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流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

言葉の魔術師・言葉の達人

 

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。


「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。


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1979年に石野真子「ジュリーがライバル」で
作詞家としてデビューされ、作詞家、
プロデューサーとしてご活躍された

松本礼児さんです。

代表作
「ジュリーがライバル」石野真子
「乱れ花」大月みやこ
「紫陽花」五木ひろし
「何処へ」森繁久彌 など多数。


歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


乱れ花 大月みやこ
作詞:松本礼児・作曲:幸耕平


額(ひたい)の髪を 掻(かき)あげながら
鏡にむかえば 泣けてくる
愛する気持ちとおなじだけ
ニクい気持ちがつのります
乱れて咲いても花は花
生命に限りはあるけれど
好きだから あなたひとりが好きだから
せめてこころだけでも 置いていってね


大月 みやこは、大阪府八尾市出身の演歌歌手。
本名、脇田節子。
芸名はデビュー当時の大阪の有名レコード店である
「大月楽器店」と「ミヤコ」にちなんで名づけられた。
1964年に『母恋三味線』でデビューし、
デビュー20年目にしてのヒット曲『女の港』で
第37回NHK紅白歌合戦、に初出場を果たした。


作詞論
 
旋律(メロディー)に乗せて発信するメッセージであり、
 心の叫びであり、祈りであったりする。
 それらが人々の耳に届いた時に安らぎや
 慰めとなったり、夢や希望の一助となったり、
 生きることの指針なり得たとしたら
 これ以上の喜びはない。
 いかに素直に簡単に表現するかを課題にしているので、
 巧みに言葉を操る魔術師とはかけ離れて居り、
 ましてや言葉の達人になろうとも
 なりたいとも思ったことはありません。


作詞家になったきっかけは?
 
レコード会社のディレクターでした。
 あんなに入念に作詞の先生と打合わせをしたのに
 何故?……から自分で書き始めました。


プロ、初作品について
 ジュリーがライバル(石野真子)でした。


作品を提供したいアーティスト
 ちあきなおみ和田アキ子


あまり売れなかったが、私の好きなこの歌
 
泣きぬれて(木下由里子)


なぜ「詩を書くことを選んだか」
 
必要にせまられて始めたことが
 いつか生業になっていた。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス
 
良い詞を探して、一生懸命探して、
 それらに接することです。



一口メモ
 詞を書き終えて自身のペンネーム、
 松本礼児と記した時の満足感は忘れられません。
 仲間の作家たちの顔を思い浮かべてながら、
 ほくそ笑んだものです。
 寡作な作詞家というより、煙たがれたり、
 怖がられたりで注文の少ない私ですが…。
 自信と自負心が今日までの
 自分を支えていると思っています。


私の好きなあのフレーズ
 「人を愛して、人を憎むことを知りました。
 こころシクシク、からだシクシク」


プロフィール 

 松本 礼児(まつもと れいじ)本名、今福正
 1943年 ~ 2011年12月19日は
 上智大学卒業後、日本航空に入社。
 国際線のチーフパーサーとして活躍。
 ポニーキャニオンの社長とたまたま知り合い、
 引きぬかれて、ポニーキャニオンに入社。
 以後、制作部の責任者として
 森昌子前川清、などを手掛け、
 夏川りみの発掘からデビューまでを見届ける。
 在職中より「ジュリーがライバル」で作詞家デビュー
 昭和62年「乱れ花」で古賀政男音楽祭グランプリ
 他数々の賞を受賞。

 2011年12月19日、東京都世田谷区内の自宅玄関先で
 全身に火傷を負っているところを妻によって発見され、 
 病院に搬送されたが死亡した。満68歳没


時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる






P R

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