流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

信じれば真実、疑えば妄想

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!

信じれば真実、疑えば妄想……

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー、


アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.


Author:紀之沢直

韓信
紀元前二〇〇年代の中国大陸。
衰退した秦の末期という動乱の時代に
生を受けた韓信は、成長し、
やがて漢の大将軍となる。
そこから始まる彼の活躍…
国士無双」「背水の陣」「四面楚歌」。
そんな彼を描いた小説。



韓信-25・無聊

薛に集結した諸将を前に、項梁は今後の方針を示した。
ひとつには、陳勝亡き後の象徴的存在を
決めなければならない。
つまりはあらためて楚王を擁立しよう、というわけである。
「王はその系譜を継ぐ者でなければならない」という
范増の意見を尊重した項梁は、
めざとく旧楚の王孫を探し出した。

熊心(ようしん)という名のその若者は、
人に雇われて羊飼いの仕事をしていたが、
担ぎだされて王となり、祖父と同じ名を継いで
懐王かいおうと名乗った。
懐王は都を盱眙くいと定め、そこを居城とした。

項梁自身は、武信君(ぶしんくん)を称した。
「君」とは尊称であり、官職名ではない。
あえて項梁が官職に就かず、君を称して
国政の枠外に身を置いたのには
理由がないわけではなかった。
王を擁立するに伴って、旧楚のもと貴族の者どもが
まるで付録のようについてきたからである。
もとの楚の令尹れいいんである宋義そうぎなどは
その代表的人物で、同じ旧楚の貴族とはいっても、
項梁とは格が違う。

令尹とは宰相の楚独特の呼称なのである。
こいつは、食わせ者だ。韓信は宋義を見て、
危惧を抱いた。
本当に楚の復興を願っている者であれば、
この時期まで市井に隠れていることはない。
旧楚の令尹という立場をもってすれば
充分に兵を集めることは可能なのに、
あえて今までそれをせず、
王が擁立された時期を見計らって姿を現したのは、
いかにも胡散臭い。権力の臭いのするところに集まる、
政治屋だと韓信は感じた。それも寝業師の類いである。

うかうかしていると項梁はその座を負われることになる。
まあ、それはそれで構わないことだが……。
韓信の心配は項梁も同様に感じていたようで、
以後宋義は前線に置かれることとなる。
懐王のもとに置くことで、彼らが結託しないよう
配慮したのだった。
項梁はその後山東半島に出兵した。
亢父(こうほ)を攻めた後、東阿に向かう。
この出兵に韓信も同行した。
東阿には斉の田栄が籠城しており、
これを救出しようという作戦である。

斉に恩を売り、楚の優位を保とうとする
項梁の策略であった。
章邯の指揮下にある秦軍を破るのは
たやすいことではなかったが、
作戦はどうにか成功した。が、
その後が思うままにならない。
項梁の腹づもりでは、東阿を解放した後、
田栄率いる斉の兵をあわせ、楚・斉連合軍として
西方の秦の中心部に進撃したかったのだが、
田栄は籠城生活から解放されると、そのまま
自国の斉へ舞い戻ってしまった。

「助けてやったのに、なんという奴だ。
不義とはこのことよ」田栄が国へ戻ったのは、
自分が留守にしている間に、斉国内に
新政権が樹立されていたことによる。
戦死した田儋とともに建国に努力し、
ともに前線で戦ってきたという自負のある田栄としては
おもしろくない。田儋の替わりに王となったのは
田仮、宰相に田角、将軍に田間、という人物たちで、
いずれも田栄の遠縁にあたる者たちだったが、
どれも戦国時代の旧斉の王族に
自分よりも近い人物である。

これも田栄にとっては気に入らなかった。
田儋系の自分たちが実権を握るためには、
先にこれらの者を滅ぼしておくべきだった、と
後悔したのである。
かくて田栄は項梁の出兵依頼を無視し、
同族である田仮らを討ち取りにかかった。
この結果、田仮は楚に亡命し、田角は趙に亡命した。
田角の弟田間はこれより前、
趙に救援を頼みに訪れていたが、
帰る時機を失し、そのまま趙に滞在した。
田栄は斉国内を平定し、
田儋の子、田市(でんふつ)を擁立して王とし、
自らは宰相となった。

項梁は章邯が勢いを取り戻すのを恐れ、
何度も出兵を要請したが、
田栄の答えは次のようであった。
「楚に逃げ込んだ田仮を楚が殺せば。
趙に逃げ込んだ田角、田間を趙が殺せば。
それから考えよう」
もちろん田栄の要求は受け入れられなかった。
楚も趙も斉と取引しようとはせず、田栄は周囲の者に
毒づいたという。

「まむしに手を噛まれたときは、手を切り落とす。
足を噛まれたときは足を切り落とすものだ。
何故だかわかるか。体全体に毒が回るのを防ぐためだ。
田仮、田角、田間などを生かしておけば、
毒は楚や趙の国中に回る。手足どころではない。
なぜか。彼らを匿う限り、わしが出兵することはない。
その結果、楚や趙は章邯の思うがままにされるからだ。
そのうち彼らは秦に盛り返され、
先祖の墓まであばかれることだろう」

項梁は斉の参戦を諦めた。
軍に同行し、事情を知り得た韓信は考える。
楚や趙の判断はおそらく正しい。
彼らは田仮や田角を匿う毒よりも、
田栄の毒を恐れたのだ……
あの凄まじい性格であれば、
長く友軍として戦える相手とは思えない。
田栄の一族が存命な限り、諸国の思惑は
一致しないだろう。
斉は滅ぼすべきだ。韓信はそう思ったが、
将来斉を滅ぼすのが自分であることまでは、
この時点で想像できなかった。


つづく

Author :紀之沢直
http://kinozawanaosi.com.


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る


歌は心の走馬灯、
花に例えた古い歌
 今さら聞いても、歌っても、 
 何処に置いても、飾っても
  花も歌も、枯れてゆく....
  人生、絵模様、万華鏡...



遠き昭和の...小林旭



誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、
言えば愚痴になるから……


人の為(ため)と書いて
いつわり(偽)と読むんだねぇ



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる











P R


お風呂物語