流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

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ミステリー

  
 
 

 誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『ある日突然、「ひきこもり」の兄が部屋から出てきた! 
そのとき、妹はどうする!?』


内閣府の調査』によると、

国内の「ひきこもり」の総数は69.6万人にも及ぶという。
しかし、この社会問題をテレビの向こう側の話だと
捉えている人は少なくないと思う。
身近にそういった存在がいなければ、どこか現実味の薄い、
自分とは関係のないものだと思ってしまうのも
仕方がないかもしれない。けれど、
もしも家族の誰かがひきこもりだったら? 
はたして、その問題と真摯に向き合うことができるのだろうか。

『ふつつか者の兄ですが』
日暮キノコ/講談社)の主人公、田処志乃は、
今まさにそんな問題と向き合うことを余儀なくされている。
女子高生である志乃には、絶対に誰にも言えない秘密があった。

それは、ひきこもりの兄・保の存在。
保は中学生の頃の部活で挫折感を味わい、
そのまま不登校になった。
そのうち不良たちとつるむようになり、家で暴れるように。
そして両親が別居したのを機に、本格的に
心を閉ざしひきこもりになった。

そんな兄の存在を、決して周囲に知られてはならない。
せっかく転校までして、家庭の事情を知らない人たちの世界に
飛び込んだのだ。
そこで築き上げたものを壊すことなんて、絶対にできない。
だから志乃は、家にひきこもりがいるなんて
口が裂けても言えないのだ。
ところがあるとき、保が「そろそろ部屋を出ようかな」と言い出した。

しかも、バイト先まで志乃を迎えに来たり、お弁当を作ってみたりと、
志乃の生活に少しずつ顔を出し始める。
もちろん、志乃にとっては大迷惑。
必死になって隠してきた保の存在が、まさか本人によって
明るみに出るなんて。
勝手に出てきたくせに、兄貴ヅラしないでよ――。
保がひきこもっていた4年という月日は、兄妹の関係を
いびつに歪めてしまったのだ。

ひきこもっていた人間が社会復帰しようとする。
これは素晴らしいことだと思う。
しかしながら、その家族のなかには、志乃のように
心からそれを喜べない人間もいるのかもしれない。
彼らにとってひきこもりの家族とは、
いなくなってしまった人間も同然。
それがある日突然表に出てこられても、
正直どう対処していいのかわからないのだ。

しかし、少しずつではあるが、志乃と保の関係は変化していく。
保が率先して家事をするようになり、バイトも始めた頃、
志乃は忘れかけていた「兄」という存在を思い出す。
4年間のブランクがあろうと、やはり保は志乃の兄なのだ。

本作が誰の心にも響くのは、ひきこもりである保ではなく、
あくまでも普通に生きている志乃を主役に据えたからだろう。
そして志乃を通して、社会復帰しようとする保の姿を
追いかけることができる。
その姿はときに情けなく、ときにみじめだったりもする。
けれど、ひたむきに生き直そうとする保を見ているうちに、
自然とエールを送りたくなってしまうのだ。
志乃と同じように。

不器用だけど真っ直ぐに歩き始めた、元ひきこもりの保。
そして、これまた不器用で素直になれない志乃。
ふたりが今後どうやって家族の絆を取り戻していくのか、
ぜひ確かめてみてほしい。

Author :五十嵐 大



『新たな家族問題“きょうだいリスク”とは
親が亡くなったらニートの弟を世話するのは私? 
結婚しない姉の面倒は?』


親兄弟がいて、子や孫が生まれる。
従来みられた家族像であるが、ここ最近は
その形も変わりはじめている。多くは、
少子高齢化による核家族の増加や、非婚化による
単身世帯の増加などを理由としているが、
近年、兄弟の面倒をみる「きょうだいリスク」という
側面も指摘されている。

その根底に「ほぼ同世代で生じる『格差問題』」があると唱えるのは、
『きょうだいリスク 無職の弟、非婚の姉の将来は誰が見る?』
(平山 亮・古川雅子/朝日新聞出版)だ。
本書の指摘によれば、想定される問題は以下のとおりである。

1)自分も余裕がないのに兄弟の困窮まで手助けして
 「共倒れ」してしまう
2)生活に余裕がない中、兄弟の生活保護申請を助けて
 後ろめたさや互いの距離が生まれる
3)遠方に住む困窮した兄弟の介護や入院を手助けして、
 時間的、経済的に追い込まれる
4)親の介護で兄弟同士にあつれきが生まれる、
 関係がこじれるか絶たれてしまう

家族とは他人と異なり、切っても切れない存在なのも事実だ。
兄弟がいるならば想像にかたくない問題点ばかりだが、
ではなぜ、ここにきて兄弟間におけるリスクを考えるべきなのか。
その背景のひとつには「親の老い」がある。

ひきこもり支援センター代表によれば、
70代の親が40代のひきこもりの子どもを世話する事例も
珍しくないという。
いったん社会へ出たとしても、ふたたびひきこもりに戻ることを
繰り返し、気がつけば親子ともども高齢化しているというケースも。
そして、親が亡くなったあと、助けを求められるのは
兄弟しかいなくなるという構造がある。

さらに、その根底にあるのは「きょうだい格差」だ。
ただそれは、経済的なものに限らない。
本書ではあえて「身分」という言葉が使われているが、
学歴や職業もしかりで、もっといえば、
どこに住んでいて何を消費して生活しているのか、
社会的に誰と繋がりを持っているのかなど、
細かな生活習慣の食い違いが、やがては
血の繋がる者同士の大きなひずみになりうるということだ。

その先で生じるのは、親の老いや死による兄弟間の
あつれきである。
想定されるパターンは大きくふたつに分けられる。

1)生活のすべてを親に依存していた兄弟から助けを求められる
2)親の介護により時間的、経済的な事情にあえぐ
 兄弟から助けを求められる

どちらも最終的に、受け止める覚悟を迫られる
兄弟への“依存”へたどり着くことになる。
ひとつめは親へ依存している場合、
ふたつめは親から依存されている場合だが、
特に親の介護をきっかけとする場合に、
兄弟へ求められる選択肢は“親と兄弟のふたつを
いっぺんに背負えるか否か”という2択だ。
かりに背負う覚悟を持ったとして、たいへんな重荷となるのは
誰の目に見ても明らかだが、では、その者の負担を
誰が担うべきかという課題も残る。

家族とは究極のセーフティネットであるが、同時に、
その枠内で「家族で支え合う」という意識に縛られると
行き場を失いかねない。
「きょうだいリスク」の根底には貧困や社会保障
議論も垣間見えるが、年老いていく親の背中を見るにつれて、
身につまされる問題のひとつである。


Author :カネコシュウヘイ




『あきらめないで 』





君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

P R     カビの生えない・きれいなお風呂     
     お風呂物語
入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
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