流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo 
昨日という日は
歴史、
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プレゼント
明日という日は
ミステリー

  
 

 

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『事件史探求』

豊かな生活をおくるこの繁栄の陰に
多くの犠牲や謎に包まれた事件が数多くあり
過去の教訓を活かす為にも「負の財産」」を忘れてはならない


『あるホームレスの一日』
  (NO1)

ホームレスといえば、公園や道路でテントやダンボールの家に住み、
着ている物は恐ろしく汚れ、悪臭を放っているという印象を
誰もが持っている。
一般人でホームレスと付き合ったり話をしたりする人はほとんどない。
故(ゆえ)に、彼らの生活もあまり知られていない。

ホームレスになる前の職業は、建設関係が圧倒的に多く、
全体の56.9%を占める。次いで製造業26.7%、運輸・通信5.8%と続く。
直前の雇用形態は、正社員が42.3%。

ホームレスは、いつも同じところにテントを張ったりして定住している者と、
少しでも金を稼いで泊まれる所を転々としている者と、
二つのタイプがある。
生活場所が決まっている場合、「そこはどこか」という問いに対しては
公園30.3%、河川敷26.8%が多く、道路9.4%がそれに続く。

転々としている方は、あまりホームレスとは分らない者が多い。
ホームレスと言えば、道路や公園、河川敷などにテントを張って
生活している者という印象が強いが、実際は人には気づかれない
ホームレスも大勢いるようである。

他人ごとではない

ホームレスの平均年齢は57.5歳。ホームレスになった理由は、
ほとんどの者が40代、50代になってからの失業である。
40代、50代と言えば、元の会社でも出世している人が多い。
ホームレスには、元会社の重役が多いと言われるのもそのためである。

中には、会社を経営していて倒産し、従業員たちから
「給料払え」と訴えられて夜逃げし、そのまま路上生活に入った人もいる。
サラ金からの借金が膨大に膨らみ、夜逃げして
ホームレスになるというパターンも多い。

ギャンブルによる借金であればあまり同情は出来ないが、
そうではない人もいる。
生活費が足りずに借金を重ね、支払が出来ずに、こっちから借りて
あっちへ返すというパターンである。
再就職先を探して何十社面接に行っても年齢が弱点となり、全て不採用。
中には履歴書を100枚書いて応募しても、全て不採用だった人もいる。
そのうち退職金も貯金も底を尽いて、住む所もなくなる。
皆、やむを得ずそのような状況になってしまったのであり、
今きちんと働いている人たちでも、自分だけは大丈夫という
保証はどこにもない。


こうしてホームレスになったBさんの場合

Bさんは、大学を卒業して9大商社の一つに就職した。
主に財務を経験する。バブルがはじけてからは会社の業績が急激に悪化し、
以前は7~8ヶ月分あったボーナスも、0.5ヶ月分まで落とされた。

勤続25年で、財務部の次長にまでなっていたが、
これ以上ここにいても収入が減るばかりと考えていたところへ、
会社が希望退職者を募(つの)り始めた。
倒産しては元も子もない。まだ、上乗せの退職金が出るうちに
この会社に見切りをつけて別の会社へ移った方が得策だと判断し、
Bさんは希望退職に応じて会社を辞める。

「まだ40代半ばだったし、転職先はいくらでもあると思ってた」と
Bさんは語る。
退職金は手取りで2300万円。そのうち2000万円をマンションの
返済にあてて、残ったのは300万円。しかしこの金も子供の教育費と
生活費で全て消えてしまう。

就職が決まらない。どこへ応募しても年齢で除外される。
自分としては財務は専門職だと思っていたから、半年もあれば
好条件のところへ入れると思っていたが、完全に考えが外れた。

2人の子供を抱えているので、年収で700万くらいのところを探したが
全て駄目。
「手当て込みで30万円、年収で450万ほど。こんな程度のものばかりでした。」と、
Bさんは就職活動を振り返る。

やっと採用されたのが中小企業の経理だったが、2年ほど勤めた時、
「今後は息子にこの仕事をやらせるから、あなたはもういいです。」と
言われて解雇になった。

その後はクリーニング屋でバイトを始める。時給は900円だった。
月の収入は15万円で、奥さんも働きに出ていたが、2人合わせても
月22~23万円だった。
しかし昔の感覚が抜けず、カードで買い物をしたりしてボーナス時の支払いが
50万円を超えたりすることもあった。更に、住んでいたマンションが10年目の
大規模な改修工事をするというので居住者一戸当たり80万円の負担がきた。

貯金も底を尽いていたので、3つのサラ金で150万円借りた。
収入が収入なので、返せるわけがない。別のサラ金から借りて
こっちへ返す、ということを繰り返しているうちに、最初に借りた150万は、
1年半後には1600万円に膨(ふく)れ上がっていた。
借りた会社は全部で16社。

「金返せ!」とサラ金から激しい取り立てが来る。マンションを売って
何とか返済したものの、奥さんは子供を連れて実家へ帰り、家庭は崩壊した。
マンションを売ったのでBさんも住む所がなくなってしまった。
最初は兄弟たちのところを転々としていたが、あまり
迷惑をかけるわけにもいかず、ついに公園で暮らすこととなった。


Cさんの場合

Cさんは、関西の国立大学を卒業し、大阪で、大手の鉄鋼会社へと就職した。
30年勤め、最終的には本社の副部長まで昇進する。しかしある日、
外回りの営業から帰ってくると、「人事部が呼んでる」と言われ、人事部へ行くと、
今年の年末で辞めてもらうことになったと告げられた。
一瞬で頭の中は真っ白になった。

Cさんにすれば、配置転換は色々経験したが、どの部署でもきっちり
仕事をやってきたという自信はあったし、4半期ごとの売上げ目標も
クリアしており、トラブルも起こしたことがない。
なぜ自分が整理対象になるのか、納得がいかなかった。

その点を聞いてみたが、中国や韓国の安いところと競争していくためには、
人件費の高い中間管理職を抱えている余裕などは
この会社にはないということだった。
Cさんも抗議したが「決まったことだから」の一点張りで、
全く話し合いにはならなかった。

「今後、あなたにこの会社でしていただく仕事はありません。」と
常務に告げられ、一方的な解雇通告を受けて終わりだった。
30年勤めた実績などは何の役にも立たなかった。

企業がリストラする目的は人件費削減であるから、
Cさんがリストラ対象となったのは、やはり「給料が高い」という
理由が大きかったようである。

2週間で後任に引継ぎを終わらせると「人事部開発室付け」という
所属に切り替えられ、出社する部屋も変えられた。
半年間、この部屋に出勤するようにとのことだった。
要するに、半年以内に次の仕事を見つけろということで、
この部署は仕事など何もない、ただ「居る」だけのような所だった。

ここにはCさんを含めて60人ほどが所属となり、別名
「リストラ部屋」と呼ばれていた。仕事は
「次の仕事を見つけてくること。」である。

半年が経ったが、再就職先が決まったのは3割くらいの
人間だけだったという。
Cさんも面接にはかなり行ったが、どこも年齢で引っかかり
不採用ばかり。
結局進路が決まらないまま退職することとなった。

退職金は2500万円出たが、家のローン返済で消えていった。
熱心な就職活動の結果、退職して8ヵ月後、ようやく一社採用になった。

教育ビデオの製作・販売をしている会社だったが、
5巻セットで3万円のビデオを売ったり、書店で2000円で売っているものを
4000円で売ったりなどの胡散(うさん)くさい商売をしている上に、
給料も売上げに応じた歩合給だった。

訪問販売のようなものだったが、交通費も自分持ちの上に、
やっていることも詐欺っぽかったので、ここは2ヶ月で辞めた。
それからは全く仕事に就(つ)けない日々が続いた。
人材派遣会社へ登録もし、職安へも何回も行ったが、全て駄目だった。

そして東京へ行くことを思いつく。一つアテがあった。大学時代の友人で、
材木の輸入・販売の会社を経営している男がおり、同窓会で合うたびに
「一緒にやらないか。」と誘ってくれていた同級生がいたのだ。

思い切って訪ねてみたが、その会社があるはずのビルは閉鎖されていた。
管理室で聞いてみると、ずいぶん前に倒産したとのことだった。
家の電話番号も知っていたので電話してみたがつながらなかった。
大変なのは自分だけじゃなかったことを改めて思い知った。

奥さんには「俺の実力を知っている奴だから喜んで
迎えてくれるはずだ。」と言って出て来た手前、のこのこ帰れない。
手持ちの金は2週間で使い切り、そのまま路上生活へ入ることになった。
上野公園が主な生活場所となり、雑誌を拾って古本屋へ売り、
この時は一日1000円ちょっとの収入で何とか生きているということだった。


Cさんの談
「まだスーツを着て働いていた時は、梅田や難波でそういう人たちを見て
『ああはなりたくない』と思っていたけど、簡単になってしまった。
何が悪かったんだろうと思いますよ。」
「こういう暮らしをしていると恥という感覚が日に日に失せていくんだ。
ゴミ箱に手を突っ込んで雑誌拾いするのだって何とも感じなくなった。」

「道を歩く時も、前は人に見られるのが嫌で下を向いて歩いていたけど、
今は普通に歩いている。
いつもはそこの歩道橋の下にダンボールを敷いて寝てるけど、
すぐ横をサラリーマンやOLの人が通っても何とも感じなくなった。
地べたに座って弁当を食ったり酒を飲んでいるところを見られても
平気になってしまった。
人間なんて、驚くほど簡単にみっともなくなっていくんだ。」……



体験談・見聞きしたこと『飲酒運転で捕まったママさん』

ある飲み屋のママさんが、店で営業中、結構飲んでいたにも関わらず、
店が終わって家に帰ろうと自家用車に乗りこんで発進すると、
ちょっと走ったところで警察に停められた。
飲み屋街でバスケットにおしぼりを入れて歩いている女性といえば、
モロにどこかの飲み屋のママさんであるから、そういう人が
車に乗り込んでいるのをみつけた場合、後をつけて行って
捕まえるのだそうだ。
車を道路の左端に寄せて停めると、警官が近寄ってきた。
完全に飲酒運転で捕まる展開である。
あんた、飲んでるじゃないの?と警官が聞いてきた。
「私、これから死ぬところだったんです・・。」
「は?」
思いもかけない返答に警官も一瞬、分けが分からなくなった。
「死ぬって一体何を言ってるのかね?」
「私、男にふられて・・私の身体の中にはすでにその人の
赤ちゃんまでいるのに、遊ぶだけ遊ばれて捨てられたんです。
もう、生きててもしょうがないから、このまま海に飛びこんで
死んでしまおうと思って・・。

だけど死ぬっと怖いじゃないですか! だから私、
勢いをつけようと思ってお酒をガブ飲みして、その勢いで
このまま海に飛びこみに行くところだったんです。」
そう言ってママさんは目からぽろぽろと涙をこぼし始めた。
ウソ八百を並べながらも泣くことが出来るというのは、
女性特有の特技であろうか。
「ちょっと待ちなさい。バカなこと考えるんじゃない!」
「もういいんです。飲酒運転で捕まえるんでしょ? 切符切って下さい。
私にはもう、関係ありませんから・・。」
「ちょっと待ちなさい。もっと落ち着いて! 
今日のところは家に帰りなさい。家は遠いのかね?」
「はい、ちょっと・・。」
「この近くには相談出来る人はいないのかね?」
「このちょっと先に友達が住んでますけど・・。」
「じゃあ、とりあえずその友達の家に行きなさい。
苦しいことは人に話したらそれだけでも楽になるもんだよ。
死ぬなんて安易に考えずに、まずはその友達に
打ち明けてみてはどうかね。
さすがに運転させるわけにはいかないから、あんたの車は
もう一人の警官に運転させよう。私はパトカーでついていくから。」
そういうことで、「友達の家」まで警官たちに送ってもらった。
しかし実際は、その家は友達の家でも何でもなくて、
自分の家だったのだ。
何のことはない。自宅まで送ってもらっただけだった。
「ありがとうございます・・。私、考え直してみます。」
「もう、死ぬなんて考えるんじゃないぞ。頑張って生きるようにな!」
そう言って警官たちは去って行った。
結局キップは切られずに済んだ。
パトカーがいなくなった後、ママさんは「やべーやべー、
危ないとこだったわ。」 と言いながら
ほっと胸をなでおろしたのだった。
※真似はしないで下さい。


Author :
現代事件簿


『泣いて昔が返るなら 』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる


P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
Moto3