流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

言葉の魔術師・作詞家

言葉の魔術師・言葉の達人

達人たちは1曲の詞を書くために、
言葉を巧みに操り、
その時代を象徴する言葉を探した。
その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、
その歌は大ヒットした。


「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」
いつも、勇気と力を与えてくれた…、
作詞家は言葉の魔術師である。
そんなプロの「作詞家」の皆さんを紹介します。


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代表作に「花街の母」はじめ、
2004年度レコード大賞ベストアルバム賞受賞作品
(唄/五木ひろし)など、数々の作品を世に出し、
2002年には作詞活動35周年記念
もず唱平作品集」をリリース。
現在は関西学院大学非常勤講師や
大阪芸術大学に出講(客員教授)という側面も持つ、
音楽プロデューサー「もず唱平」さんです。



代表作

釜ヶ崎人情」 三音英次
「花街の母」 金田たつえ
「虫けらの唄」 バーブ佐竹
「大阪情話~うちと一緒になれへんか~」 
 中村美律子
泉州春木港」 鳥羽一郎
「あかんたれ」 八代亜紀
由良川慕情」 五木ひろし
「雨の大阪」 三門忠司
「はぐれコキリコ」 成世昌平
「宵待しぐれ」 川中美幸  etc. 

 
歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…

 
虫けらの唄 バーブ佐竹 
作詞:もず唱平 作曲:キダタロー
死んだ親父は 極道者で
逃げたお袋 酒づかり
どこに息子の 立つ瀬があろう
ぐれたこの身を 責めるなよ
いつかやるぞと 力んでみても
セコイ世間にゃ 歯がたゝぬ
泣いてみたとて 虫けら達にゃ
明日がひらける わけじゃ ...


 

バーブ 佐竹は、
北海道釧路市出身
本名は佐武 豊(さたけ ゆたか)
22歳の時、歌手を志して上京。
流しのギター弾き・ナイトクラブの専属歌手など
長い下積み生活を経て、
1964年『女心の唄』でレコードデビュー。
大ヒットとなり翌1965年の
第7回日本レコード大賞新人賞を受賞。
NHK紅白歌合戦にも同年から4年連続で出場した。
独特の低音の歌声は「バーブ節」と呼ばれ、
その後も『ネオン川』『カクテル小唄』などがヒット。
2003年(平成15年)12月5日、
多臓器不全により死去した。満68歳没。



作詞論
 歌は暮らしの中の潤滑油です。
 悲しみと苦しさを分けあい。喜びは共に寿ぐ。
 人情のとり持ち役が歌で、
 その仕込みをするのが作詞の仕事と
 いうことになるのではないでしょうか。


作詞家になったきっかけは?
 
もともとは劇作家志望
 (師は渋谷天外-2代目-)だった。
 二十代に自己診断して方向転換。
 十代から薫陶を受けていた詩人にして
 作詞家であったもう一人の師
 (喜志邦三)の手ほどきで歌謡詞を書くようになる。


プロ、初作品について
 
釜ヶ崎人情」 三音英次
 劇作家志望を断念(松竹新喜劇文芸部を退団)して
 最初にとり掛かった作品が「釜ヶ崎人情」。
 作曲家三山敏氏との出逢いもこの作品。
 歌手は“釜ヶ崎”で立ちん坊の経験を持つ
 河内音頭取りの三音英次。
 “釜ヶ崎”には何度も通った。
 足で稼ぐ作詞家を自称する当職の原点。


作品を提供したいアーティスト
 井上陽水、エルフィ・スカエシ(インドネシア) etc.

あまり売れなかったが、私の好きなこの歌
 「これからがある」
 唄:八代亜紀 作曲:伊藤雪彦


なぜ「詩を書くことを選んだか」
 
青春期も青年期も貧しかった。
 財産は二人の師匠
 (詩人・喜志邦三、劇作家:渋谷天外)から
 教えて貰ったドラマ作りの手法。
 これを活かせば歌作りを稼業に出来るかも。
 それが発心。


プロの作詞家になりたい人へのアドバイス
 
言霊を信じること。
 言葉が伝える心こそが人の世に幸せを齎す。
 それを信じて下さい。


一口メモ
 この歌の歌詞の内容はいつも当職が思っていること。
 友人に、隣人に向かってのメッセージです。
 世相が暗い。何もかも行き詰まった感じがする。
 世紀を跨いでしまったのに世紀末の様相。
 ここで投げ出す訳に参らぬ。
 一度深呼吸して新規播き直しの気分‥
 その為の歌があってもいい。
 ディレクターがもず風でない歌を作らせてくれた。
 八代亜紀という人は多様な才能の持ち主である。
 ジャズが歌える。民謡が歌える。
 浪曲もいける。この歌も楽々と歌ってくれた。
 「これからがある」八代亜紀


私の好きなあのフレーズ
 「これからがある」


プロフィール 
 大阪育ち、19歳の時、詩人・故喜志邦三氏に師事。
 その後、松竹新喜劇文芸部で
 演出助手として演劇修業の後、
 1967年から民間放送局でホームソング・TV・
 映画のテーマソングなどの制作に関わり
 本格的に歌作りをはじめる。

 デビュー作は『釜ヶ崎人情』。
 代表作に『花街の母』/金田たつえ)、
 『はぐれコキリコ』/成世昌平)がある。
 最新作は『坂東太郎』成世昌平『大阪湾』
 鳥羽一郎『~浪花侠客伝~木津の勘助』
 三門忠司「おんなの絵本」
 共作(もず唱平参加作品『だんじり囃子』
 『憧れ』/五木ひろし)。

 音楽プロデューサーとして国際的な音楽祭、
 コンサートの企画・制作に携わる。
 日本で初めてインドネシアのクロンチョンバンドを招聘
 (花博)。“APEC関連アジア音楽祭”、
 大阪と上海のミュージシャンによる友好音楽祭、
 上海・中山公園での盆踊り大会、
 スリランカで日本人初参加のコンサートの
 プロデュースなど。

所属団体:
 社団法人日本作詩家協会………………理 事
 社団法人日本音楽著作権協会…………評議員
 特定非営利活動法人日本子守唄協会…理 事



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる




P R

カビの生えない・きれいなお風呂

furo



お風呂物語