流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

漢の韓信

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


こうして、こうすりゃ、こうなるものと、
  知りつつ、こうして、こうなった


メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!
アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Kanshin021111 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
国士無双」「背水の陣」
「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。 

 
 
 
 漢の韓信-(124)

「よし。よくやった……あとで褒美を」
項羽の後ろに隠れていた兵が、劉邦めがけて
弩を放ったのである。
これが劉邦転倒の原因であった。
弩から発射された矢は、劉邦の胸板に命中していた。
無理を押して関中の父老の前に姿を現したのが
功を奏したのか、広武山に陣する劉邦の軍に関中から
多くの子弟が兵として補充された。その模様は
谷向こうに陣する項羽の目にも留まる。
首領が矢に倒されたにも関わらず、
漢が軍行動を止めようとしないことに項羽は苛立ち、
対応に苦慮した。

漢との戦いはひとまずおき、後背の韓信や彭越を
先に処理すべきだ。項羽はそう思ったが、
どうしても行動に移せない。
劉邦に傷を負わせ、漢を追いつめている自分が、
相手に停戦を求めるなど不自然だと考えたのである。
自身の矜持が許さないのであった。

しかし、項羽にとって幸運であったのは、漢が兵力を
増強したにもかかわらず、和睦の意志を楚に示したことである。
項羽にとっては渡りに船であったことは確かだが、
もちろんこれは偶然ではなく、楚がそれほどまでに
漢を追いつめた結果であった。
行為の善悪は抜きにして、項羽としては努力が
実ったことに違いはない。

だが問題は、このとき漢側の使者として項羽のもとに
派遣された人物が、陸賈(りくか)という人物であった。
しかし項羽は「出直してこい」
項羽の口から発せられたのは、たったそのひと言のみである。

示した停戦の条件は、楚側が人質としている
劉太公と呂氏を解放することであった。
今にして思い返してみると、実に虫のいい話である。
実質的に有利な状態にあった楚に対して、
敗色濃厚な漢が一方的に条件を示すなど、
後世の物笑いの種になりそうな話である。

当時の使者の最大の役目は、威厳を保つことにあった。
たとえ漢が滅亡寸前であったとしても、そのことを
楚に悟らせるわけにはいかなかったのである。
相手に媚びるような態度を示すなど、もってのほかであった。
次に漢が使者として選んだのは、
侯公(こうこう)という人物であった。
この男が鴻溝(こうこう)という広武山よりわずか東の土地を境に
天下を二分することを提案し、受け入れられることになった。

鴻溝より東が楚であり、西が漢である。
これにより項羽は領地として梁を保有し、
漢は関中・巴蜀のほか韓や西魏は保有するものの、
それ以上の東進は阻まれたことになる。
しかし、この和睦により劉太公と呂氏は解放され、
漢兵はみなこれを歓迎し、万歳を唱えた。
長く続いた対陣は終わりを告げたのである。

このとき使者として実績をあげた侯公は、その褒美として
財物や封地を与えられ、平国君という尊称を送られた。が、
実をいうとこの人物は、周囲からあまり信用を得ていたわけではない。
彼は「行く先々で国を傾ける」と、警戒されていたのである。
彼に送られた「平国」君という尊称は、
「傾国」の反対語であることから、この人物に対する劉邦
漢の首脳部の警戒感がよほどのものだったことがうかがわれよう。

彼は与えられた褒美のうち、財物だけを手にすると
封地に赴くこともなく、行方をくらました。逐電したのである。
侯公は、漢のためを思って交渉の席についたのではなく、
財宝と、自身の能力の誇示だけが目当てだったのだ。
彼の内には、忠誠心のかけらもなかった。
しかし侯公の交渉が成功したことは確かである。
項羽は広武山の陣営を払い、東に向けて退却を開始した。
何はともあれ、楚・漢の和睦は成立したのであった。

この和睦を誰よりも喜んだのは項羽であっただろう。
一様に万歳を唱える漢軍に対し、撤退する楚軍の姿の方が
全体的に消耗しているように見えたことは、
それを象徴するかのようであった。
去り行く楚兵たちの姿を眺め、劉邦は安堵の溜息を漏らした。

これで、しばらくは……。疲れていた。
毎日のように続く緊張が体力を消耗し、
胸の傷はなかなか完治しようとしない。
劉邦にとって地獄のような日々であった。
しかし、それも終わりを告げようとしている。

だが、寝所に入ってひと休みしようと考えた劉邦の前に、
表情をこわばらせた張良が立ちはだかった。
劉邦はなにか予想していなかった事態でも発生したのかと
心配し、立ち止まった。
「子房……」
「大王……機会は今しかありません。楚軍を追い、
後ろから討つのです」

「なに! ……しかし、和睦が」
張良のもともと青白かった顔が紅潮している。
どうやら自分の策に興奮の色を抑えきれないらしかった。
「ええ、ええ! 和睦は確かに成りました。
しかし、そんなことはもうどうでもよろしい。
これを逃せば、漢は滅びます! 
あるいはこれを裏切りだと評する者もおりましょうが、
そのときは私ひとりが責任を持ちましょう。
とにかく討つのです。今! 楚を討つ機会は今しかありません!」

張良は感情的な男ではないが、このときは激しく主張し、
劉邦はその勢いにのまれ、この策を容れた。
漢軍は広武山からひそかに出撃し、楚軍の追撃を
開始することになる。
陳勝呉広の蜂起から端を発し、長く続いた楚・漢の抗争は、
この時点より最終局面に入った。

灌嬰は漢の歴戦の武将であったが、年は若い。
もともと諸国を渡り歩いて絹を売り歩く商人で、
そのおかげか馬の扱いに慣れ、商売人上がりらしく、
機を見て判断を素早く下す技術に長けていた。
の戦は速戦即決、疾風の如き速さが特徴である。
京・索の戦いを機に、旧秦の名高い騎士たちを従えることとなり、
彼の軍はその速度にさらに磨きをかけた。
このころから彼は「騎将灌嬰」と敬意をこめて呼ばれることとなる。

そのような灌嬰であったので、当然ながら劉邦を始めとする
漢の首脳部の信用はあつい。
しかし残念ながら彼には政治的影響力がなかった。
自己顕示欲が少なかったのかもしれず、
あるいは生来政治的なものの考え方が苦手だったのかもしれないが、
いずれにしても彼が尊重されるのは軍事の面に限ってのことである。
このことから、灌嬰は非常に実務に長けた人物で、
構想力を自慢としていたとはいえず、その点では
韓信に似ていなくもない、と言えそうである。

その灌嬰は韓信が斉を制圧すると、もっぱら楚との
国境付近の防衛にあたり、斉の残党や混乱に乗じて
侵入をはかる楚軍を相手に粉骨砕身の働きぶりをみせた。
その戦いぶりに韓信が信用をおいたことはいうまでもない。

しかし、最近は様相が少し変わってきている。
これまでは防御が主な任務だったのに対し、
近ごろは小規模ながら積極的に楚の補給路を断つような
命令を受けるのである。
さらには命令を発する韓信が自ら姿を現し、
共に戦うことも多くなった。

斉王の心の迷いが、晴れたのだ。灌嬰はそう思い、
この事態を歓迎した。それもそのはず、
彼は戦略上、韓信配下の斉軍に所属してはいるが、
もともと漢の将軍なのである。
それも重鎮であるといって差し支えない立場であった。
その彼にとって韓信が楚の使者を迎え入れたり、
幕僚の意見を真に受けて自立を企むことは、
望むべき事態ではない。

灌嬰将軍。そろそろ大規模な遠征があるかもしれぬ。
心構えをしっかりとしておけよ。もっとも……
君なら大丈夫なことと思っているが」
このとき、韓信は灌嬰に向かってこのような内容のことを言った。
灌嬰はこれに対し、「大規模な遠征……それは、
どの国を相手にするのでしょうか?」と質問したという。

捉えようによってはきわどい内容であったかもしれないが、
灌嬰には嫌味を言ったつもりはない。
むしろ冗談めかして近ごろの韓信の気の迷いを茶化したのである。
彼にとって韓信は王としては話しやすい相手だったのである。

「そういじめるな。もちろん相手は楚だ。……
しかも今度は項王と直接相対することになるだろう。
だから心しろ、といっているのだ」
「そうですか。いよいよ……。いや、私は相手が漢だとしても、
戦いますぞ。斉王とともに」
韓信はこの言葉を聞いて笑いながら言ったという。
「君のその言葉はうれしい。しかし、くれぐれも
他人のいる前でそんなことを言ってくれるなよ。
君も知っていることと思うが……私の立場は依然、
微妙なままなのだ」

灌嬰はそれを聞き、苦笑いしながら答えた。
「ええ、知っています。しかし、斉王様。
あなたが楚を討つとお決めになられたことに、
私は内心ほっとしているんです。
仮に自立するとして……私はあなたと行動を
共にするつもりではおりますが……ことが成功すればよいが、
失敗したら私どもは逆賊の汚名を着ることになる。
できることなら、そんなことは避けたいですから」

灌嬰の言葉は、この当時の忠誠心というものがどういうものか、
如実に示している。
人は国や制度ではなく、人に対してのみ忠節を尽くす。
美しい精神である。しかし、結果的にこの精神が延々と続く
無秩序を生んだと言えるだろう。
理念より憧れでこの時代の人々は行動したのだ。

「漢王の忠実なる臣下たる君が、軽々しくそんなことを
言うべきではない。
……君に妙な気をおこさせないためにも、
私はここで断言しておくべきだろうな。斉王韓信も、
やはり漢王の忠実なる臣下である、と」
この時の韓信の表情には、曇りがなかった。
灌嬰はそれを認め、「よかった。これで前面の敵に意識を
集中できる、というものです」と心から安堵したような顔で答えた。

韓信の軍は、常勝の軍である。彼らは、負けたことがなかった。
ただし、それがゆえに負けるのは想像できないほどに
恐ろしいのである。そのため、韓信に従う兵たちは、
自分たちの首領が無用な、意味のない戦いをすることを
望まなかった。
灌嬰はそのような兵たちの気持ちを代表して述べたと同時に、
自分自身の強い思いを言い表したようである。
韓信には、それが痛いほどよくわかったのである。
自らの気の迷いが、恥ずかしくなるほどであった。


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.



愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
歌は世につれ、世は歌につれ、
人生、絵模様、万華鏡…



『わかれうた / 中島みゆき




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂

    お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


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