流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

独りっきりの裁判

メジャーでは無いけど、
こんな小説あっても、良いかな !!


信じれば真実、疑えば妄想……

アングラ小説です、不快感がある方は、
読むのを中断して下さい.

創作、ドキュメンタリーです。
ストーカー行為から脅迫に至った加害者を相手に、
刑事、民事と奮闘したあげく、
独りで裁判に持ち込みました。
このストーリーでは、民事裁判の手法や解説を交え、
被害者が直面されるであろう
問題点についても訴えています。
Author: 壇次郎


独りっきりの裁判 第1-2話 

訳がわからないまま、「アミノ酸前駆体の有機合成」という
卒業研究を書き終え、私は留年もせず無事に大学を卒業しました。
アルバイトの継続という道も考えましたが、
大企業に憧れて同期入社という同年代の仲間が
多くいる会社に就職することとなりました。
なんとそこは、同期入社が120人という大きな会社でした。
大学の専攻を活かし、大手化学薬品会社に就職した私は、
アルバイト学生時代の作業服と地下足袋姿から
スーツ姿へと変身しました。
私は学生時代から、仲間と酒を飲んで楽しく過ごすことが好きでした。
新入社員研修が終了し、役員クラスの偉いさんと
新入社員とで宴会がありました。
宴会と言っても洒落たパーティーで、
そこの華やかさは、私にとって始めての経験でした。
時間が経つに連れ、あちこちで話が盛り上がってきました。
総勢、140人のパーティーです。
誰が企画したのか、チークダンスが始まりました。
薄暗くなったホールで何組かのカップルが踊り出しました。
なんと羨ましいことなのでしょう。
でも、私は相変わらず、酒を飲んで、
仲間とバカ話をしているだけでした。そんな中、
人事部長が新入社員の女の子と踊っているではありませんか。
それも、相手は我々新入社員のマドンナです。
酔った勢いとは恐ろしいものです。
私は大声で、「いいぞ、ハゲ頭 !」と、言ってしまいました。
翌月、新入社員の最初の赴任地が決まりました。
私は独り、離島での生活を始めることとなりました。
赴任地には営業所の様な事務所はありません。
自分の住んでいるアパートが事務所代わりです。
要するに、「駐在」というものでした。
会社の仲間に会えるのは、月に一度の営業会議だけでした。
直属の上司とは、たまに電話で話すぐらいで、
日常の監視の目なんてものは全くありませんでした。
営業成績さえ保っていれば、
何をしていてもかまわない雰囲気で、
私はそれを思う存分に利用した生活を送っていました。
私は離島に赴任することが決まった時、
学生時代に付き合っていた彼女を
一緒に連れて来てしまいました。
それが現在の妻で、その地で3人の子供も授かりました。
離島という超田舎では、子育ての環境は最適でした。
しかし、自分一人が、どんどん世の中の発展から
取り残されているかの様な不安は、
常に私の心に存在していました。
当時は、バブル景気に日本中が踊っていました。
一向に転勤願いを聞き入れようとしない会社に
嫌気が差した私は、新聞の求人欄を絶えず眺めていました。
そんな時、私は、ある建設資材メーカーが
営業社員を募集している求人広告を見つけました。
これならば学生時代のアルバイト経験が
生かせそうだと感じました。
バブル当時はどこも人手不足でした。
私は一度の面接のみで、その会社の
採用が決まってしまいました。
そして、私が駐在していた離島から、
さほど離れていない、ある地方都市の
営業所に勤務することとなりました。
これは、私が三十歳を過ぎた頃のことでした。
中途入社でもある私でしたが、営業手腕を認められ、
転職からわずか半年後、その地方都市の営業所で
所長という椅子が私に与えられることとなりました。
営業所長といっても、私を含めて所員が4人という
小さな営業所でした。
所員は皆、私よりも年下でしたが、
仲間意識の強い営業所でした。
当時は面白い様に注文が舞い込み、
よく、所員皆で酒を飲み、カラオケに行ったものでした。
楽しい時期というものは、長く続かないものです。
バブル崩壊と共に営業所の売り上げは激減し、
派閥にしがみついていなかった私は
真っ先にリストラされました。
私は当時の友人の紹介で、その地方都市にある
地元の電気工事店に再就職しましたが、
2年もしないうちにその会社もバブル崩壊の嵐に
巻き込まれて行ってしまいました。

続く

Author: 夢庵壇次郎
http://www.newvel.jp/library/pso-1967.html


愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る

歌は心の走馬灯、
 歌は世につれ、世は歌につれ、
  人生、絵模様、万華鏡…


美しい昔・ 天童よしみ



ベトナムの女性歌手 カイン・リー
「美しい昔」& 「雨に消えた貴方」として
1970年リリース。
「美しい昔・大阪万博で披露され日本語で訳され
「雨に消えたあなた」とタイトルも変えて1970年リリース。
NHKのドラマ「サイゴンから来た妻と娘」
(1979年)の主題歌としても知られる。
作詞・作曲はチン・コン・ソンだが、
ベトナムのホブ・デュランとも言われた
反戦シンガ-ーソング・ライターで、
生涯600曲を超える作品を残した。
カイン・リーと組んで多くの反戦歌をヒットさせたようだ。
1975年彼女の夫が官吏であったが為、
北軍に目の前で射殺されたという。
カイン・リーは乳飲み子を抱えてボートピープルとなり、
米国に渡り難民キャンプなどで-歌っていたらしいが、
現在はカリホルニァを中心に活動しているという。
(1945生) 来日して、加藤登紀子のコンサートに
特別出演したこともある。
チン・コン・ソンは残留を選択し
とらわれて再教育キャンプに送られたりしたが、
その後-も国民的音楽家として活躍し、
1996年には大阪アジア文化フォーラムで日本を訪問も
20001年逝去。
2004年、故人に世界平和音楽賞が贈られた。

原曲のタイトルは「美しい昔」であり、
内容は戦争によって引き離された男女の悲哀、
同胞同士で争うことの無益・不条理、
文化の破壊に対する無力感等の
反戦的なメッセージが-込められた詩です。


『美しい昔』 カーン りー



昨日という日は歴史、
 明日という日はミステリー、
  今日という日は贈り物、


時は絶えず流れ、
    今、微笑む花も、明日には枯れる



P R   f:id:campbll:20141216014859j:plain  特 長
1ボディーのローリング傷
2.拭き傷
3.頑固な水アカ 
4.ボデー面の退色・艶消え
5.ワックスを掛けても綺麗にならない
6.ウォータースポット(水カタ)除去 
ボディーの汚れや、艶引き等が簡単に復元できます。