流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー



名無しの恋人さん( 29分の1の時間)
付き合って1年目。
彼の友人からの電話で知った。
それまで病気ひとつしたことがなかった彼が、
ある日突然倒れた。
2週間と2日の壮絶な闘病生活の後、
29歳でこの世を去った。

彼は最後まで笑っていた。
抗ガン剤の猛烈な副作用に苦しみながらも、
治療のため面会が制限されるまでの間、
いつも笑顔で冗談を言っては、
訪れる人たち皆を笑わせていた。

お互い、忙しい生活だった。
彼は朝4時に起きて仕事に行っていたし、
私の仕事は不規則で、泊まりになることも珍しくなかった。
そんな私たちがどうやって出会い、
どうやって愛を育んだのか・・・
考えれば考えるほど、あれは奇跡だったとしか思えない。
でも、もっとたくさんの時間を過ごせたはずだった。
と、今は思う。

急性骨髄性白血病
もともと身体が丈夫だったのが災いした。
自分の体調が悪いことにすら気づかずに
仕事に行った彼は、突然吐血して病院に運ばれた。

彼が書き残したメモがある。
「わがまま」
たとえあと一日しか生きられないとしても
その一日を あなたと生きたい

偶然にも見つけてしまったとき、
彼は痩せた顔を赤らめて照れていた。
どうしてこれが「わがまま」なの、と聞くと、
彼はこう答えた。
「僕が死んだ後も○○は生きていかなきゃいけない。
だとしたら、いつまでも一緒にいたいなんて思うのは、
僕のわがままなんだ」

涙が止まらなかった。でも、何も言えなかった。
最後の瞬間を、私は知らない。
馬鹿みたいに仕事していた。
心から愛した人が、この世を去ろうとしている時に、
私はニコニコ笑いながら、
赤の他人のオムツを替えていた。
仕事が終わって駆けつけたときには、
もう遅かった。

「葬式」は行われなかった。
代わりに、彼の友人たちの手で、追悼式が行われた。
彼のご両親も快諾してくれた。
近くの文化会館を借りて行われた追悼式には、
一体どこで知り合ったのか、
92歳のおばあちゃんから野球友達の小学生まで、
300人を超える人が集まり、
尽きないエピソードに笑い、そして涙した。
祭壇も、線香もない、お別れ会だった。

世の中、完璧な人間はいないと思う。
でも、彼ほど皆から愛された人を、私は他に知らない。
彼のルーツを知れば知るほど、今でもそう確信する。
その夏、私は病院を辞めた。

数ヵ月後、すっかり夏になった頃、彼の部屋を訪れた。
机の上に、貸したままのCDがあった。
タンスの引き出しには冬物のセーターがあった。
彼のお母さんと二人、涙がとまらなかった。

追悼式の日、みんながそれぞれに思い出を語った。
最後に私は、走り書きしたメモを読んだ。
あなたと出逢ってから
思えばまだ たった一年しか経っていないんですね
そのわずか一年の間に
いろんなことがありました
あなたは どんな時も笑顔でした

最後の二週間は 特に濃密な時間でした
あなたが生きているという、ただそれだけのことを
こんなにも愛おしく感じたことはありませんでした
残された時の間に あなたは
できる限りのものを残そうとしてくれましたね

あなたの言葉を、あなたの笑顔を
そのすべてを 私は確かに受け止めました
だから、もうこれ以上 苦しまないで下さい
あなたは 充分すぎるほど頑張りました
だから ゆっくり休んで下さい
あなたの29年という時間は
ここで終わってしまうけれど
あなたの時間は
ここにいるすべての人達が
確かに 受け継いでゆきます

そして、あなたの人生の29分の1の時間を
一緒に過ごせただけで
私は十分 幸せでした。…!!




家族の幸せ



親友がいました:大人になった名無しさん

4歳の時、保育園にて。
何が気が合ったのか、今ではもう忘れてしまったけど、
俺達はは毎日のように遊んでいたよな。
ザリガニの釣り方や、自転車の乗り方を
お前は教えてくれた。

小学校に入り、お前とは2年間だけ同じクラスだった。
一緒のクラブに入ろうと誘ってくれたのは
お前だったよな。
俺が水泳苦手なのを知っていて誘ったんだよな、
水泳部。運動音痴な俺が、
未だに泳ぐことだけは人に誇ることが出来るのは、
あの時お前が誘ってくれたからだよ。

あと、お前のあだ名を付けたのは俺だった。
ひどいあだ名だったよな。
それでも、そのあだ名は高校に行っても
言われ続けていたよな。
嫌なら言えよって言ったら、折角のあだ名だし
結構気に入ってるって言ってくれたのが救いだった。
学芸会で一緒に悪い虫の役をやったよな。
真っ黒の服きて 二人してセリフは一緒に叫んだ
「逃げろ、逃げろ」だったな。
あの時に歌っていた劇中歌は酒飲むと必ず歌ったな。

中学に入って、同じクラブに入ろうと誘ったのは
俺だったよな。
お前が生き物好きでよかったよ。
名前だけの生物部だったけど、
餌やりなんかを理由にしては
夜の学校で遊びまくったな。

ある日突然、池の鯉が全滅したのは、
お前が治療薬を間違えて入れたことだってのは
誰にも言ってないぞ。
あの頃、お前が好きだと言った子は
俺の好きな子の親友で、
何だか変なところでも気が合うなぁって言ったよな。
俺はお前と彼女の取り合いにならなくて
ほんとに良かったと言ったら、
「戦わずして負けを認めるか」と言ってよな。
俺は負けても良かったよ、お前を失いたくなかったから。

高校は別々になったよな。
お前が受ける高校に、俺の成績では入れなかったから。
でも、休みになるとキャンプや釣りに行ったり、
時間を作って遊んでたよな。
お前が演劇部で、俺は放送部。
よく手伝いに行かせてもらったよな。
機材の使い方や台本のチェックとか
何かあると頼りにされて嬉しかったよ。
この頃に麻雀や煙草に酒を一緒に覚えたよな。
今でも煙草は美味くないが吸っている。
お前と一緒の銘柄だ。

大学は何故か俺が先に入ったよな。
心理学の勉強したいと言ったら、
おまえらしいなって言ったよな。
そのお前が浪人するは、

やっと某有名国立大学に入学したと思ったら、
獣医になりたいって大学受け直して、
北海道に行っちまったんで、帰省した時にしか
遊べなかったよな。
お互い、女性に奥手だけど次の年には
彼女の写真を持ってこようっていって、
二人とも彼女は見付けられなかったよな。

あの後から、お前の実習が忙しくなって、
俺が就職して、だんだん連絡取れなくなった。
お前は、俺より5年も長く学生だったんだよな。
その5年間に何があったんだ。
俺も仕事の忙しさと辛さに耐えてたんだぞ。
薬飲みながら休職と復帰を繰り返してたんだ。

そう、俺もお前と同じ様に耐えてたんだ。
うつ病って病気に。奇遇にも同じ
病気になって毎日苦しかったんだ。
お前もそうなっているとは知らずに。
俺がお前に相談できなかったように、
お前が俺に何も言えなかったのはよく解る。
けど、死ぬことはないだろう。

何が安楽死だ。競走馬に使う
点滴を自分に打ちやがって、
何が安らかな死に顔でしただ。お前のお袋
話も出来ないほど泣いてたぞ。
獣医師免許の資格を取ったばかりなのに何でだ。

力になれなかったのが悔しい。
電話をしなかったのが後悔される。
メールだって送れたのに何故出来なかったんだ。
お前が死んでから
俺はしばらく何も出来なくなっちまったよ。
逃げやがってよ。

あれから、何年か経つけど、俺の近況だ。
俺にも娘が出来た。もう2歳 になる。
この前、息子も生まれた。
子供達の母親は病気の時に俺を支え
続けてくれた人だ。
お前に紹介したかった。

良い嫁さんだろって、
今まで苦しかったんだ。
伝えたい事が色々あったのに言えなくってさ。
親友へ。
またお前と話したい。
そちらには天国も地獄もないことを祈る。…!!



甲子園にかけた思い




人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ


誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから。


時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる










P R 
きれいなお風呂・宣言  

お風呂物語