流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

流れ雲

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(事物の)来歴,由来,沿革,
 由緒(ゆいしょ), いわれ


公開処刑直前・息子を殺された母の決断





一粒の豆よ「ありがとう」
ありがとう物語(鈴木健二著、)から・・・

ヒロインは一人のお母さんです。
十数年前に九州の某所で偶然ばったりとお会いしました。
「あ、暫くでした。お元気で何よりです。お子さん達は?」
「お陰様で無事に暮らしております」
「もう大きくなられたでしょう」
「先生、大きいどころではございません。
長男には孫がおりますし、下の子もまもなく結婚します」
「そうですかァ、月日のたつのは早いものですね。
あの頃のお子さんは・・・・・」
「はあ、上が小学校の五年生頃でしたかねえ、
下の子が三つ年下でしたから・・・・・」
その二年前にご主人が自動車事故に遭遇しました。
のちに私は確認のために事故の現場に立ったことがあるのですが、
どちらが悪いのかわからない微妙な事故でした。
それにもかかわらず、ご主人は救急車で病院に入りましたが、
二時間後に亡くなられ、不幸は追い討ちをかけて、
加害者と認定されてしまったのです。
相手の方も重傷でした。
弁償に当てるために残された家や小さな土地を売り払い、
お母さんは二人の幼い子を連れて、
知り合いの人の情にすがって、転々と居を移しました。
最後にある方のご好意で納屋を提供され、そこに住みました。  
中は六畳一間程の広さしかない上に、
納屋ですから押入れもありません。
電線を引き込んで裸電球をつけました。
昼間でも明かりをつけておかないと、室内は真っ暗です。
外にあった水道を使わせてもらい、
煮炊きは七輪に火を起こしてやりました。  
お母さんは生活を支えるために、
朝は五時に起きて朝食の仕度をし、六時には家を出て、
近くのビルを一人で各階すべてを掃除する仕事をし、
一旦家に戻って食事をすませると、
今度は子供達が通う小学校で給食のお手伝いをやり、
夜は料亭の板場でお茶碗やお皿を洗うという毎日が、
一年中続きました。  
ご主人が亡くなられた後の整理もそこに重なって、
お母さんの疲労は積み重なっていきました。
子供達が二人とも健康で明るい性格であったのが
ただ一つの救いでしたが、二年もすると、
さすがに疲れ果てました。
果たしてこれで生きていけるのかしら、
いっそのこと子供と一緒に死んでしまったほうが、
子供達のためにも幸せであるかもしれないと
思い詰めるようになってきました。
ある日のこと、いつものように朝早く家を出ようとするときに、
お母さんはお兄ちゃんがまだすやすや寝ている枕許に、
一通の置き手紙を書きました。  
お兄ちゃん、今夜は豆を煮ておかずにしなさい。
七輪に火を起こして、お鍋に豆を浸しておいたからそれをかけて、
豆が柔らかくなったら、おしょう油を少し入れなさい
文字通り薄いせんべい蒲団の中で、
体を寄せ合って眠っている二人の子に、
もう一度蒲団を寒くないように掛け直すと、
まだ暗い中を働きに出ました
自殺する人の多くは、瞬時に死を決意するそうですが、
その日は普段よりも一層強く子供達と一緒に死んでしまおうと
お母さんは意識していたそうです。  
どういう風にして手に入れたかは聞いていませんが、
お母さんは睡眠薬を多量に買い込んで家に戻りました。
心身共に疲れ切っていて、納屋の戸を、
すでに寝ている子供達にがたぴしという音を聞かせないように
開けるのさえ容易でありませんでした。
薄暗い豆電球を一つつけただけで二人は眠っていました。
普段から電気代を節約しなくては駄目よと言ってあるのを、
子供達はよく守っていてくれているようでした。
寒いけれども七輪に火を起こす気にもなれず、
お母さんは板張りの床の上に敷いたゴザの上に、
べったりと座り込んでしまいました。  
どうしたらこの子達に睡眠薬を飲ませることが出来るのか、
恐ろしい空想が頭の中を駆けめぐりました。
お母さんはふと気がつきました。
お兄ちゃんの枕許に紙が置いてあり、
そこに何か書いてあるようなのでした。
お母さんはその紙を手に取りました。
そこにはこう書かれていたのでした。

お母さん、おかえりなさい。
お母さん、ボクはお母さんの手紙にあった通りに豆をにました。
豆がやわらかくなった時に、おしょうゆを少し入れました。
夕食にそれを出してやったら、
お兄ちゃんしょっぱくて食べられないよと言って、
弟はごはんに水をかけて、それだけ食べて寝てしまいました。
お母さん、ごめんなさい。でもお母さん、
ボクはほんとうに一生けんめい豆をにたのです。
お母さん、あしたの朝でもいいから、
僕を早く起こして、もう一度、豆のにかたを教えてください。
お母さん、今夜もつかれているんでしょう。
お母さん、ボクたちのためにはたらいてくれているんですね。
お母さん、ありがとう。おやすみなさい。さきにねます・・・

読み終わった時、お母さんの目からはとめどなく涙が溢れました。
「お兄ちゃん、ありがとう、ありがとうね。
お母さんのことを心配してくれていたのね。
ありがとう、ありがとう、お母さんも一生懸命生きて行くわよ」
お母さんはそうつぶやきながら、
お兄ちゃんの寝顔に頬ずりをし、弟にもしました。
納屋の隅に落ちていた豆の袋を取上げてみると、
煮てない豆が一粒入っていました。
お母さんはそれを指でつまみ出すと、
お兄ちゃんが書いた紙に大切に包みました。
その時からお母さんは紙に包んだ豆を、
いつも肌身離さずに持っています。
「もしお兄ちゃんがこの手紙を書いてくれなかったら、
私達はお父さんを追って天国へ行っていたことでしょう。
いいえ、私だけが地獄へ落とされたと思います。
その私を救ってくれたのは、お兄ちゃんの
『お母さん、ありがとう』の言葉でした」
「今でも?」と聞きますと
、お母さんはハンドバックを開けて、
すっとあの一粒の豆が入った小さな紙包みを取り出して
見せてくれました。
「お兄ちゃんには話したのですか」
「いいえ、私がほんとうに死ぬ時に、
あの子にありがとうを言うために、
それまではそっと自分だけのものにしておきたいと思っています。
私の人生の最高の宝物です」  
いま、日本の広い空の下に、
一粒の豆を包んだ紙を大切に身につけているお母さんが、
どこかに一人いるのです。
私もお母さんの秘密を守って行きます。
私のほうがたぶんお母さんより
先にこの世を失礼するはずですので、
秘密を守り切れると信じています。 ……


(恋人への手紙)】 戦争、平和な世界で



一度きりのお子様ランチ、(文芸社
東京ディズニーランドワールドバザールにある
レストランで実際にあった話です。

二人連れの若い夫婦がレストラン
イーストサイド・カフェ」に食事に行きました。 
 
キャスト(ウェイトレス)が2人を
二人がけのテーブルに案内してメニューを渡しました。
2人はAセット一つとBセット一つ注文しました。
オーダーし終わったとき、奥様が追加注文しました。
「お子様ランチをひとつ下さい」 と・・・。
キャストは「お客様、誠に申し訳ございませんが
お子様ランチは小学生のお子様までと決まっておりますので、
ご注文は頂けないのですが・・・」 と丁寧に断りました。
すると二人は顔を見合わせて複雑な
残念そうな表情を浮かべました。
その表情を見てとったキャストは
「何か他のものではいかがでしょうか?」 と聞きました。
すると、二人はしばらく顔を見合わせ沈黙した後、
奥様が話出しました。
「実は今日は昨年亡くなった娘の誕生日だったのです。
私の身体が弱かったせいで、
娘は最初の誕生日を迎えることも出来ませんでした。
子供がおなかの中にいる時に主人と3人で
このレストランでお子様ランチを食べようねって言っていたんですが、
それも果たせませんでした。
子供を亡くしてから、しばらくは何もする気力もなく、
最近やっとおちついて、亡き娘にディズニィーランドを見せて
三人で食事をしようと思ったものですから・・・」
その言葉を聞いたキャストは
2人を四人がけのテーブルに案内しました。
仲間に相談して全員の賛成を得て、
お子様ランチのオーダーを受けました。
そして小さな子供用の椅子を持ってきて
「お子様の椅子はお父様とお母様の間でよろしいでしょうか?」 
と椅子をセットしました。
その数分後・・・「お客様、大変お待たせしました。
ご注文のお子様ランチをお持ちしました」 と
テーブルにお子様ランチを置いて笑顔で言いました。
「どうぞ、ご家族でごゆっくりお楽しみください」
数日後、お客様から会社に感謝の手紙が届きました。
「お子様ランチを食べながら涙が止まりませんでした。
こんな体験をさせていただくとは夢にも思いませんでした。
これからは涙を拭いて生きて行きます。
また行きます。今度はこの子の弟か妹を連れて・・・


時は絶えず流れ、
  今、微笑む花も、明日には枯れる