流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Author:紀之沢直

kensin 韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期という動乱の時代に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
そこから始まる彼の活躍…
国士無双」「背水の陣」「四面楚歌」
そんな彼を描いた小説。


漢の韓信-51

桟道の修復の完成が間近に迫り、
いよいよ迎撃態勢をとった章邯は
関中の南側に兵を集結させつつあった。
しかしこのときすでに内応者によって
手引きされた別働隊が、なんと関中台地の最西端、
陳倉(ちんそう)の城門を破り、なだれ込んだのである。
意図していない方角からの攻撃に、
意表をつかれた章邯はまったく対抗できなかった。
そしてここに至り、桟道の修復が完了し、
南側からも漢軍が突入を開始した。
「よし……。上出来だ」別働隊の侵入と
ほぼときを同じくして桟道の修復を終える、という
時間的な機微は韓信がいちばん神経を尖らせた部分であり、
これを確認した瞬間、
韓信は作戦の成功を確信した。

あとは流れに乗るように敵を攻めるだけである。
挟み撃ちにした章邯の軍を破るのに、
細かな作戦はいらない。
大軍の利を生かして敵を殲滅するだけであった。
韓信はさんざんに章邯の軍を撃ち破り、
咸陽の北、好畤(こうじ)の地までこれを追い込んだ。
ここで章邯は陣形を組み直して対抗しようとしたが、
さらに韓信に破れ、廃丘(はいきゅう)に逃れた。
廃丘から咸陽は目と鼻の先の距離である。
そこで漢軍は先に咸陽を制圧し落城させると、
廃丘を包囲しつつ、東方へ兵を分けて進出し、
司馬欣、董翳を攻め、この二人を関外へ追い出した。
ここまでやれば、実質的に関中は
漢によって平定されたといっていいだろう。

章邯は廃丘で小規模な抵抗を続けているといっても、
それを援護する勢力もなく、
いずれ滅びるのを待つばかりである。
章邯が絶命したのは翌年の紀元前205年の5月であるが、
このときに韓信が手を下したわけではない。
それでも事実上章邯を滅ぼしたのは
韓信であることには変わりがなく、
当時の人たちもそのように評価した。
紀元前206年の7月、自分がなした戦功の巨大さに
呆然とする韓信であったが、
漢王劉邦はこれにおおいに喜び、
夏の暑気に汗ばんだ韓信の額を、
自らの手持ちの布で拭いてやったという。

項羽が覇権を掌握したことにより、
天下はより一層混乱した。
事態は韓信劉邦に説明した通りに展開し、
趙や斉が乱を起こした。
韓信は、その混乱に乗じる形で中原へ
出兵することを主張しながら、
その一方で不安を感じた。
斉や趙は漢と同様に、楚と対立している。
しかし、共通しているのはそのことだけであった。
志が異なる者が寄り集まっても、
最大限の効果をあげることは至難の業である。
仮に成功しても、その後に待っているのは
新たな対立であろう。
韓信はそのことを見抜いていたが、
どうすることもできなかった。
彼の優れた洞察力を持ってしても、
雑多な人の意志を完全に統御することは
不可能なのであった。

項羽は漢軍の関中平定に際し
終始傍観の態度を決め込み、
結果的に彼は章邯を見殺しにした。
それでも章邯は項羽が任じた王であったので、
これを滅ぼしたことは項羽が漢を討つ
大義名分になりうる。
しかし項羽にとって漢の関中反転は予想よりも早く、
状況の意外な変化に態度も
慎重にならざるを得なかった。
余裕で傍観していたというよりは、
手の打ちようがなかったと言っていいだろう。
劉邦のもとには、まともに軍の指揮をとれる
将官などいないと思っていたが……
認識を改めなければならぬ。

項羽にはもちろん韓信が大将として
漢軍を統率している事実は伝わっていない。
それだけに漢への対応は情報を
収集してからにしたかった。
このとき居城の彭城に至ったばかりの項羽は、
一通の書状を前にして、范増と議論を交わしていた。
その書状には、こう書かれていた。

「漢王は本来あるべき務めを
果たそうとしているに過ぎず、
義帝との約束を果たすために関中の地を
得ようとしているだけなのです。
関中を得れば、そのまま留まり、
さらに東進するつもりはございませぬ」
さらに、こうも記してあった。

「斉に謀反の気配がございます。
斉は趙とともに、楚を討ち滅ぼそうとしております」
その書状の差出人は、張良であった。
劉邦のお気に入りの謀臣である。
しかし、項羽は、張良のことが気に入らなかった。
儒家でもないくせに妙に行儀がよく、
涼しい表情をしながら、常に自分にとって
よからぬことを考えているように見えるのである。
直情的な項羽にとって、もっともよくわからない
男のひとりだった。

「亜父、この書状の中身、どう思うか?」
項羽は范増にその書状を渡し、判断を仰いだ。
「……これを見るに、漢王のくだりは虚言、
斉のくだりは事実を述べていますな。
漢は見逃し斉を討て、そう言いたいのだ。
張良なら、当然そう言うでしょうな」
項羽はいらいらとし始めた。

「いったい、この張良とかいう男はなんなのだ! 
韓の貴族のくせに劉邦の手駒になっているとは。
韓を安泰に保ちたいのなら劉邦の助けなど借りずに、
このわしに頼めばいいのだ! 
それほどわしは頼りないか? 
それともわしに頭を下げるのがそんなに嫌か?」
「落ち着かれよ。斉の動きが不穏なのは事実。
かの地には、田栄がおりまするゆえ、
捨て置くわけには参りませぬ。
かといって漢もそのままにしてはおけない。……

王よ、亜父は妙案を思いつきましたぞ」
「妙案……? 
お聞かせ願おう」
范増は目を光らせた。
この老人は良策を思いついたときには、
眼光の鋭さが増す。
項羽はこの目を見るたび、わけもなく
心の底から興奮するのを覚える。
「王は張良のいう通り、事が起きましたら
斉を討伐に行くがいいでしょう。
漢に対しては、韓をもって備えとする。
すなわち、軟禁している韓王成を殺し、
あらたにこちらで別の王を擁して張良
よるべをなくす、というのはどうであろうか」

項羽は膝を打った。
「なるほど。張良の弱り顔が目に浮かぶわ。
奴は、結局漢に奔るであろうな。
しかし、それでも構わん。
斉を討ったあとに、劉邦もろとも
討てばいいだけの話だ。
亜父、その線で行こう」
こうして韓王成は処刑され、晒し者とされた。
罪状に正式なものはない。
かわりに項羽は、韓とは本来縁もゆかりもない
鄭昌(ていしょう)という部下を韓王に任じ、
関中への防御線とした。

つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、 花に例えた旧い歌
今さら聞いても、歌っても、
何処に置いても、飾っても
歌も花も、枯れてゆく....
人生、絵模様、万華鏡...



東京さすらい歌 (石原裕次郎浅丘ルリ子)



人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから……



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる








furo
P R

きれいなお風呂・宣言 

お風呂物語