流れ雲

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妄想劇場一樂編

妄想劇場一樂編

信じれば真実、疑えば妄想……


カリオストロ伯爵 (史実に隠された的な話)
奇蹟の治療師か、大ペテン師か?その素顔は?

カリオストロという人物

カリオストロという言葉には一種独特な響きがある。
ある人は、ルパン3世の「カリオストロの城」を
思い起こすだろうし、
「ベルサイユのバラ」のダイヤの首飾り事件を
思い起こす人もいるにちがいない。

しかし、今から2百年ほど前、フランス革命前夜の
華やかなヨーロッパ社交界に、カリオストロ伯爵と
名乗る一人の男が忽然と現れて、たちまち
社交界の噂を独占したことは偽りのない
事実なのである。
恐らく、彼ほど当時のヨーロッパ社会で
話題となった人物も他にいないだろう。

彼の知識は恐ろしく多種多様に及んでいた。
錬金術カバラ、魔術などと言った秘密学問にも
通じているかと思えば、予言者や医者としても
有名であった。
遠く離れたロシアの地で、王妃にさえ合っていないのに、
数週間後にマリー・アントワネットが皇太子を
出産することを言い当てたりしたこともあった。
また、伯爵は、貧しい人々を無料で治療して歩き、
医者が完全に見放した患者を何度も救ったこともあった。
そうかと思えば、若返りの水と称して老人相手に
怪し気な水を売って歩いたりして
その日の生活費を稼ぐことすらあった。

彼の人気は、それはもう絶大なもので、
王妃の首飾り事件で、誤った容疑でバスチーユ牢獄に
1年近く留置されていた時など、釈放されるなり
1万人以上の市民が詰め掛け
総出で彼を迎えたほどであった。

その反面、時の権力者たちからは、
極端に嫌い恐れられていた。フランスのルイ16世
ロシアのエカテリーナ女帝は、伯爵を革命に
火をつけかねない危険な人物だとして決めつけ、
憎悪の挙句に追放処分にしてしまった。
カトリック教会は伯爵が数々の奇跡を行って
民衆の人気をさらうので、宗教の権威が根本から
崩壊してしまうのではないかと極端に怯えていた。

マリー・アントワネットや詩人ゲーテなどは、
彼を殺してしまいたいほど憎んでいたし、
その他、彼を心底憎み、嫌い、恐れていた有名人は
数えきれないほどいたのであろう。

さまざまな顔を持っていると言われる伯爵だが、
一体全体、彼は本当のところ何者だったのだろうか? 
偉大な奇蹟の治療師だったのか、それとも、ただの
カリスマ的ペテン師だったのだろうか? 
彼については、これまでいつも罪人か聖人か、
どちらかに重きを置いていろいろと論じられて来た。

民衆には熱狂的に愛され、
権威あるものには脅威と衝撃を与えたとされる
この人物を論じる前に、カリオストロ伯爵が生きた
18世紀という時代を少し遡らないといけない。

『黎明期』(れいめいき)
新しい文化・時代などが始まろうとする時期。

18世紀は、啓蒙の時代と言われている。
つまり、これまで、宗教的迷信と無知だけが支配した
無秩序で陰鬱な中世の時代から、
ルネサンスの時代を経て、ようやく、人間が
未成熟な状態から脱却して理性に基づいた
考え方をし始めた時代だった。
物を見る尺度も、宗教ではなく、
科学を通じてなされるものへと変化し始めた。つまり、
観察や実験による結果が重要視され始めたのである。
その考えを押し進める哲学者たちは、
奇蹟など全く信じなかった。
神という存在は、あるにはあったが従来の
神秘的でカリスマ的な創造主ではなく、
精巧な時計をつくる職人のような合理的な
存在として捉えられていたのである。

さまざまな発明、発見が相次ぎ、
それらの考えに拍車をかけた。化学も
爆発的に進歩した。
本来、分割出来ない要素と考えられていた
水や火や空気のメカニズムが解き明かされ、
水が酸素と水素から成り立っていることが究明された。
次いで炭酸ガスの存在も発見され、
火が燃える仕組みも解明されたのもこの時代であった。
科学部門では、ニュートン万有引力の発見をした。
さらに、彼のつくった反射望遠鏡は、
人間の目を宇宙に向けることになった。

ドイツの天文学者ハーシェルは、さらに高精度の
反射望遠鏡を作り上げ、天王星を発見し、
銀河が無数の恒星の集合体であることを
明らかにした。

医学部門でも一大発見が相次いだ。
ジェンナーは、種痘を発見し、予防医学
基礎をつくりあげ、人の寿命が飛躍的に
伸びる土台を築き上げた。

こうして、これまで未知と思われていた
さまざまな分野に科学の光が差し込んだ結果、
中世的なまやかし、不合理なもの、迷信は
ことごとく否定されるようになった。
神秘主義の代表格とも言える宗教などは、
科学者や哲学者たちによって、
徹底的に糾弾され攻撃の矢面に立たされた。

天動説は地動説に取って変わられた。
これまでの人々の神に対する考え方も根本から
変わったかのようであった。
しかし一方、依然、最もらしい理屈をとなえて
怪し気な行為が、大手を振ってまかり通っているのも
事実だった。
産業革命が起こる前夜ともいうべき時代、
18世紀は、中世的暗闇の部分も、
かなり引きずっていたのだ。
言うなれば、中途半端に、啓蒙主義神秘主義
コラボした、トワイライトゾーンのような
時代だったのである。


『貧しい家庭に生まれる』 

カリオストロ伯爵は、本名ジュゼッペ・バルサモと言い、
コルシカ島パレルモ生まれのイタリア人だった。
1744年に彼が生まれると父親はまもなく死んでしまった。
ジュゼッペは、パレルモでもっとも貧しいとされる地区の
汚らしくて狭いアパートで、母、姉の3人で育った。
母親は一文なしだったが、その先祖は貴族だったらしい。

カリオストロという不思議な名前は
そこから由来するものだと言われている。
彼は早熟で驚くほど知性と想像力が高い
子供だということだった。
絵を描かせたら驚くほど正確に描写した。
特に図形を模写する能力は、誰が見ても舌を巻くほどで、
古い地図も本物そっくりに描いてしまうのであった。
彼の能力を伸ばすために、叔父たちは金を出し合って
ジュゼッペに教育を受けさせることにした。
ところが、ジュゼッペはこうした自分の才能を
しばしば悪用した。
劇場の偽チケットをつくったり、
偽の外出許可証をでっちあげたりしたのである。
ちょっとした公文書ならわけなく偽造出来た。
もし、ばれて鞭打ちの体罰を受けても平気だった。
こうした創造的な才能と厚顔ぶりとも言える
タフな性格が組合わさって彼のその後の人生が
出来上がっていくのである。
彼は、修道院で、見習い薬剤師をしながら
錬金術の知識を会得した。
水銀や硫黄を使って卑金属を変質させるプロセスを
学んだのである。
占星術の知識の他、カバラ秘法と言った
予言法も身につけた。
19才になった時、ついに彼は町を後にして、
コルシカ島の反対にあるメッシリアに向かった。
こうして、彼は放蕩への第一歩を踏み出すのである。
21才の時にはマルタ島を訪れる。
この島は、彼の母が、よく祖先の自慢をしていた
場所であった。

ジュゼッペは、ここで、マルタ騎士団の救護所で
下働きをして過ごした。彼は、薬の調合などを行い、
薬剤師としての技能に磨きをかけたが、
たちまちその才能を認められる存在となった。
ここでの体験が、その後、
フリーメイソン(慈善を主にする秘密結社)に入る
動機となったと思われる。
しかし、2、3年もする船に乗ってこの島も後にする。
ナポリに上陸した彼は、ぶらぶら放浪しながら
ローマに向かうのであった。


ラフィーナとの出会い

ローマに到着した彼は、ここで、
ロレンツァ・セラフィーナという14才の少女と出会った。
彼女は、金髪で色白、青い目をした非常な美人だった。
頭もよく今まで見たこともない女性だった。
一方、彼女の方もジュゼッペに好奇心を抱いた。
色黒だが筋肉質で、何ごとも機敏で、
ぞくぞくするような声の響きだったのだ。何か、
とてつもないオーラを体中に発散させている感じである。
二人は、たちまち意気投合して結婚してしまった。
25才の時のことである。
その後、セラフィーナは、彼の助手として、
あるいは詐欺の共犯者として行動を
共にすることになるのだ。

二人は、時と場所に応じていろいろなスタイルを
持つようになっていった。ある時は、
軍服を着込んだ大佐として、または銀のステッキを
片手にしたオカルト科学者になり、時には、
魔術師にもなり画家にもなった。
ラフィーナも着飾った伯爵夫人でいられるなら
ご機嫌だった。こうして、31才になった彼は、
カリオストロ大佐、あるいは伯爵として
世間に売り出したのである。

そうした、放浪の旅を続けながら、
病気を治すという不思議な能力、
また奇蹟を起こす力や予知能力なども手伝って、
カリオストロの名はたちまち高まっていくのである。
かたや、彼の強烈な自信と思い込みは、
プロのペテン師さえもだまされるほどで、
やがては、彼という存在自体が
神秘のベールに包まれ、カリスマ的存在となっていった。
彼はいろんな奇蹟や治療行為を行って
諸国放浪の旅を続けるのだった・・・

Author: 庄司浅水
カリオストロ伯爵(2)へつづく


『一度は見てみたい世界的に珍しい雲 』




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