流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない



Mousou
 

 
 
 
 
 
 
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今日という日はプレゼント
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生まれた娘

親と喧嘩をし、「出て行け」と言われ
家を飛び出して6年。
家を出て3年後に知り合った女性と同棲し
2年後に子供が出来た。ものすごく嬉しかった。

母性愛があると同じように父性愛というのも
あると気付いた。
子を愛さない親は居ないと言うのも知った。
妻の検診の日は毎回産婦人科まで一緒に行った。
エコーで動きを見た日は遅くまで
妻とこの子の名前や性別を考えていた。

初めて聞いた元気な心音に
「父さんはおまえの為にがんばる」と誓った。
何もかもが順調だと思ってた。
予定日の1ヶ月前に妻が破水をした。

切迫流産の前兆だったそうだ。
妻も元気で何も問題なんて無いと思っていただけに
ビックリした。
嫌な言葉が蘇った。「八月子はもたない・・・」
詳しい検査をした時に娘の心音に雑音が
混ざっている事が分かった。

母子ともに危険な状態になった為、
緊急手術で帝王切開する事になった。
よく晴れた10月に君は生まれた。
最初は小さく泣いたらしい。
けど自発呼吸が出来なかったため、
器官に酸素供給するための管を通す事になった。
その後の事は覚えてるけど良く覚えてない。
何処からが現実で何処までが現実じゃないのか。
初めてNICUで見た娘の姿に涙が出そうになった。
娘にかけた最初の言葉が
「生まれてきてくれて有難う」.
その後、母親に連絡を取った。
母親の声を聞いたのは実に何年ぶりだろう。
初めて人前で泣いた。
母親にも見せたことの無い涙を見せた。

母親も泣いてくれた。
「孫娘には何の罪も無いのに何故・・・」と。
色々医師から説明を受けた。
絶望って眩しくも、真っ暗でもなかった。
いつもの生活が私と妻を追い立てた。
娘は管から母乳も飲み、
オムツも替えさせてもらい、
名前も付けてやれたし、出生届も出せてやれた。
戸籍上も私の娘。可愛い。
医師からの突然の電話。
最初で最後、娘を抱っこしてあげれた。
涙が出そうになった。だけど泣かなかった。
泣く必要は無いと自分に言い聞かせた。
18日間、娘は良くがんばった。
妻と二人で娘を荼毘に出し、
小さな骨壷に骨拾いをした。
やっと娘は父と母が住む家に帰ってこれた。
最近はやっと落ち着いてきた。けど、
まだ気持ちの整理はついていない……。


「 母の言葉」



「 恋人」

いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。
その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、
仕事もあったのに 毎日病室に訪れ付き添った。
結婚の約束もしていたんじゃないかな。
食べ物を、「お口アーン」とか、やり合って
じゃれてた、
がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、
彼女がさすってあげたり。
そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、
従兄弟が死ぬなんて、まったく想像つかなかった。

「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、
幸せな家庭築くんだろーな」なんて、
見舞いにいくたび幸せな想像しかできなかった。
普通にうらやましかった。
しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。
みるみるやせて、 目ばかりぎょろぎょろになって、
身内のわたしでも正視できなかった。

はやく終わってほしかった。人の命のもろさが
怖かった。
でも彼女はずっとそばにいた。
従兄弟のやせ細った手を握って、
抗がん剤の影響で、ぼろぼろに禿げたあたまに
かぶる毛糸の帽子を作ったり。
わたしは、怖くて怖くて病室にも入るのもいやで
病室に入っても、 彼女の後姿ばかり見ていた気がする。

従兄弟は、癌がよくなったらどこかへいこうとか、
あれ食べに行こうとか
今度の携帯の最新機種を買いたいとか、
来ないであろう日のことばかりしゃべった。

彼女は笑顔で、「絶対いこーね」
「わたしあれ食べたい」とか、いってた。
気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。
今、思い返せば、彼女はほかに
どうすることもできなかったんだと思った。
彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、
きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。

年末に、癌が全身にまわり、肺に転移。
従兄弟は最初の意識不明に陥った。
医師は、「癌を抑える薬がある。しかし、
一時的に抑える効果しかない。
苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったら
このまま死なせる」ときっぱり。

両親は、「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と
延命を望んだ。
横で、彼女はだまって、ふるえていた。
薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。
彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、
新薬は2人に時間をくれた。

「癌が治った」とはしゃいでいたけど、
一時的だというのは本人が何よりも知っていたと思う。
最後のときをすごす2人に、両親も親戚も
なにもいわず見守った。

春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。
あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、
彼女と従兄弟の母親が押さえつけ、抱きしめた。
「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」
彼女は、死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、
手足をさすった。

医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、
彼女は従兄弟を抱いた。
何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて
「人を愛する」ってこういうことかと思った。
彼女は、親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。
毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。
従兄弟が死んで数ヶ月あと、
勤めていた会社をやめたことを聞いた。

数年たって、墓参りにもこなくなった。
最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。
寂しく思った反面、ほっとした。
幸せになってよかったと思った……。



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴にも、言い訳にもなるから……



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


マザー・テレサ

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。







P R
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