流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

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 歴史への許可証 履歴への許可証
his personal history
(人の)履歴,経歴
(事物の)来歴,由来,沿革,
 由緒(ゆいしょ), いわれ


世界一長く続いている国【日本】
世界で一番長く続いている国がどこなのご存知だろうか?
それは我が国、日本で­­­ある。 
その歴史は2673年。
二番目に続いている国はデンマークで約1000年。
三番目はイ­­­ギリス 約900年である。
その他のほとんどの国は200年足らずで滅びている。
2月11日、日本の建国記念日
これは2673年前、
初代天皇 神武天皇が即位した日である。
2673年前の歴史的な人物を称え
祝日として祭祀を行う国は
世界中どこを探しても存在しない。





忠犬ハチ公の像

東京・渋谷駅の待ち合わせ場所としても有名なハチ公前広場。
ハチは、飼い主が死亡した後も、駅前で飼い主の帰りを待ち続けた
「忠犬」として知られ、 最近ではその物語が
ハリウッドでリチャード・ギア主演で
「HACHI」という映画にまでなりました。
ちなみにリチャード・ギアといえば、ジュリア・ロバーツと共演した
「プリティウーマン」が有名ですが、
この映画は、昭和39(1964)年に世界的大ヒット映画となった
オードリーヘップバーンの「マイフェアレディ」が下地になった
リメイク作品でした。
さて、映画化されたり本になったり、洋画でリメイクされたりと
有名な忠犬ハチ公の物語ですが、
ハチが渋谷駅前で待っていた飼い主が、
これまた実在の人物で、東大農学部教授だった上野英三郎
(うえのひでさぶろう)博士です。
上野博士は、三重県津市のご出身で、お生まれは明治28年です。
東大農学部を卒業し、そのまま大学院を経由して
東大の教授となりました。
教授が専門としたのが「農業土木」です。
これは各個人がそれぞれ所有する農地を、合算して広大な農地とし、
農業生産を担う集団的経営体の育成を図りながら
高生産性農業の展開に必要となる生産基盤を整備し、
食料自給率の向上に資する事を目的とする学問です。
農業土木の分野は、農地の区画整理、用排水施設、
農道、客土、暗渠排水路の設営、
共同経営隊の組成と運営と非常に広範なもので、
上野英三郎博士は、その分野の創始者となった方です。
この農業土木の分野を創設した上野博士の教え子は
3000名を超えると言われ、その思想は
高橋是清の積極財政出動による公共投資における
農業振興政策に幅広く応用されています。
上野博士は実に立派な方だったわけです。
その上野博士は、大正13(1924)年、秋田犬を購入します。
そして「ハチ」と名付けました。
元来犬好きだった上野博士は、ハチをことのほか可愛がります。
そして可愛がられたハチは、上野博士が出勤する際、
いつも博士を渋谷駅まで見送りに行くのが日課となります。
ところが、その翌年5月21日、いつものように見送った博士が、
大学の教授会の会議中に脳溢血で倒れ、
そのまま急逝してしまいます。
いつまでも帰らない主人を待って、
ハチは3日間も何も食べませんでした。
25日には、上野博士の通夜が松濤の上野宅で行われたのですが、
その日もハチは上野博士を迎えに、渋谷駅まで行き、
駅から降りて来る人々の中から、博士の姿を探しながら、
じっと帰りを待っていたそうです。
一方主人を失った上野家は、松濤の家を引き払い、
ハチは、日本橋にある上野博士の奥さんの親戚の
堀越宅にもらわれていきます。
ところがハチはなかなかその家になつきません。
やむなくハチは、浅草の親戚に引き取られることになるのですが、
そこからも脱走して、渋谷までで行ってしまいます。
そこで上野宅に出入りしていた植木職人の小林菊三郎さんに、
ハチは面倒をみてもらうことになるのですが、
ハチは、代々木にある菊三郎さんの家から、
毎日、渋谷駅まで上野博士を迎えに行ってしまいます。
そして腹が減ると、菊三郎さんの家に帰り、
食事を済ませるとまた渋谷へ、という日々が続きます。
そのとき、ハチは、渋谷駅に向かう途中で、
必ず旧上野宅に立寄り、中をのぞいていたといいます。
こうして、渋谷駅前で、ハチの姿は毎日見られるようになります。
ところが、人なつっこいハチは、
しばしば通行人に棒で叩かれたりしていじめられます。
またあるときは、野犬捕獲人に捕まったり、
またあるときは渋谷駅の小荷物室に勝手に入り込んで、
駅員に追われたり、またあるときは、
子供のいたずらなのでしょうか、顔の目のところに、
丸く墨で書かれたり、あるいは八の字髭を書かれたり
(これにはみんな笑ったそうです)などもしたそうです。
いちばん辛いのが、渋谷駅前の露天の屋台のお客さんや、
屋台のオヤジさんから、商売の邪魔だと
棒でひっぱたかれたりしたことです。
そんなハチの姿をみかねて、
日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉さんが、
ハチの悲しい事情を人々に知らせようと当時の朝日新聞
「いとしや老犬物語」という記事を寄稿したのが、
上野博士が亡くなって8年が経った(1932)年のことでした。



【血のハンカチ】
子供を気遣うお父さんのエピソードです。

参考:プロモーションムービーチャンネル。
マーケティングクリエーターの小坂様より引用


時は絶えず流れ、
  今、微笑む花も、明日には枯れる