるもので、今日、喜んで死出の旅路につけることは、
本当にうれしいことです。」
Oはすでに安らかな口調になっており、恐怖を
乗り越えたかのような話し方である。
読経がすでに始まっており、その中で、
彼の辞世の句が教誨師から披露された。

「あす執行 下剤を飲みて 春の宵(よい)」
「何くそと 思えど悲し 雪折れの竹」
この後は所長から別れのタバコとしてピースを一本もらう。
最後のタバコを吸いながら
「兵隊に行ってた時にタバコが好きで、
あまりプカプカふかすので、機関車という
あだ名をつけられましたよ。」と、Oが笑いながら言う。

この後しばらくみんなで談笑が続く。そして話が途切れた時、
Oは覚悟を決めたのか、それぞれの人と握手を交わして行く。
「社会の人々にいろいろ迷惑をかけてすみません。」
「今日までの厚情(こうじょう)を感謝し、残る死刑囚を頼みます。」
最後に保護課長の両肩に手をかけ、
「先に行っています。極楽では私の方が先輩ですからね。」と言うと、
みんなから笑いが起こった。

本当に最後の別れが終わった。Oはこの後、
姉の心のこもった経帷子(きょうかたびら)に着替え、
仏前に線香を上げる。
保安課長がOに手錠をかけ、目隠しをする。
「心の中で念仏を唱えなさい。声を出すと舌を切るからね。」
課長の注意のあと、職員たちに連れられ、
いよいよ処刑場へと足を運ぶ。
読経の声が一段と高くなった。鐘がカーンと鳴らされる。
数名の人間の歩く足音が録音されている。

だがすぐに足音は止まった。首にロープがかけられているようだ。
読経は更に激しさを増す。
足音が止まってほんのわずかな後、バターンと一回、
大きな音がした。Oの足元の床が開いた音だ。
吸い込まれるように穴の中へ落ちて行く死刑囚O。
そして医者の検視。
「報告します。死刑終わり。午後2時59分執行。
死亡3時13分2秒。所要時間14分2秒。」
Oの死刑は終了した。

Author :現代事件簿




『サソリの涙 』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

 
 
 

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

Mituo

 

時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、
明日には枯れる

 
   
 
冥談「日常や社会に存在する都市伝説」

サーティワンアイスクリーム
アイスクリームのチェーン店として人気のある
サーティワンアイスクリーム」。知っている人は意外と少ないのだが、
この「サーティワン」にはある嬉しい「サービス」が存在する。
それは、あなたが「31歳」の誕生日を迎えた際、
サーティワン」に行って身分証明書を店員に見せると、
シングルカップのアイスクリームが一つだけ
無料になるというものである。
生涯に一日しか使えないこの「サービス」、
利用しないわけにはいかないが、すでに「31歳」の誕生日を
通り過ぎてしまった人にとっては残念だ…

なんとも「都市伝説」のオーラが漂う内容です。
もちろん、「サーティワン」ではこのようなサービスは
行っておりません。しかしながら、毎月31日を
サーティワンアイスクリームの日」と称し、
特定のアイスクリームを割引で販売するというサービスは
行っているようです。
ちなみに、「サーティワン」の「31」はアイスの数を表しており、
「1ヶ月毎日違うアイスを楽しめる」という意味が込められていますが、
多くの店舗では販売しているアイスの個数が「32」個です。
なぜ、「31」にこだわらないのかというと、
店の冷蔵庫が四角いために奇数の「31」個だと
一つ分のアイスのスペースが余ってしまい、
経済的ではないからだそうです。…



すかいらーくの看板』

 

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ファミリーレストランとして有名な「すかいらーく」。

この「すかいらーく」の看板にはヒバリを戯画化したものが
描かれているが、このヒバリの看板にはオスとメスが存在するのだ。
見分け方は簡単で、ヒバリの腹の部分に
「ヘソ」がついているものがオス、「ヘソ」のついていないものが
メスとなっている。
また、メスの場合には卵を抱えているものがあり、
そのことを店員に言うとコーヒーを一杯サービスしてくれるのだ。
そして、数は非常に少ないが、中には卵が孵っているバージョンもあり、
そのことを店員に言った場合にはケーキを一個
サービスしてくれるという。

確かに、「すかいらーく」の看板に描かれているヒバリには、
「ヘソ」のついているものとついていないものが存在します。
当初のヒバリには「ヘソ」がついていませんでしたが、
「『すかいらーく』がお客様から愛され、地域の中心的存在に
なってほしい」という経営者側の願いによって、
昭和50年代後半から、体の中心に存在する「ヘソ」が
つけられたものが登場しました。どうやら、
「オス」と「メス」の区別とは関係がないようです。
また、卵を抱えたヒバリは初期の看板で実在したようですが、
現在でもあるのでしょうか?
いずれにしても、店員に伝えた際に、コーヒーやケーキを
サービスしてもらえるというのはウソのようです。

ちなみに、なぜ看板に「ヒバリ」が用いられているのかというと、
すかいらーく」一号店が開店した場所が「ひばりが丘団地」であり、
そこから「ヒバリ」を起用したからだそうです。
また、「すかいらーく」という名も、「ヒバリ」の英語名である
「スカイラーク」からきています。
次回から「すかいらーく」に行った際は、看板に注目してみて下さい。

Author :都市伝説




「世界的に珍しい雲」



一目惚れしたのは、私が先よ、
手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

 

 

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
  お風呂物語

 

Furo611 

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2 日本最大の組織
(山口組)

創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。
  
 
 
その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…



『三代目弘道会々長・竹内照明 若頭補佐就任』

ついにと言うかやっぱりと言うか三代目弘道会々長の
竹内照明が若頭補佐に就いた。
過去に当代の出身団体が、ここまでガッチリと
ラインを固めた事はない。
三代目田岡一雄組長は別として、すでに広域組織となっていた
四代目発足時は組長に就任した竹中正久は、
竹中組を実弟の竹中武に譲り直参組織としていたが、
山口組本家の執行部には入れていない。
竹中武はヒラの若中だった。

当時の本家若頭中山勝正ら執行部が、正久のもう一人の実弟で
竹中組相談役の竹中正を竹中正組として本家直参に
引き上げようと提案した事もあったようだが、竹中正久組長は
竹中組優遇に難色を示したと言われている。
それでもこの話は実現しかけていたが、竹中正久組長の暗殺、
竹中正自身のハワイでの逮捕、竹中武の逮捕などもあり
実現はしなかった。

短命に終わった竹中正久の四代目時代は山一抗争そのものであり、
当代の影響力はほぼない。
当代を出した竹中組は抗争において独自に大きな戦果を
上げる事で山口組内でその存在感を増した。
そして竹中武が文句なしで若頭補佐に就任したのは、
山一抗争終結間際の平成元年だった。

五代目渡辺芳則組長の時はどうだったのか。
先代の竹中正久組長を出した竹中組は、五代目発足と同時に
山口組を離脱しており竹中色を残さない新たなスタートだった。
渡辺は本家の組長に就任すると同時に二代目山健組を手放し、
桑田兼吉を跡目に三代目山健組を本家直参とし若頭補佐に就けた。
この時の若頭は渡辺の五代目就任に貢献した
宅見組々長・宅見勝が就いている。

そして渡辺は二代目山健組の主立つ幹部らを本家の
直参に引き上げた。
浅川一家、松下組、盛力会、健心会、中野会、鈴秀組、
松本組などがそうである。
なかでも中野会は数の上でも急膨張し若頭補佐に就任し
執行部入りした。
当代を出した事で三代目山健組、中野会を中心とする山健組系が
全国的に幅を利かし、大きな顔で無理をゴリ押しした時代だった。

1997年に中野会により若頭の宅見勝が暗殺された後、
長らく若頭の席は空席となった。
渡辺の五代目体制そのものが宅見に大きく依存して
成り立ってきた体制であり、次の若頭を決めるにあたって
渡辺が独断できる状況ではなかったようである。
山健組系の末端が大きな顔をしていたのとは裏腹に
本家の奥の院での渡辺は、実権のない飾り物のような扱いだった。

以上のように四代目時代、五代目時代とそれぞれ
本家の当代を出した組織は、その時代において
勢力を持っていたが、そのまま出身組織自体が
当代を引き継いでいくラインが確立されていなかった。

また、同じ組織の出身者が連続して代を取るのもどうかという
風潮もあった。
当代の出身組織が若頭を務めたのも六代目体制が初めてである。

そして今回の六代目体制では、今までにない初めての試みが
行われようとしている。
竹内が若頭補佐に就いた事でいよいよ最終段階を迎え、
六代目体制十年にして弘道会こそが山口組の中心だという
体制が整ってきた。そしてこの先の山口組は、
本家の代を取るのは弘道会から。という体制になるのかもしれない。
この事が良い事なのか悪い事なのか、
それはそれぞれの立場によるだろう。



『神戸山口組は6000人余 3番目の勢力に

国内最大の暴力団、山口組が分裂したあと、離脱した
組長で結成された神戸山口組は、所属する組員などが
6000人余りと、全国の暴力団で3番目の勢力に
なっていることが警察庁の調べで分かりました。
指定暴力団、山口組を巡っては、去年8月、関西を中心とする
傘下の一部の団体の組長が離脱し、兵庫県淡路市を拠点とする
戸山口組を新たに結成しました。

警察庁は、それぞれの組織の実態解明を進めていて、
25日に勢力を初めて公表しました。
いずれも去年12月末の時点で、山口組は組員と準構成員などを
合わせて44の都道府県で1万4100人と、前の年より
9300人少なくなりました。
その一方、神戸山口組は36の都道府県で6100人と、
山口組、東京を拠点とする住吉会に次いで、全国の暴力団
3番目の勢力になっています。

警察庁によりますと、これまで対立抗争は確認されていませんが、
互いに切り崩しを活発に行い、各地で事件やトラブルが
相次いでいるということです。23日には、福井県で、
戸山口組系の暴力団事務所に発砲したとして、山口組系の
暴力団員が逮捕される事件が起きています。
全国の警察は、対立抗争に発展するおそれがあるとして、
警戒を強化するとともに、暴力団対策法の規制を外れた
戸山口組を改めて指定するための作業を急いでいます。

「分裂後、取締りを強化していて、2つの団体を合わせた組員などの
数の勢力は、1年前と比較しておよそ3200人の大幅な減少に
なっている」と述べました。

『分裂の背景に上納金や組織運営

山口組を巡っては、去年8月に、関西を中心とする傘下の
13人の組長が離脱して、新たに神戸山口組を立ち上げました。
分裂の背景について、警察は人事や上納金を巡る問題など、
山口組の今の組長の出身母体、弘道会を中心とした
組織運営に対する不満があったとみています。
警察庁によりますと、山口組には分裂前、組織の運営に関わる
「直参(じきさん)」と呼ばれる幹部が73人いましたが、
現在は56人になりました。

一方、神戸山口組は、分裂当初の13人より増えて
22人になったということです。
山口組と神戸山口組は互いに組員の引き抜きを激しく行っていて、
このうち神戸山口組では、過去に山口組から処分を受けた人を
復帰させるなどして、勢力の拡大を図っているということです。
そして、去年の年末までに新たにおよそ280人が山口組から
戸山口組に移ったとみられるということです。

一方、警察は取締りを強化していて、去年9月以降、24日までに
双方の暴力団事務所などのべ158か所を捜索し、
210人を逮捕しています。、

Author :溝口敦:賢者の知恵



『思秋期/一青窈




人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……