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流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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みのる

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『ダメな人間でも、信じてくれる人がいれば……』

実は私、小学生の頃ひどい
イジメにあっていたんです。
学校に行っても机の上に塩が置いてあったり、
黒板に「バカ、死ね」なんて書いてあって、
本当に学校に行きたくなかった。

なんで机の上に塩が置いてあったかですけど、
ちょうどそのころ私は、 ネフローゼという
難病になって2~3カ月学校を休んでいました。
そして、常に塩分を控えるように
お医者さんに言われていたのです。
塩を摂り過ぎてはいけない体だったんです。
だから塩は、自分に対する「早く死ね」って
意味だったんですね。
結構辛かったです。

今だから話せるけど。でも正直、
母親や父親にはいつも強がったことばかり
言っていたので、 自分が今「苦しい・・」
「助けてほしい!」なんて口が裂けても
言えませんでした。

その代わりに言えた言葉は、母に対しては
「バカヤロー」「うるせー」でした。
父親のことは、「無視」。
本当に申し訳ないことばかりでした。
今じゃ、かなり良い人になってるのに(笑)

「とにかく寂しかったんです。孤独だったんです」
だから中学校に上がっても私は荒れていました。
他校の生徒とケンカをしたり、
パトカーにも2度乗せられました。
万引きもたくさんやりました。
「多分、誰かに振り向いて欲しかったんです」

この頃、私はどの友達の親にも
こう言われていました。
「矢島と遊んではいけない!」
だから、一緒にいるのはほんの少しのワルだけ。
けれど、勉強もできない、世の中の
役にも立たない私に転機が訪れたのです。

それは中学1年生から3年生まで
私の担任をしてくれたC先生のおかげです。
中学2年の時、C先生は
私たちの行動にあきれたのと、
私たちの将来を心配してこう言ってくれました。

「毎朝、少し早く学校に来て先生と一緒に
勉強しないか?」というより、半ば強制的に
「来い!!」というようなものでした。

私たちは、その朝の勉強会に
最初のうちは興味半分で行きました。
しかし、だんだん1人減り2人減り、
やがてみんな行かなくなりました。

そんなある日、C先生が私たちを
本屋に連れて行ってくれました。
「難しい問題集じゃなくて自分達が好きで、  
できそうな問題集を好きなだけ買え。
お金は先生が払うから・・・」

「先生お金持ちなんだな!」と思いながら、
私たちは、かなりの時間をかけて
簡単そうな問題集を探し、
1人2~3冊買ってもらいました。

しかし数日後、私はその本をゴミ箱に捨てました。
やっぱり勉強はやりたくないし、
好きではないからです。
しばらくして、そんな態度を見かねたC先生が、

「お前たち、たまには先生の家に
遊びにこないか?」と誘ってくれました。
ちょうどC先生には、赤ちゃんが
生まれたばかりだったので、さっそく仲間たちと
一緒にC先生の家に行きました。

私はC先生の家の前に立った瞬間、
立ちすくみました。鳥肌が立ちました。
あれだけの本を買ってくれた先生の家が、
古くてぼろいアパートなんです。
(先生、ごめんなさい)

先生はお金に余裕があるから、
たくさんの問題集を買ってくれたと
思っていたのに…。
私は比較的裕福な家に育ちました。
当時の先生と比べたら、きっとお金持ちです。
(すみません)

私は、ちょっと具合が悪くなりました。
けれど、そのまま先生の家に入りました。
小さな部屋でした。
夫婦2人と赤ちゃんが、古くて小さい部屋に
住んでいるんです。
とても贅沢とは、ほど遠い家です。

こたつの上には私たちのために
一生懸命に作ってくれた豪華な料理がありました。
その横でとっても可愛らしい赤ちゃんが
ニコニコしていました。

私は一瞬、自分の心をハンマーで
たたかれたように苦しくなりました。
こんなに生活を切り詰めてやっている先生が、
いくら生徒とはいえ、赤の他人の私たちに
沢山の問題集を買ってくれた。
奥さんや赤ちゃんには質素な暮らしをさせておいて、
やるかやらないかもわからない私たちに、
無理して問題集を買ってくれたんだ…。
申し訳ない。本当に申し訳ない。

こんなろくでなしの自分が嫌で嫌でしょうがない。
私はその問題集に全く手をつけることなく、
非情にも捨てたのです。完全に人間のクズです。
人の心も有難みも感じない、
私はこの世に存在する価値もないクズなんだ。
本当に、そう想いました。
とめどなく涙があふれてきました
先生ごめんなさい。 本当にごめんなさい。

私はなるべく早く先生の家をでました。
というより苦しくて、 一秒でも
その家にいられなかったのです。
私は帰り道、先生と一緒に行った
本屋へ走って行きました。
先生が買ってくれた問題集を自分のお金で
買いました。

それから毎朝、私は先生の待つ
教室へと通いました。
私はどんどん勉強ができるようになり、
手をあげて答えるのが楽しくなりました。
生まれてはじめて、勉強を楽しいと思えたのです。
感動でした。勉強って、
楽しいな!と思えたことが…。

C先生のおかげで、私は最終的に
慶応義塾大学まで進学することができたんです!
信じられないでしょう(笑)
私は、この時に気づきました。
「ダメな人間でも、
信じてくれる人がいれば大丈夫」 だと。


Author :矢島実

【バトンタッチ】



『嫁入り衣装』

私が嫁さんと結婚してから2、3年が経った頃の
話です。 (私は、世間でいうマスオさんです)

嫁さんの祖母アサエお婆ちゃんと夕食が終わった後、
その場に二人きりになった時のことでした。
(ちなみに、その当時は、まだアサエお婆ちゃんの
認知症は出ていませんでした)

アサエお婆ちゃんが、私に向かって、
真面目な顔で、 自分の葬式の事を話し始めたのです。
(祖母が82、83歳の頃のことです)

「私が死んだらね、普通は真っ白の
着物とかを 着せると思うばってん、
私には、タンスの中に入っとる右下に
花の模様が 刺繍されている着物を着せてね」
と言うんです。

普段はとても地味なお婆ちゃんが、なぜだろうと思い、
「なんで?」 と聞いてみると、
「私はね、主人が戦争に行って、
1年ちょっとしか寄り添うとらんと。 だから、
死んでもう一度主人とあの世で結ばれたいから、
花嫁の時に着た衣装ば着せてくれんね」 と・・・。

私は言葉も出ず、酒を飲んでいたせいもあり、
涙がポロポロ・・・。

その後、その衣装は一度も探していません。
もし見つかると、なんとなく嫌な予感がしたりして、
見つけることができないんです。
そんなお婆ちゃんは、今でも毎日、
何度となく、仏様に手を合わせています。


Author :「矢田部新聞」


【あれは何?】



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる







P R

カビの生えない・きれいなお風呂

お風呂物語

furo