流れ雲

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何とも不思議な歌がある。

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何とも不思議な歌がある。
浅川マキが歌う「赤い橋」という歌である。
この歌は、昭和46年(1971年)に発売された
「港の彼岸花」というシングルのB面だった。
この歌詞を読むと、この「赤い橋」は
三途の川を渡る橋のような気がする・・・。

浅川マキの「赤い橋
 作詞:北山 修
 作曲:山本幸三

不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
昔、 むかしから 橋は変わらない
水は流れない いつの日も
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない

いろんな人が この町を出る
渡った人は 帰らない
赤く赤く 塗った
橋のたもとには
赤い赤い花が 咲いている
不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない

不思議な橋が この町にある
渡った人は 帰らない
みんな何処かへ行った
橋を渡ってから
いつかきっと 私も渡るのさ
いろんな人が この橋を渡る
渡った人は 帰らない

 
 

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この詩のモデルが興味深い。
こんな歌詞を書く人は誰だろう?
「この町」とは何処だろう・・・? 
この橋の向こうは何処だろう ?
まるでタイムトンネルにつながっているような・・・・
調べてみると、青森の恐山には三途の川を渡る
「赤い橋」があるという。
「恐山の赤い橋」とは、聞くだけでも恐ろしい・・・
作詞の北山修さんは、
ザ・フォーク・クルセダーズ
元メンバーだという。
今は九州大学大学院人間環境学研究院
教授という要職にある精神科医。
北山修さんがセルフカバーしたCDも出ており、
また「雨のしのび逢い」というテレビドラマの
挿入歌としても使われたという。


中島みゆきの「うらみ・ます」も
別の意味(失恋)で怖いが、
この歌は「理由」「背景」が
分からないだけに、もっと怖い・・・
つまり「分からない」ことが 怖い原因・・・。
歌の背景を教えてくれると、
少しは怖くなくなるのだが・・・・



何とも不思議な歌がある。
中島みゆきの「うらみ・ます」
無数にある歌のうち、
「最も恐ろしい歌」として挙げるとすると、
躊躇無く この歌を選ぶ。

「うらみ・ます」
 作詞・作曲 中島みゆき



中島みゆきが泣きながら歌うこの歌は、
それほど「怖い歌」なのである。
歌詞も怖いが、歌い方も怖い・・・。
「女の恐ろしさ」がこれほどまでに
表現されるとは・・・。
また「歌」がここまで感情を表現できる手段に
なり得るのだという“見本”だ。
この歌はスタジオライブで、
一発で録音OKになったという
この歌は、カラオケとともに後から
歌だけ録音するような手段では、
到底実現できない事が良く分かる。


朝日文庫の「中島みゆき全歌集」の解説で、
谷川俊太郎が「うらみ・ます」について
こう書いている。
「・・・「うらみ・ます」を初めて聞いて、
たじろがない人はいないのではないか。
泣きながら歌う中島みゆきの声は
余りにも私的だ。
実際に彼女は特定の誰かをうらんでいて、
その感情をまっすぐに歌っているのだと
私たちは思いこむ。同時に私たちはそれが
演技なのではないかとも疑う。・・・・・・
・・・例えば題名の「うらみ・ます」の
うらみとますの 間に入っている
黒い小さな点は、
いったいなんだろうというようなことが
気にかかってくる。
一息に言うのではなく、
いったん息をのみこんでいて、
その微妙なためらいのようなものが、
うらんでいる自分をみつめる、
もうひとりの自分の存在を感じさせる。
黒い点はいわばからだからわき出る
自然な感情の流れを、中断する。
・・・・レコードの「うらみ・ます」は
スタジオライブで、しかも1回だけの
録音でできたということだ。
そういう選択にも作者の意図が感じられる。
それは賞をもらって泣く新人歌手の涙とは、
似ても似つかぬものだ。・・・」

エムズの片割れ( エッセイ集)より

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