流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2 日本最大の組織
(山口組)
 
創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。 
 
 
その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。…

『山口組分裂「静かなる抗争」の全内幕』
~分裂から3カ月。最高幹部らが重い口を開き始めた


最高幹部のインタビューが掲載

日本最大の暴力団「山口組」が、
六代目山口組と神戸山口組に分裂し、
週刊誌等に数多くの情報が掲載されるなか、
騒動を追った初めての本格的な書籍が出版された。
『山口組分裂騒動の全内幕』がそれだ。

描かれているのは、分裂の原因であり、
抗争には至らずとも神経戦、情報戦、
恣意活動が続く紛争の内幕である。


『激化する「切り崩し合戦』

暴力団は、「盃事」をもとに擬似的な「親子」「兄弟」の
関係を結び、そこに組織内での序列や約束事が発生、
組織や親兄弟や面子のために、
長期の懲役を覚悟、死地に赴くこともある
特殊な世界である。

その一般社会からは遠い価値観が生み出すドラマが、
観客を引きつけて、任侠映画や実録映画につながり、
高倉健菅原文太といったスターを生んだ。
そんな暴力団への“郷愁”が、山口組分裂騒動を
知りたいという欲求につながり、週刊誌や夕刊紙は
それに応えて特集を組んでいる。

だが、騒動の現場では、警察や自治体の
厳しい締め付けのなか、存続の難しくなった暴力団
抗争を避けつつ勢力を拡大しようと、
いじましく切り崩し合戦を続けている。
そこでは、映画や小説に出てくるような華々しい抗争は、
将来はともかく、現時点では起きていない。

時代は変わった。死地に赴き抗争相手を殺害すれば、
ヤクザとしての泊はつくが、待ち構えるのは無期懲役
15年、20年の長期刑。しかも、“おつとめ”を
終えて帰ったとしても、その時、組織=暴力団
存続しているかどうかは分からず、それを承知で
体を張る人間は少ない。

組織防衛上も、抗争は得策ではない。
暴対法上の使用者責任によって、抗争が起きて
死者が出た場合、警察は六代目山口組なら
司忍組長、
戸山口組なら井上邦雄組長に必ず駆け上がる。
トップを取られれば組織は壊滅。
抗争相手を、「親の為」「組の為」に殺すという
理屈は通らなくなった。

それだけに、情報合戦と水面下の引き抜き工作が
活発になっている。
正業がなく暴力による威圧を唯一の武器にしているという意味で、
暴力団に必要なのは「強く怖く、時には殺傷も厭わない」という
イメージである。
そのため、勢いがあることを知らしめるパフォーマンスは必要で、
六代目山口組は竹内照明若頭補佐が、
戸山口組は織田絆誠若頭代行が、50人、100人と引き連れて、
「激励訪問」という名の示威活動を行っている。

また、引き抜き工作は双方が活発だが、
徐々に神戸山口組の方が優勢になってきた。
六代目山口組で幹部を務める三代目熊本組の
藤原健治組長が、11月21日、神戸山口組に移籍した。
それまでにも神戸山口組への参加者は増え、
発足の13団体が17団体になっていたが、
除籍や破門を受けた組長が中心で、
現役幹部の移籍は衝撃的だった。

かつて暴力団は「成長産業」だった

ただ、それは神戸山口組に「義」と「流れ」が
あるということではなかろう。
戸山口組最高幹部が語った次の言葉が印象深い。
井上の親分をはじめ、今回(山口組を)出た
主要メンバーのほとんどが65歳以上、
もう後期高齢者ですよ(笑)。
もちろん皆、このまま70歳まで無事に過ごして
引退するという選択肢もありました。
けれどもそれじゃ若い人たちに苦しみだけを
残すことになってしまう。
だから自分たちがゆっくりできたであろう
短い時間を犠牲にしただけの話です

確かに、暴力団の高齢化は進んでいる。
そして分裂の第一原因がカネの問題であることが
象徴するように、シノギの道を閉ざされて、
暴力団は組織も組員も疲弊している。
そこから脱却するために、そして若い者のために
老体に鞭を打ったということだが、それは同時に
弘道会方式」と呼ばれる厳しい管理から逃れ、
自由にのびのびと、「やくざとしての最終章を終えたい」という
組長たちの願望なのである。

個人には寿命があり、組織には盛衰がある。
「企業30年説」というのは、どんな優れた企業も
盛りを維持できるのは30年までという意味だが、
山口組も組織であり、その呪縛からは逃れられない。

山口組は2015年に創設100年を迎えた。
そのピークが田岡一雄三代目の時代であったことに
異論はなかろう。終戦直後の46年、単なる博徒集団だった
山口組の組長に就いた田岡三代目は、
港湾荷役、興行、土建の三つを柱に事業を伸ばして
勢力範囲を広げ、わずか20年で
日本一の暴力団組織にした。

以降、81年に死去するまで隆盛を極め、
その勢いはバブル経済渦中の89年に襲名した
渡辺芳則五代目にまで引き継がれるが、
直参で資産数十億円、執行部で数百億円という
“荒稼ぎ”に目をつけた国家権力によって締め付けられ、
92年の暴対法施行を機に、急速に衰えていった。

六代目山口組と神戸山口組の執行部にいる
組長の大半は、暴力団に存在価値があると信じられた
50年代から60年代に稼業に入り、暴力団
成長産業であったことを知る世代である。
そんな「古き良き時代」を知る男たちに、
厳しい上納金の取り立てはもとより、参勤交代のような
ウィークデーの本部詰めを強い、水や石鹸歯ブラシまで
購入させる「弘道会方式」は耐えられなかったのだ。

いわば分裂劇は、神戸山口組の組長たちが求めた
「最後の生き様」である。ただ、最後を静かに
まっとうさせてもらえるかどうかはわからない。
「命のやり取りで決着をつける」という危険性を
秘めているのが、ヤクザ渡世である。
分裂の原因を知り、彼らの“言い分”に接したうえで
ヤクザの論理を知り、日本の生活文化、経済社会に
影響を与え続けたヤクザが、今、
置かれている立場を知り、分裂の行方を見通すには、
まだ、まだ、先のことである…。



『紫陽花 五木ひろし -松本若菜- 』



人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……