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流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2 日本最大の組織
(山口組)
 
創設100周年を迎えた
山口組。 
その知名度とは裏腹に
内情はあまり
知られていない。
 
 
その組織はいつどのように誕生し、
過去から現在までどのように膨張し、
巨大化してきたのか・・・
そしてなぜ今衰退傾向にあるのか・・・

今なお日本最大組織であり続ける
山口組とはどういう組織なのか。

当記事は、
殺人や犯罪を助長する訳ではありません、
話題がヤクザの事なので、
当たり前のように書いています。 


三代目弘道会々長・竹内照明 若頭補佐就任


ついにと言うかやっぱりと言うか三代目弘道会々長の
竹内照明が若頭補佐に就いた。
過去に当代の出身団体が、ここまでガッチリと
ラインを固めた事はない。

三代目田岡一雄組長は別として、
すでに広域組織となっていた四代目発足時は
組長に就任した竹中正久は、竹中組を実弟の
竹中武に譲り直参組織としていたが、
山口組本家の執行部には入れていない。
竹中武はヒラの若中だった。

当時の本家若頭中山勝正ら執行部が、
正久のもう一人の実弟で竹中組相談役の竹中正を
竹中正組として本家直参に引き上げようと
提案した事もあったようだが、竹中正久組長は
竹中組優遇に難色を示したと言われている。
それでもこの話は実現しかけていたが、
竹中正久組長の暗殺、竹中正自身のハワイでの逮捕、
竹中武の逮捕などもあり実現はしなかった。

短命に終わった竹中正久の四代目時代は
山一抗争そのものであり、当代の影響力はほぼない。
当代を出した竹中組は抗争において独自に
大きな戦果を上げる事で山口組内でその存在感を増した。
そして竹中武が文句なしで若頭補佐に就任したのは、
山一抗争終結間際の平成元年だった。

五代目渡辺芳則組長の時はどうだったのか。

先代の竹中正久組長を出した竹中組は、
五代目発足と同時に山口組を離脱しており
竹中色を残さない新たなスタートだった。
渡辺は本家の組長に就任すると同時に
二代目山健組を手放し、桑田兼吉を跡目に
三代目山健組を本家直参とし若頭補佐に就けた。
この時の若頭は渡辺の五代目就任に貢献した宅見組々長
・宅見勝が就いている。

そして渡辺は二代目山健組の主立つ幹部らを
本家の直参に引き上げた。
浅川一家、松下組、盛力会、健心会、中野会、鈴秀組、
松本組などがそうである。
なかでも中野会は数の上でも急膨張し
若頭補佐に就任し執行部入りした。

当代を出した事で三代目山健組、中野会を中心とする
山健組系が全国的に幅を利かし、
大きな顔で無理をゴリ押しした時代だった。
1997年に中野会により若頭の宅見勝が暗殺された後、
長らく若頭の席は空席となった。

渡辺の五代目体制そのものが宅見に大きく依存して
成り立ってきた体制であり、次の若頭を決めるにあたって
渡辺が独断できる状況ではなかったようである。
山健組系の末端が大きな顔をしていたのとは裏腹に
本家の奥の院での渡辺は、実権のない
飾り物のような扱いだった。

以上のように四代目時代、五代目時代とそれぞれ
本家の当代を出した組織は、その時代において
勢力を持っていたが、そのまま出身組織自体が
当代を引き継いでいくラインが確立されていなかった。
また、同じ組織の出身者が連続して
代を取るのもどうかという風潮もあった。
当代の出身組織が若頭を務めたのも
六代目体制が初めてである。

そして今回の六代目体制では、
今までにない初めての試みが行われようとしている。
竹内が若頭補佐に就いた事でいよいよ最終段階を迎え、
六代目体制十年にして弘道会こそが
山口組の中心だという体制が整ってきた。
そしてこの先の山口組は、本家の代を取るのは
弘道会から。という体制になるのかもしれない。
この事が良い事なのか悪い事なのか、
それはそれぞれの立場によるだろう。

山口組は今まで本家の跡目を巡り様々な
問題が起こってきた。
代替りした後も恩恵を受ける者と窓際に追いやられる者と
ハッキリと分れているようにも見える。
弘道会が山口組の実権を握り続ける事で、
別の問題が起こってくる事も間違いない。
押し込められた不満がどのような形で
表面化してくるのかは分らないが、
弘道会のやり方に不満を持つ者がいてもおかしくない。


さすらい女節/扇ひろ子




ボディーガードに拳銃を持たせても
問題にならなかった親分

1997年8月宅見若頭射殺事件が起こった。
1997年9月大阪市内で司忍と滝澤孝の両組織一行は、
大阪府警曽根崎署の職務質問を受けた。
そして同行していた両組織の組員が
拳銃の不法所持で現行犯逮捕される。
防弾チョッキを着ていた組員も逮捕されたが
その後処分保留で釈放されている。


この時逮捕された者以外は、司会長を含めて
その場を立ち去っている。
司会長に対する事情聴取すらなかった。
決して逃走したわけではない。
拳銃不法所持の現行犯で逮捕された者は、
警察の取り調べに対して司忍の関与を否定した。


にもかかわらず・・・同年11月
現場から逃走したとして司忍と滝澤孝を
拳銃不法所持の共犯容疑で、指名手配した。
その場では無関係として、
何のお咎めもなく帰らせたのは大阪府警である。
仮に逃走したと言うのであれば
府警の不始末ではないか。


2ヶ月もたって、逮捕されている者からの
供述も取れないのに指名手配とはどういう根拠だろうか?
当局の言い分としては、ボディーガードが
拳銃を持つ事を黙認していたというが、

この事件と対照的な事件が一年前に起こっている。
1996年7月京都府八幡市の理髪店で、
五代目山口組若頭補佐の中野太郎が、
四代目会津小鉄系組員に銃撃され
中野太郎のボディーガードが拳銃で応戦し、
会津小鉄系組員2人を射殺した。

この時中野は事件直後、京都府警に拘束され
事情聴取を受けて終わりである。
ボディーガードが相手を射殺しているが、
中野太郎には逮捕状も出ていない。
この違いはなんだろうか?
ヤクザに対しては、法の運用が
かなり捻じ曲げられていると思うが、

拳銃の共同所持について、
この二件のケースを比較すると、
発砲をしていない司や滝澤の方が
罪が軽いと思うのだがどうだろうか?
今後もし親分の護衛で拳銃を所持していて
逮捕されたなら、こう供述するするかもしれない。

「親分の事が気に食わない。
どこかで殺してやろうと思って拳銃を所持していた」
もしも弘道会や芳菱会の組員が
当時こういう供述を押し通していたら
どうなっていたんだろうか?


人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば、言い訳になるから……