流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない 
 
 
Mousou
昨日という日は歴史、

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明日という日はミステリー
 
 
 
 
『普通の家庭』

俺が小学生の頃、親父が原付に乗っていて
交通事故にあった
頭蓋骨骨折の重体だったけどなんとか
一命はとりとめた
でも大好きだった原付にも車にも
乗れなくなったみたいで大分ストレスが
溜まってたみたい

それで子供達には優しいんだけど夫婦喧嘩は
日常茶飯事
すぐに手が出る親父だったから堪えかねたお袋が
一人で実家に帰っちゃった
その時何も知らされてなくて「母ちゃん遅いね」
なんて兄弟3人で暢気に話してた気がするで、
何だかんだあって離婚してお袋は
子供3人連れて引っ越ししたんだ

時は経って俺はちゃんと高校まで通わせて貰った
当時は兄が俺の一つ上で大学生、
妹が俺の二つ下で高校生という状況
俺は家の経済状況が母子家庭で収入もないって事は
承知してたから高校出た後は
迷う事なく就職の道を選んだ
ちなみに引っ越した当初は家具は一切なく布団だけ、
荷物を詰めた段ボールを裏返してテーブルにするという
なかなかの極貧生活を送ってたで、

俺が18だったか20だったかの時にお袋から
「重要な話がある」と言われた
それは親権関係の書類で保護者の欄?は
お袋の名前にするか親父の名前にするかというものだった

お袋が言うには親父に書類を書いてもらうとすると、
どこにいるのかも生きてるのかも分からない親父に
直接書いて貰わなければいけないらしい
それは面倒だと俺はお袋に書類を書いて貰う事にした

その時神妙な面持ちで正座していたお袋が
ポロリと「ごめんね」と呟いた
俺は馬鹿で想像力もないから「何が?」と返したんだ
そしたらお袋が「あんたは普通の家の子みたいに
育てられなかったから」と言ってボロボロ泣き始めた
どれだけ親父に暴力を振るわれようとも
子供の前では泣かなかったお袋が泣いた

違うよ確かに俺の家は母子家庭だった
だけど自分の家が他と違うとは全然思わなかったんだ

俺が遠足行く時に風邪引いてたのに
大好きな唐揚げをいっぱい入れてくれた事
俺がプレステが欲しいと言ったら
中学の卒業祝いに買ってくれた事
俺が自分の実力以上の高校を受けた時には
心配してくれた事
高校の合格発表の日に仕事の合間を縫って
俺に電話してくれた事
俺の合格を聞いた日の夜に祝いのケーキを買って
みんなで一緒に食べた事
就職祝いにネクタイとスーツを買ってくれた事

どれも他の家でもやってるよ
普通の家じゃないか
そんな事一気に思い出して言葉に出来ずに
俺も号泣してしまった

来週お袋の誕生日がある
あの時の味には絶対に敵わないけど
今度は俺が唐揚げ作るよ
上手く作れるように頑張るから待っててな
お袋ありがとう
これからいっぱい親孝行するよ



【あの日の逆走 】



『息子の誕生日 』

今日は息子の二十歳の誕生日でした。
息子と私たち夫婦に血の繋がりはありません。
生まれてすぐ施設に預けられた息子を
私たちで引き取り育てました。
しかし、そのことを言うことができずにに
今日まで過ごしてきました。
私たちが産みの親ではないと知った時、
息子はどんな思いをするだろうか。
どんな目で私たちを見るようになるだろうか。
それが怖くて今日まで言うことができませんでした。

散々話し合った末、今日この日に
全てを伝えようと二人で決めました。
夕方、仕事から帰ってきた息子に
二人して全てを話しました。

息子は話を聞き終えるとゆっくり顔を上げ、
こんなことを言いました。
「離婚の話じゃないの?」
予想外の質問にあっけに取られながらも、
離婚話じゃないと言うと笑いながら
「よかった~w。ここ最近、二人とも暗い顔してたし、
今朝なんか二人して真剣な顔で
今日は早く帰れなんて言うからてっきり
離婚するのかと思って心配で
一日仕事にならなかったよw」

まじめに話を聞くように言うと息子は、
「俺は父さんと母さんの子供で
本当によかったと思ってる。
今日まで立派に育ててくれてありがとう
そう言うとニッコリ笑いながら缶ビールを開け、
こちらに傾けました。
初めて息子と飲んだ酒は塩気がきいていて
とても美味しかった、でもこの味には
この先、出会うことはもう無さそうです。




『小学生の感想文の発表会』




『笑顔をたやさない』


私は都内でナースをしています。
これは二年ほど前の話です。
ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。
彼女は手遅れの状態で癌が見つかり
半年もつか分からない状態でした。

彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりした
タレントさんみたいにかわいい人でした。
末期のがんであと半年もつかわからないことは
彼女もしっていました。
けれど絶対に笑顔をたやさない。
人前で涙や弱音を吐かない人でした。
そして明るく、とっても優しい人でした。

私と彼女は同い年でした。私は彼女を尊敬しました。
彼女は上智大学の4年生でした。
彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」と
言っていました。
彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。
同じ病院の小児科の子供たちにも好かれて
よく英語を教えていました。

彼女にはお母さんがいませんでした。
彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。
それから、お父さんと二人でくらしていました。
彼女はお父さんのことが大好きでした。
彼女はあえて抗がん剤治療はしないで
進行をとめる薬を投与していました。
髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、
容態は悪くなる一方で彼女は日に日に衰弱していきました。

12月に入りました。
彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。
彼女のお父さんは「逝かないでくれ、
お父さんを一人にしないでくれ」と言っていました。
本当に心が痛みました。

私は最後を立ち合いました。
心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり
「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。
応急処置はできない状態だったのです。
そのままといういい方はおかしいのですが
処置はしませんでした。

お父さんは彼女の頭をなでながら
「お父さんの子供でありがとう。」と言いました。
私は泣きました。
ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。
お父さんは彼女の病室からみつかった
一冊のノートをみせてくれました。
英語の勉強のノートだったのですが、
一番最後のページにこう書いてあったのです。

ありがとう、わたしはとっても幸せでした。
お父さん、ごめんなさい。
孫の顔みせてあげられなかったね。
わたしは病気になってつらいことはあったけど、
決して後悔はしていない。
神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。
ちょっと、早めのミッション。
男手ひとつで育ててくれてありがとう。
だいすきだよ。

彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。
それから2年ほどたったいま、
彼女のお父さんは私の病院に入院しています。
おとうさんも癌になってしまいました。
けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思って
あの子がそうさせてくれたのかもしれない。
だから死ぬのはこわくないんだ。
あの子がまっていてくれてるから。」



『"ありがとう”の反対語』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


マザー・テレサ

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。







P R

お風呂物語


カビの生えない・きれいなお風呂

Furo1

 


 

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