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流れ雲

繰り返しと積み重ねの、過ぎ去る日々に、小さな希望と少しの刺激で、今を楽しくこれからも楽しく (^o^)

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo

昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー

 
 
 

誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『事件史探求』

豊かな生活をおくるこの繁栄の陰に
多くの犠牲や謎に包まれた事件が数多くあり
過去の教訓を活かす為にも「負の財産」」を忘れてはならない


『ホームレスは何人いるのか?』
  (NO2)

2008年4月5日に発表された厚生労働省の、
ホームレスに関する調査によれば、
日本のホームレスの数は1万6018人。そのうち男性が1万4707人で
全体の91.8%を占める。
女性は531人で3.3%、性別不明者が780人いた。

「性別不明者」という項目があるのは、調査の行われた時期が
冬だったために、防寒着などで顔が隠れていて
男女の判断が出来なかったということである。

ホームレスは全国におり、一番多いのは大阪で4333人、
次が東京で3796人となっている。
初めてホームレスの調査が行われた2003年には
2万5296人だったというから、ずいぶんと減ったことになる。
都会の雇用情勢が好転したためではないかと考えられている。

だがホームレスの数に関しては「この調査自体にかなりの穴がある。」と、
数を取っていくのも、調査員が遠くから見て数をカウントしていっただけで、
実際に一人一人に接触して確認したわけではない。
性別不明者という項目があるのも、そのためだ。

そして調査が行われたのは昼間である。多くのホームレスは昼は
雑誌拾いをしたり日雇いのアルバイトに出ていることが多い。
そしてわりとまともな格好をしているホームレスであれば、
図書館やデパートで一日を過ごしている。

この調査の数は、昼間に河川敷や公園で確認出来ただけの数であり、
実際には含まれていない数が相当いると思われる。
近年はホテル以外にも夜通し過ごせる所が増え、時々報じられる、
マクドナルドで一晩を過ごすマクド難民と呼ばれるホームレスや、
ネットカフェで過ごす者も増えている。

最終便が出た後のバスターミナルのベンチなどは、
ホームレスたちの寝床になっているらしく、
その他道路に寝る者や、墓地、歩道の植え込みの陰、
商店街のシャッターの前など、ホームレスは様々な場所で寝ており、
このような者たち全ての数を数えることなどは、まず不可能である。



『あるホームレスの一日』  (NO2)

「ノブさん」の場合

通称ノブさん(49)と呼ばれる人物。ノブさんは、茨城で
電気店を経営していたのだが、近隣に大型電気店が相次いで
オープンしたために売上げが激減、
平成8年に自宅兼店舗を、信用金庫から2000万円借りて
建て替えていたのだが、この借金なども到底返せるような
状況ではなくなってしまった。
そして平成12年の末に、ついに廃業に追い込まれてしまった。

商売を辞めてからは、電気工事士の資格を生かして
設備工事の会社に就職したが、そこの給料では
生活していくのが精一杯。
借金を返すためにサラ金から金を借りるようになったが、
入ってくる金が少ないために次々借金を重ねることとなった。

信金への返済も全く出来なくなり、家は差し押さえられて
競売にかけられた。
最終的には自己破産し、妻とも離婚することとなった。
その上間もなくして設備工事の会社はリストラで解雇され、
地元で再び就職先を探したがどこも駄目だった。

東京なら何とかなるだろうと東京へ出てきたものの仕事には巡り合えず、
所持金もあっという間に底を尽き、
ホームレスの生活をすることになってしまった。

ノブさんは普段、段ボールの家に住んで
一日中何もしないというタイプではなく、何とか日々金を稼ごうとしている、
いわば前向きなホームレスであった。
稼いだ金でカプセルホテルや簡易旅館を泊まり歩き、洗濯もしているし、
身なりもわりと綺麗で、ちょっと見ただけではホームレスとは分らない。


駅で雑誌拾い
  
ノブさんは朝の6時から電車に乗っていたという。
電車は冷暖房完備なので、この中で寝ることが出来るのだ。
前日は川崎のマンガ喫茶で一晩過ごしたらしい。
荷物は衣類の入ったリュックサックとキャリーカー。
リュックサックはコインロッカーに入れ、キャリーカーを引っ張って
再び電車に乗る。

一駅ごとに降りては駅のゴミ箱から雑誌を拾っていく。この雑誌を売って
金に替えるためである。約2時間の雑誌拾いで収穫は大体100冊。
これを古本屋に持って行く。買い取り値は1冊20円から40円。
中には買ってもらえない本もあったが、全部で2700円になった。

食事は極力安いものを選ぶ。賞味期限間近で値引きされているような
パンなどである。
飲み物はペットボトルを持ち歩き、公園や図書館などで水を補充している。
缶コーヒーを買って少し休憩すると再び電車に乗り、
今度は元いた駅に引き返す。
帰りの道中でも同じように一駅ごとに降りて雑誌を拾って行く。
帰りも同じ100冊くらいは拾うことが出来た。

再び古本屋へ持ち込むと、いくつか混じっていたアダルト雑誌が評価が高く、
1冊100円で引き取ってもらい、合計で3300円になった。
この電車の往復で6000円稼ぐことが出来た。
この後は吉野屋で夕食。サウナで一泊して一日を終える。


売れそうな廃棄品を求めてゴミ捨て場へ

次の日も同じく昼から18時ごろまで雑誌拾いをして5300円を稼ぐ。
それから図書館で20時ごろまで寝る。立ち食いソバ屋で食事をした後、
電車に乗って移動する。今日はここからまだ働くらしい。
時間は22時になっており、辺りは人もまばらになっている。
ゴミの日の前日なのか、ノブさんの目的地は高級住宅街のゴミ捨て場だった。
ここで換金出来そうな物を拾っていく。

一箇所だけではなく何か所もまわり、ラジカセ、大量のゲームソフト、
CD、アディダスのコート、コーヒー茶碗のセット、ホットプレート、地球儀、
アダルトDVDなどを手に入れた。
次の日にこれらをリサイクルショップに持ち込む。
店主とはすでに顔なじみになっているようだ。ラジカセは300円、
コートは1400円、だがホットプレートは壊れていたので駄目だった。

DVD関係は、また別の店へ持って行く。本・CD・DVD専門の店である。
アダルトDVDは20枚で4000円、ゲームソフトは15枚で2200円、
CDは30枚で2600円で引き取ってもらった。
売れるものを全部売ると合計で10,900円になった。この後は昨日と同様、
電車に乗って雑誌拾い。この日の雑誌の稼ぎは3900円。
今日の仕事はここまでらしい。

次の日は土曜日になるが、ノブさんは、土曜と日曜はビルの清掃の
アルバイトをしているという。面接の時、履歴書は出したが、
住所は泊まっていた簡易旅館の住所を書いた。それでも採用された。
日雇いに近いバイトなので、そう追求したようなことは聞かないらしい。
多少金が入ったのでこの日はカプセルホテルに泊まる。
だいたい宿として利用するのはカプセルか、一泊2000円くらいの
簡易旅館である。風呂は銭湯、洗濯はコインランドリーだが、
風呂に入るのは一週間に1回程度。
その日の宿があって多少金があれば食い物も買えるし
週に1回は酒も飲む。

翌日。雑誌拾いを終わらせた後、丸の内や大手町にある大型ビルの
ゴミ集積場をあさりに行く。こういったビルは売れる物がたくさん
捨てられているのだという。
最初のビルでは大理石のタバコ入れや灰皿、ノートパソコン、
パソコンのソフトなどを手に入れた。別のビルもまわり、未開封の
ビデオテープ10本セット、日本人形などを拾う。

集めたものはリサイクルショップなどに持って行って換金する。
ノートパソコンが状態が良かったため、1万4000円で売れた。
これが大きく影響し、この日の儲けは全部で2万1100円。
ノブさんがこれまでに見つけた物の中で最高の値段で売れた物は、
日本橋のビルで拾った伊万里(いまり)の絵皿だという。
骨董品屋に持って行くと古伊万里の上物だということで
15万円で引き取ってくれた。

生活はなるべく切り詰めて金を残すように心がけている。
郵便局へいってここ最近稼いだ金を貯金する。キャッシュカードは
まだ社会人だったころに使っていたもので、口座はまだ生きているのだ。
現在の貯金額は20万円ほど。いずれこの生活から脱して
アパートを借りたいと思っているのだが、どうしても
最初の敷金などが必要で、何十万かは現金が必要になる。

仕事の合間にノブさんは、拾った求人情報誌や新聞の求人欄に
熱心に目を通す。「まともな職について普通の生活をしていくには
住所が必要なんだ。住所不定の人間なんて社会的信用はゼロだからね。」
「とにかく金を稼がなければ。いつまでもこんな生活はしてられないよ。」と
ノブさんは語る。

だがいつも上記のように雑誌や廃品がある程度の金になるとは限らない。
雑誌拾いで1回2000円3000円になるのは優秀な方で、
他のホームレスでは1000円ちょっとというパターンが多い。
雑誌拾いは人気の仕事なので競争相手も多いのだ。
ノブさんも、一日頑張ってもわずかな物しか拾えず、全く不調の時もある。
そういった時には仕方がないので貯金を降ろすことになる。
だからなかなか思ったようには貯まらない。

ノブさんはホームレスの中でも、社会復帰を目指して金を稼ぎ、
極力宿に泊まるという、いわば上のクラスに位置するホームレスである。
だが、ホームレスにもピンからキリまでおり、中には、
社会復帰などする気のない、このままの生活でいいと考える者もいる。



この生活がいい(Aさん : 当時53)

Aさんは岐阜県出身で、高校卒業後、東京の印刷会社へ就職。
15年勤務し、33歳で独立して、神田に印刷会社を設立した。
仕事は順調で、当時は普通の会社員の倍の収入があった。
しかし昭和60年ごろ、ワープロが世に普及していくと同時に
仕事が激減した。たちまち経営難におちいる。

しばらくは印刷会社をやりながらデパートの配送のバイトを
週末にしていたが、平成4年10月にとうとう廃業に追い込まれた。
その後は職を転々としていたが、どれも長続きはしなかった。
奥さんも働き始めたが、この頃から夫婦仲が悪くなり、
ケンカばかりするようになった。

奥さんは保険会社に勤め始めたが、才能があったのか、
たちまちトップセールスとなって、月収も多い時には50万を超えた。
それと同時に収入の少ないAさんを見下すようになった。
Aさんは非常に肩身の狭い思いをするようになる。
ある日、Aさんが飲みに出て深夜に帰って来ると再びケンカとなった。
「あんたなんかと一緒になるんじゃなかった!」と奥さんに言われ、
この日のケンカが決定的となって、翌日「仕事に行く」と言って家を出て、
Aさんはそのまま家出した。

だが持って出た所持金はたちまちのうちに底を尽き、
上野公園で暮らす生活となってしまった。あれ以来家には帰ってないが、
野宿するようになって1年後に、以前住んでいた団地を覗いてみると、
自分の家の表札が変わっていた。
今では女房と娘がどこに引っ越したのかも知らないし、
知りたいとも思わないと言う。


ここの生活はどうですかというインタビュー

「ボランティアの人が炊き出しをしてくれたり、おにぎりやカップラーメンを
持って来てくれたりするので、飢え死にするようなことはない。
繁華街を歩けば、まだ食べられる弁当だって捨ててあるしな。
着るものだって、ボランティアの人たちや教会の人たちが
古着をたくさん持って来てくれるし、ゴミの日に集積所をまわれば、
どこも痛んでないシャツやセーター、コートまで手に入る。

収入だって少しはあるんだ。時々引越し会社の臨時作業員をやってる。
ああいう日雇いのバイトってのは、履歴書を持って来いなんて言わない。
電話すると今度の金曜日にどこどこに集合って言われておしまい、
それだけなんだよ。

だいたい月の収入は3万円くらいだな。
雨の日とか、台風、雪の日なんかはカプセルホテルか
浅草の簡易旅館に泊まるようにしてるんだ。
とにかくここにいれば楽でいい。義務も責任もない。
一日中、気の合う仲間と酒を飲みながら麻雀をしたり将棋をさしたりして
一日が過ぎていく。
ボランティアの人が色々面倒みてくれるから働かなくても生きていけるんだ。
天国だ。ボランティア様々だよ。


仕事をする意思があるかどうかについて

「もらい癖がついた人間がまともに働けるわけがねえよ。」
「骨の髄まで野宿生活が染みついちまったんだ。もうあきらめてるよ。
将来もあるなんて思っちゃいない。それでいいじゃねえか。
人様に迷惑かけてるわけじゃないんだ。」
誰も好き好んでホームレスになる人間などはいない。
だが、いざなってみると「この生活もまあいいか」と
思い始める人はいるようである。……



体験談・見聞きしたこと『高速道路で運転中に眠くなった』

運転中、眠くなるというのは誰にでもあることである。
特に高速道路を走っている最中に眠くなるというのは恐ろしい。
近年では、高速バスの運転手が居眠りをして大事故を起こし、
何人もの死者が出た事件があったが、これに限らず、
居眠りが原因の事故は後を絶たない。

昔いた会社の同僚だったAさんは、その点、特に慎重な人で、
「運転中、眠くなったらすぐ寝る」を信条にしている人だった。
すぐに道路の左に寄せて車を停め、イスを倒して寝る。
夜だったら、よくバス停に停めて眠りに入るらしい。

そのAさんが、ある休みの日、実家へ帰省するために、
高速道路を走っていた。所要時間は約2時間の予定だった。
高速に入ってしばらくすると急に眠くなってきた。
眠くなったらすぐに寝るのがAさんなので、いつものように、
道路の左端に車を停めて、イスを倒して寝ることにした。
しかしこれが一般道ならまだしも、高速道路で左に停めて
寝るようなことは普通の人はしない。

Aさんの場合、このあたりがちょっと感覚がズレているのかも知れない。
横を100km以上のスピードで次々と車が通過していくが、
Aさんは気持ち良く眠りについていた。
しばらく経つと、窓をコンコンとノックする音が聞こえてきて目が覚めた。
Aさんが窓の外を見てみると、車の外にスーツ姿の
男が二人立っている。

ルームミラーで見ると、自分の車の後ろに乗用車が停まっており、
その乗用車の天井には赤いパトランプがついていた。
高速道路によくいる覆面パトカーだった。
当然、ノックしてきたのは警察の人。
「どうかされたんですか?具合でも悪いんですか?」と、聞いてきた。
「いや、別にそういうわけじゃないですけど、眠たくなったので、
ここで寝ていただけです。」とAさんが言うと

「あんた、高速道路で寝てちゃいけませんよ。寝るんだったら、
パーキングエリアに入って寝て下さい。」と警察は言う。
「しかし、眠いまま走ってたら事故するだろうが。
あんたら、ワシに事故起こさせる気か!」と言い返すと
「別にそんなことは言ってません。とにかくここで寝てはダメです。
すぐに発進して下さい。」

「眠くても走れと言うんか!」
「まあ、そうなりますが・・。何とかパーキングエリアまで、行って下さい。」
「警察が事故を誘発させるようなことを命じる気か!
眠くても走らせるとは、それが警察のやることか!
言ってることがメチャクチャじゃないか!」
「いや、メチャクチャなことを言ってるのはあなたの方です。
とにかく、早く発進して下さい。後続車の迷惑になりますから。」
押し問答をしていても時間を使うだけなので、
しぶしぶAさんは発進することにした。

後にAさんと会った時にこの話をしてくれて
「ワシが高速で寝とったら、いっつも警察が来て起こしやがる。
誰かが通報するんじゃろう。」と言っていたので、
こういったことはしょっちゅうやっているようである。
しかしこの場合、Aさんの言うことにも一理あり、
この場合、どっちが正しいのか判断に迷うような気がするが、
やはり警察の言い分の方が正しいのだろう。……


Author :
現代事件簿


『ジェラシー 』



君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる

P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
Moto3
 

妄想劇場・特別編

妄想劇場・特別編

信じれば真実、疑えば妄想……


Mituo 
昨日という日は
歴史、
今日という日は
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明日という日は
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誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば…



『事件史探求』

豊かな生活をおくるこの繁栄の陰に
多くの犠牲や謎に包まれた事件が数多くあり
過去の教訓を活かす為にも「負の財産」」を忘れてはならない


『あるホームレスの一日』
  (NO1)

ホームレスといえば、公園や道路でテントやダンボールの家に住み、
着ている物は恐ろしく汚れ、悪臭を放っているという印象を
誰もが持っている。
一般人でホームレスと付き合ったり話をしたりする人はほとんどない。
故(ゆえ)に、彼らの生活もあまり知られていない。

ホームレスになる前の職業は、建設関係が圧倒的に多く、
全体の56.9%を占める。次いで製造業26.7%、運輸・通信5.8%と続く。
直前の雇用形態は、正社員が42.3%。

ホームレスは、いつも同じところにテントを張ったりして定住している者と、
少しでも金を稼いで泊まれる所を転々としている者と、
二つのタイプがある。
生活場所が決まっている場合、「そこはどこか」という問いに対しては
公園30.3%、河川敷26.8%が多く、道路9.4%がそれに続く。

転々としている方は、あまりホームレスとは分らない者が多い。
ホームレスと言えば、道路や公園、河川敷などにテントを張って
生活している者という印象が強いが、実際は人には気づかれない
ホームレスも大勢いるようである。

他人ごとではない

ホームレスの平均年齢は57.5歳。ホームレスになった理由は、
ほとんどの者が40代、50代になってからの失業である。
40代、50代と言えば、元の会社でも出世している人が多い。
ホームレスには、元会社の重役が多いと言われるのもそのためである。

中には、会社を経営していて倒産し、従業員たちから
「給料払え」と訴えられて夜逃げし、そのまま路上生活に入った人もいる。
サラ金からの借金が膨大に膨らみ、夜逃げして
ホームレスになるというパターンも多い。

ギャンブルによる借金であればあまり同情は出来ないが、
そうではない人もいる。
生活費が足りずに借金を重ね、支払が出来ずに、こっちから借りて
あっちへ返すというパターンである。
再就職先を探して何十社面接に行っても年齢が弱点となり、全て不採用。
中には履歴書を100枚書いて応募しても、全て不採用だった人もいる。
そのうち退職金も貯金も底を尽いて、住む所もなくなる。
皆、やむを得ずそのような状況になってしまったのであり、
今きちんと働いている人たちでも、自分だけは大丈夫という
保証はどこにもない。


こうしてホームレスになったBさんの場合

Bさんは、大学を卒業して9大商社の一つに就職した。
主に財務を経験する。バブルがはじけてからは会社の業績が急激に悪化し、
以前は7~8ヶ月分あったボーナスも、0.5ヶ月分まで落とされた。

勤続25年で、財務部の次長にまでなっていたが、
これ以上ここにいても収入が減るばかりと考えていたところへ、
会社が希望退職者を募(つの)り始めた。
倒産しては元も子もない。まだ、上乗せの退職金が出るうちに
この会社に見切りをつけて別の会社へ移った方が得策だと判断し、
Bさんは希望退職に応じて会社を辞める。

「まだ40代半ばだったし、転職先はいくらでもあると思ってた」と
Bさんは語る。
退職金は手取りで2300万円。そのうち2000万円をマンションの
返済にあてて、残ったのは300万円。しかしこの金も子供の教育費と
生活費で全て消えてしまう。

就職が決まらない。どこへ応募しても年齢で除外される。
自分としては財務は専門職だと思っていたから、半年もあれば
好条件のところへ入れると思っていたが、完全に考えが外れた。

2人の子供を抱えているので、年収で700万くらいのところを探したが
全て駄目。
「手当て込みで30万円、年収で450万ほど。こんな程度のものばかりでした。」と、
Bさんは就職活動を振り返る。

やっと採用されたのが中小企業の経理だったが、2年ほど勤めた時、
「今後は息子にこの仕事をやらせるから、あなたはもういいです。」と
言われて解雇になった。

その後はクリーニング屋でバイトを始める。時給は900円だった。
月の収入は15万円で、奥さんも働きに出ていたが、2人合わせても
月22~23万円だった。
しかし昔の感覚が抜けず、カードで買い物をしたりしてボーナス時の支払いが
50万円を超えたりすることもあった。更に、住んでいたマンションが10年目の
大規模な改修工事をするというので居住者一戸当たり80万円の負担がきた。

貯金も底を尽いていたので、3つのサラ金で150万円借りた。
収入が収入なので、返せるわけがない。別のサラ金から借りて
こっちへ返す、ということを繰り返しているうちに、最初に借りた150万は、
1年半後には1600万円に膨(ふく)れ上がっていた。
借りた会社は全部で16社。

「金返せ!」とサラ金から激しい取り立てが来る。マンションを売って
何とか返済したものの、奥さんは子供を連れて実家へ帰り、家庭は崩壊した。
マンションを売ったのでBさんも住む所がなくなってしまった。
最初は兄弟たちのところを転々としていたが、あまり
迷惑をかけるわけにもいかず、ついに公園で暮らすこととなった。


Cさんの場合

Cさんは、関西の国立大学を卒業し、大阪で、大手の鉄鋼会社へと就職した。
30年勤め、最終的には本社の副部長まで昇進する。しかしある日、
外回りの営業から帰ってくると、「人事部が呼んでる」と言われ、人事部へ行くと、
今年の年末で辞めてもらうことになったと告げられた。
一瞬で頭の中は真っ白になった。

Cさんにすれば、配置転換は色々経験したが、どの部署でもきっちり
仕事をやってきたという自信はあったし、4半期ごとの売上げ目標も
クリアしており、トラブルも起こしたことがない。
なぜ自分が整理対象になるのか、納得がいかなかった。

その点を聞いてみたが、中国や韓国の安いところと競争していくためには、
人件費の高い中間管理職を抱えている余裕などは
この会社にはないということだった。
Cさんも抗議したが「決まったことだから」の一点張りで、
全く話し合いにはならなかった。

「今後、あなたにこの会社でしていただく仕事はありません。」と
常務に告げられ、一方的な解雇通告を受けて終わりだった。
30年勤めた実績などは何の役にも立たなかった。

企業がリストラする目的は人件費削減であるから、
Cさんがリストラ対象となったのは、やはり「給料が高い」という
理由が大きかったようである。

2週間で後任に引継ぎを終わらせると「人事部開発室付け」という
所属に切り替えられ、出社する部屋も変えられた。
半年間、この部屋に出勤するようにとのことだった。
要するに、半年以内に次の仕事を見つけろということで、
この部署は仕事など何もない、ただ「居る」だけのような所だった。

ここにはCさんを含めて60人ほどが所属となり、別名
「リストラ部屋」と呼ばれていた。仕事は
「次の仕事を見つけてくること。」である。

半年が経ったが、再就職先が決まったのは3割くらいの
人間だけだったという。
Cさんも面接にはかなり行ったが、どこも年齢で引っかかり
不採用ばかり。
結局進路が決まらないまま退職することとなった。

退職金は2500万円出たが、家のローン返済で消えていった。
熱心な就職活動の結果、退職して8ヵ月後、ようやく一社採用になった。

教育ビデオの製作・販売をしている会社だったが、
5巻セットで3万円のビデオを売ったり、書店で2000円で売っているものを
4000円で売ったりなどの胡散(うさん)くさい商売をしている上に、
給料も売上げに応じた歩合給だった。

訪問販売のようなものだったが、交通費も自分持ちの上に、
やっていることも詐欺っぽかったので、ここは2ヶ月で辞めた。
それからは全く仕事に就(つ)けない日々が続いた。
人材派遣会社へ登録もし、職安へも何回も行ったが、全て駄目だった。

そして東京へ行くことを思いつく。一つアテがあった。大学時代の友人で、
材木の輸入・販売の会社を経営している男がおり、同窓会で合うたびに
「一緒にやらないか。」と誘ってくれていた同級生がいたのだ。

思い切って訪ねてみたが、その会社があるはずのビルは閉鎖されていた。
管理室で聞いてみると、ずいぶん前に倒産したとのことだった。
家の電話番号も知っていたので電話してみたがつながらなかった。
大変なのは自分だけじゃなかったことを改めて思い知った。

奥さんには「俺の実力を知っている奴だから喜んで
迎えてくれるはずだ。」と言って出て来た手前、のこのこ帰れない。
手持ちの金は2週間で使い切り、そのまま路上生活へ入ることになった。
上野公園が主な生活場所となり、雑誌を拾って古本屋へ売り、
この時は一日1000円ちょっとの収入で何とか生きているということだった。


Cさんの談
「まだスーツを着て働いていた時は、梅田や難波でそういう人たちを見て
『ああはなりたくない』と思っていたけど、簡単になってしまった。
何が悪かったんだろうと思いますよ。」
「こういう暮らしをしていると恥という感覚が日に日に失せていくんだ。
ゴミ箱に手を突っ込んで雑誌拾いするのだって何とも感じなくなった。」

「道を歩く時も、前は人に見られるのが嫌で下を向いて歩いていたけど、
今は普通に歩いている。
いつもはそこの歩道橋の下にダンボールを敷いて寝てるけど、
すぐ横をサラリーマンやOLの人が通っても何とも感じなくなった。
地べたに座って弁当を食ったり酒を飲んでいるところを見られても
平気になってしまった。
人間なんて、驚くほど簡単にみっともなくなっていくんだ。」……



体験談・見聞きしたこと『飲酒運転で捕まったママさん』

ある飲み屋のママさんが、店で営業中、結構飲んでいたにも関わらず、
店が終わって家に帰ろうと自家用車に乗りこんで発進すると、
ちょっと走ったところで警察に停められた。
飲み屋街でバスケットにおしぼりを入れて歩いている女性といえば、
モロにどこかの飲み屋のママさんであるから、そういう人が
車に乗り込んでいるのをみつけた場合、後をつけて行って
捕まえるのだそうだ。
車を道路の左端に寄せて停めると、警官が近寄ってきた。
完全に飲酒運転で捕まる展開である。
あんた、飲んでるじゃないの?と警官が聞いてきた。
「私、これから死ぬところだったんです・・。」
「は?」
思いもかけない返答に警官も一瞬、分けが分からなくなった。
「死ぬって一体何を言ってるのかね?」
「私、男にふられて・・私の身体の中にはすでにその人の
赤ちゃんまでいるのに、遊ぶだけ遊ばれて捨てられたんです。
もう、生きててもしょうがないから、このまま海に飛びこんで
死んでしまおうと思って・・。

だけど死ぬっと怖いじゃないですか! だから私、
勢いをつけようと思ってお酒をガブ飲みして、その勢いで
このまま海に飛びこみに行くところだったんです。」
そう言ってママさんは目からぽろぽろと涙をこぼし始めた。
ウソ八百を並べながらも泣くことが出来るというのは、
女性特有の特技であろうか。
「ちょっと待ちなさい。バカなこと考えるんじゃない!」
「もういいんです。飲酒運転で捕まえるんでしょ? 切符切って下さい。
私にはもう、関係ありませんから・・。」
「ちょっと待ちなさい。もっと落ち着いて! 
今日のところは家に帰りなさい。家は遠いのかね?」
「はい、ちょっと・・。」
「この近くには相談出来る人はいないのかね?」
「このちょっと先に友達が住んでますけど・・。」
「じゃあ、とりあえずその友達の家に行きなさい。
苦しいことは人に話したらそれだけでも楽になるもんだよ。
死ぬなんて安易に考えずに、まずはその友達に
打ち明けてみてはどうかね。
さすがに運転させるわけにはいかないから、あんたの車は
もう一人の警官に運転させよう。私はパトカーでついていくから。」
そういうことで、「友達の家」まで警官たちに送ってもらった。
しかし実際は、その家は友達の家でも何でもなくて、
自分の家だったのだ。
何のことはない。自宅まで送ってもらっただけだった。
「ありがとうございます・・。私、考え直してみます。」
「もう、死ぬなんて考えるんじゃないぞ。頑張って生きるようにな!」
そう言って警官たちは去って行った。
結局キップは切られずに済んだ。
パトカーがいなくなった後、ママさんは「やべーやべー、
危ないとこだったわ。」 と言いながら
ほっと胸をなでおろしたのだった。
※真似はしないで下さい。


Author :
現代事件簿


『泣いて昔が返るなら 』




君は吉野の千本桜、色香よけれど、
気(木)が多い



時は絶えず流れ、
今、微笑む花も、明日には枯れる


P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
    お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂
Moto3
 

妄想劇場一考編

妄想劇場一考編

信じれば真実、疑えば妄想……

時は絶えず流れ、今、微笑む花も、明日には枯れる


Mituo
 
 
 
  
 
 
 
 
冥談「日常や社会に存在する話」

『尼崎連続変死事件の角田美代子』(その人物像)

犯人が捕まったにも関わらず、
未解決のまま忘れ去られそうになった事件が存在する。
尼崎連続変死事件がそれだ。
兵庫県尼崎市を中心に複数の家族が
長期間虐待、監禁、殺害され、死者・行方不明者は10名以上。
日本の犯罪史上、稀に見る大事件でありながら
2012年12月、主犯格である元被告・角田美代子が
兵庫県警の留置施設で自殺という衝撃の結末をもって
幕を下ろしてしまう。
全容を解明する機会は永久に失われた。
誰もがそう思っていたなか、尼崎事件に粘り強い取材で迫った
ノンフィクション『家族喰い 尼崎連続変死事件の真相』が
刊行されたのだ。著者の小野一光は角田美代子の住居近くである
阪神電鉄杭瀬駅周辺に何度も足を運び、
事件の内容だけでなく美代子の人となり、生い立ちにまで
深く踏み込んでいる。

事件は何故起きたのか。『家族喰い』における小野の調査から、
不気味な未解決事件の真実に迫ってみたい。
そもそも角田美代子とは一体どんな人物だったのか。
1948年、美代子は尼崎市に生まれる。
美代子が小学2年のときに両親は離婚し、
彼女は父方に引き取られた。左官の手配師をやっていた父は
気性が荒く、家に出入りする若い職人たちを力でねじ伏せ、
中学の時に美代子が問題を起こしても
「どっちみちうちの(美代子)が原因やろ。もうええわ」と
突き放したような言い方をする人間だったという。

10代の頃に実母に仕事を紹介され働き始めるも、
その仕事というのは売春。
幼いころから青春期に至るまで、美代子は
家族の絆や温もりといったものを知らずに育ったのである。
美代子は家族の愛情に飢えていた。
やがて彼女はその飢えを、どす黒い欲望へと転化させていく。

他人の家庭を分断・解体する「家族乗っ取り」を
美代子は始めるのだ。
最初に美代子のターゲットになったのは猪俣家。
母の兄の妻であった小春の葬儀に美代子は因縁をつけ、
猪俣家の人々を脅迫し西宮市の高層団地に軟禁状態にしたのち
給料を搾取、窃盗を強要するなどした。

さらに親族たちをわざと挑発して、歯向かってきたものは
自分の取り巻きを使って暴行を加え、周囲の人間に
恐怖心を植え付ける。
追い込まれた猪俣家は崩壊状態を迎えた。
ある者はマンションから飛び降り自殺、
あるものは心を病んで施設に入り名前を変えて
暮らさざるを得なくなる。

文字通り家族がバラバラになってしまったのだ。
こうして暴力と恫喝により、美代子は複数の家族を
破滅へといざなった。

角田美代子が何よりも卑劣だったのは、
乗っ取る家族のメンバーを互いに傷つけ合わせたことだ。
「手を下さなければ、自分がやられる」という
不安の種を埋め込み、子と親が、あるいは妹が姉に
暴力を振るうように美代子は仕向ける。
家族の絆がいとも容易く崩れてしまうことに、
この事件のやるせなさがある。

家族同士の傷つけ合いにはもうひとつ悲惨な面がある。
「民事不介入」の名のもとに、警察が腰を上げなかったことだ。
被害者が上手く美代子の目を盗んで警察に訴えようにも、
「家族間の争いで具体的な事件性がない限り動けない」と
言われてしまうのだ。

こうして事件は2011年に美代子が傷害罪で逮捕されるまで、
本格的な捜査がされることは無かったのである。
尼崎事件における角田美代子の姿を追ってみると、
まるで彼女が家族という存在を根絶やしにしようと
躍起になっているように思えてくる。

美代子は家族を破壊し、全力で否定しようとする。
もしそれが家庭という、自分が手に入れることが
できなかったものへの憧れの裏返しならば、
今まで怪物のように報道されてきた角田美代子が、
妙に人間臭く見えてくるのだ。
もちろん、それで美代子の犯した所業が
許されるわけはないのだが。

角田美代子の死後も、新たな犠牲者が存在する
可能性が出てきたり、あるいは事件に関与していると思われる
集団が検挙されていないなど、事件はまだまだ続いている。

著者は言う。「忘れられないようにするためには、
誰かがしつこくするほかない。」
真相を追う調査行に終わりはなさそうである。

Author :若林踏


【長野・高校生自殺事件の真実】

息子を自殺に追い込んだ母親は、いじめをでっち上げ、
校長を殺人罪で告訴した


『モンスターマザー』Author :福田ますみ
「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』


自殺した高校生をめぐる、母親と教師たちの、実在した
壮絶な闘いの記録である。
しかしそこに、勝者はいない。
失われた尊い命が戻ることはないからだ。
それでも、本書の単行本化によって、事件の真相が再び
社会に示されたことが、せめてもの故人への
弔いとなることを願う当事者は多いだろう。

高山裕太君(当時16歳)がその命と引き換えに、
だれに、なにを訴えたかったのか、
その声無き悲痛な叫びを、裕太君の周辺にいた
友人や学校関係者たちはずっと思い続けてきたに
違いないからだ。

(各マスコミが一斉に報道した「いじめ自殺事件)
2005年12月6日、当時、長野県丸子実業高等学校
(現・長野県丸子修学館高等学校)の1年生で
バレーボール部員だった、裕太君が自宅で首をつり自殺した。
シングルマザーの母、高山さおり(本書表記の仮名)は、
「自殺はいじめが原因」と主張し学校側を糾弾。
新聞・テレビ・雑誌などのマスコミが一斉報道しただけでなく、
人権派弁護士も加わり援護体制を固めた。

マスコミや人権派弁護士にしてみれば、高校生の自殺に、
よもやいじめ以外の理由があるなどとは、
思いもよらなかったのだろう。そして
2006年1月、さおりは、校長を殺人罪などで刑事告訴し、
上級生とその両親を相手取り、損害賠償を求める
民事訴訟を起こす。

このいじめ被害者遺族と学校の法廷劇は、さらにその後、
校長などからさおりが名誉毀損で逆提訴されるという、
異様な展開を見せる。
裕太君の自殺から裁判にいたる「丸子実業高校バレーボール部員
自殺事件」の全貌と真実を明かした、
ドキュメンタリー作家・福田ますみ氏による渾身のルポルタージュである。

福田氏は、前著『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相』においても、
緻密な取材で事件の全貌を克明に再現させることで、
モンスターペアレントの嘘で塗り固められた訴えによって、
冤罪の汚名を着せられた教師の潔白を証明してみせた。
当事者たちの証言やさおりの言動の痕跡・証拠、さらには
さおりの家族や元夫などへの聞き取りで得た事実を丹念に拾い、
つなぎ合わせ、事件の全体像を見事に浮かび上がらせていく。

(再現ドラマのように克明に描写される事件の現場)

さおりの言動に異変が現れたのは、2005年8月に裕太君が
2度目の家出をしたときだった。
一度目の家出は入学早々の5月で、このときはその日のうちに
市内で発見された。
しかし、2度目の際は、様子が違った。

さおりと学校職員だけでなく、地元の消防団などにも応援を要請して
市内を捜索したが、裕太君は一向に見つからない。
焦りと苛立ちからか、捜索に協力する学校関係者に対して、
次第にさおりの口調は命令的、攻撃的なものに変貌する。
「先生、生徒、みんなで捜せ! 原因は学校にある!」などと、
さおりは激しく興奮して泣き叫んだという。

家出の原因はすべてさおりにあった。
2度目のときは「バレー部をやめるなら、学校もやめて死んで。
携帯電話は置いていけ!」と裕太君を追い詰めたことを、
さおりは学校関係者に告白していたのだ。
にもかかわらず、学校側を一方的にさおりは責め始めたのである。

結局、家出から6日後に警察から連絡があり、
裕太君は東京で保護された。
しかしこの家出事件を機に、さおりの攻撃的な言動は止むことなく、
さらにエスカレートする一方となっていく。
このさおりの言動や激情によって、学校関係者、
そして裕太君と友人など、が翻弄される。
当事者たちの緊張、恐怖や憔悴などが、まるで
再現ドラマを見ているかのように克明に再現されていく。

(姿を現したさおりの実像=モンスターマザー)

そこに浮かび上がるさおりという母親像、
それは決して、日ごろから裕太君に愛情を注ぐ母ではなかった。
わが子を幼少期より半ば育児放棄し、「死ね」と罵倒し続け、
自由と自尊心を奪うことで操り人形に仕立て上げようとした母。
その姿こそが、さおりの正体、「モンスターマザー」だったのである。

さおりには3度の離婚歴があり、裕太君は最初の夫との子供だ。
取材した2番目と3番目の夫の証言から、さおりの実像はより明確になる。
それは、完全に人格の分裂した、心の病に侵された
人間であるという事実だ。

元夫のひとりが相談した精神科医によれば、
さおりには「境界性人格障害の疑い」があった。
その特徴には、気分や感情がめまぐるしく変わり、
激しく怒り、自殺のそぶりを繰り返して周囲に動揺を与える、
などがある。

そんなモンスターが学校関係者に吐き出す、
罵詈雑言の数々を目にする。
電話、ファックス、メール、あらゆる手段で抗議し、
恫喝し、存在しないいじめの事実を作り上げようとする。
それは抱えた病の典型症状なのだが、学校関係者たちは
そのことを知る由もない。

さおりが病院での受診を拒否したため、その心に巣食う
モンスターの存在は、ごく一部の身内のみに秘められてきたのである。
かくして社会に放たれたモンスターマザーは、高校や夫との間だけでなく、
職場、所属したママさんバレーボールチームなど、
出現する先々でトラブルを起こしていたことも判明する。

「おかあさんが やだ から死にます」
さて、いじめはあったのか? 
その疑問には司法の場が答えている。
さおりはすべての裁判において敗訴した。
さらに、裕太君のポケットにあった遺書。
そこに「おかあさんが やだ から死にます」、
つまり母が“嫌だ”と記されていたのだ。

さおりはこれを「おかあさんが ねた から死にます」と細工して、
マスコミに公開した。
その徹底したモンスターぶりは、まさに
筆舌に尽くしがたいものがある。
また、さおりの実母や実兄 なども登場するが、親族でさえ、
常軌を逸して暴走するモンスターをどうすることもできない様が
記されている。

そして友人、教師や児童相談所などが、
裕太君が暗に救済を求めるサインを発信していることに
気づくくだりも登場する。
しかしモンスターは、不登校を強制するという手段で
学校と裕太君を分断する。
そして、その末に悲劇は起こってしまったのである。

なぜ、裕太君を自殺に追い込む前に、だれもモンスターの暴走を
止められなかったのか。
自殺した裕太君が搬送された病院で、実兄がさおりを平手打ちし
、「お前が殺したようなものだ」としかるのを目撃されるのだが、
時すでに遅し、ではないか。

もし、さおりの心に棲みついたモンスターに対して、
周囲のだれか、あるいは地域社会が勇気を持って、
福祉もしくは医療などの必要な措置をもっと早くに講じていたなら…。
モンスターマザーも本書も、この世に
現れることはなかったのかもしれない。……

Author :町田光




『世界の凄い映像集』




一目惚れしたのは、私が先よ、手を出ししたのは、あなたが先よ


昨日という日は歴史、今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー

 

P R

    カビの生えない・きれいなお風呂
   
 
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
  どこか気兼ねなもらい風呂


Moto3
 

妄想物語

信じれば真実、疑えば妄想

時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる

昨日という日は歴史、
今日という日はプレゼント
明日という日はミステリー


Mousou2
 
 
 
 
  
  
 
 
 

25歳の時、仕事のストレスでOD(大量服薬)して失神して
目が覚めたら親が入院許可出しててそのまま入院になった

そして、精神病院の閉鎖病棟を退院して2ヶ月経過した
3週間に1回のペースで通院 3ヶ月で50万ちょっとかかった


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失神してたから覚えてないけど救急車来て肺炎にもかかってて
大変だったらしい

これからどうする予定?働く?
働いてたけど入院を機に退職した 今、病気を隠して
普通に就活するか障害者雇用で就活するか迷ってる最中だよ

      
精神病院の思い出
      
OD(大量服薬)して失神して次に目が覚めた時は病院のベッドだった
「今もまだ死にたいですか?」って医者に聞かれた
「はい、少し」って答えてしまった
自殺しようとしたと思われたらしいそれが運命の分かれ道だった

死にたいと答えてしまった俺は自殺志願者専用の対応をされてしまった
まずベッドに両手と腰をベルトで固定されて身動き取れない状態にされた
ちんちんに管を刺しておしっこも自動で採取されるようにされた
飯は3日くらい食べてないその間ずっと点滴で栄養補給してた
不思議とお腹はすかなかった

3日くらい拘束されてたまま医者から
「あなたは入院することになりました。親の許可も得ました」って言われた
そこから地獄の部屋へ移動させられた
その部屋は外から鍵がかかる扉が二重に設置してあって
密室で窓は頑丈で叩いても割れない
部屋の中はベッドとむき出しの便器だけ真っ白な部屋
「天井に監視カメラとマイクが付いてるから何か用があれば
天井に向かって叫んでくださいね」看護師にそう言われた

何もない密室 何もやる事がない
時間が流れるのが遅く感じた 一番きつかったのは食事
入院時に肺炎になってた俺はノドを心配されて
液体状の食べ物しか食べさせてもらえなかった
米をすりつぶしてペースト状にしたものおかずも同じ
吐きそうになるほど不味かった 固形物が食べたいですって
懇願してもなかなか食べさせてもらえなかった

その密室で3日くらい過ごした「なんでこんな事に」っていう後悔と
「映画みたいな部屋だな」「俺牢屋に入ってるみたい」っていう
非現実感が心の中にあった
3日後くらいに医者から
「そろそろ昼間はロビーで過ごしましょうか」って言われた
昼になると看護師が迎えに来てロビーと呼ばれる場所に
連れて行かれるそこには俺以外の患者が15人くらいくつろいでた
テレビも本棚もあった そこで気づいた
「みんなも俺と同じように隔離されて、同じ時間にこうして
ロビーに来てるんだ」

毎日昼間になるとロビーに連れていかれる
そこには他の人もいて、テレビもある これこそ人間社会だ
密室で過ごしてた俺にはそう思えた
医者に懇願した「もっとロビーで過ごす時間を増やしてください」
医者はOKしてくれた
「じゃあ入院部屋を変えましょうか」
部屋は俺が入ってる密室以外に、通常の入院部屋があるらしい
そっちはロビーと繋がってて自由にロビーへ出入りできるらしい
俺は刑務所の罪人から一般人へ昇格した気分になれた

無事に通常の部屋に移れた
そこはきれいなベッドのある個室で例の牢屋に比べれば
文化的な部屋だった
後に知ったが例の牢屋は保護室と呼ばれてて
自殺志願の気持ちの強い者や病棟で暴れた者、医者のいうことを
聞かない者が入れられる特別な部屋だったらしい

どおりで、例の牢屋にいた頃は夜中によく向かいの部屋から
叫び声やドアをガンガン殴る音が聞こえてた
とにもかくにも俺はようやく一般の病人として扱われるようになった
ロビーに行けばテレビも見れるしシャワーもある ほっとした

昼間ロビーに出入りするようになった俺に新しい文化がうまれた
他の患者との交流だ 色んな患者がいた
運良く仲良く慣れた同年代の人もいた
そいつから色々な情報を教えてもらえた どうやらこの病棟は
統合失調症の人間が主に集まる病棟であるとの事
俺は二重の意味で恐怖した
他の患者が怖く見えた事と、もうひとつは俺が医者から
統合失調症と思われているという事実だ

その人も統合失調症なの?

その人も統合失調症だった
その人は親から強引に入院させられたらしい
ある日普通に過ごしてたら家に突然救急車が来て
「乗ってください」と言われ戸惑っていたら
「病院で軽く注射するだけですから」と言われ乗って病院に来ると
本当に注射されて、そこで意識が混濁してふらふらになって
気づいたら例の牢屋に入れられてたらしい

色んな患者がいた
常に廊下を行ったり来たり歩いてる人
ずっと見てると10メートルくらいのルートをひたすら行ったり来たりしてて
壊れたゲームのキャラみたいだった
朝っぱらから上半身はだかでハイキックの練習をしている人
若い兄ちゃんだったがキックするたびにおなかがぷよぷよ揺れてたから
俺には面白く見えた
常にひとりごとを言ってる人、看護師にひたすら「聖書をください」と
懇願してる人
色々いたけど自分だけはまともだと自負してた

精神病患者の内、普通の人が7割 おかしい人が3割って感じだったな
基本的にみんな平和に過ごしてた
俺が一番感じ入った事は3ヶ月の入院の中で患者同士の
喧嘩を一度も見なかった事

統合失調症は医者が病名を断定できないときにつけることもあるけど
強制入院ってあるの ?
俺は親が許可した保護入院だったけど 別の患者は強制入院の人もいた
刑務所から来た人も何人かいた

病名は?  統合失調症の2級

ロビーにカウンターがあってそのカウンターの先が看護師達が
待機してる受付になってる
そこに向かって椅子を投げつけるおっさんもいた
でもそんな攻撃的なおっさんも患者同士でのもめごとはしなかった
「俺は世の中の陰謀に気づいてしまった。」って言ってる
2ちゃんでもよく見る陰謀史観者もいた
たまに冷蔵庫がブーンってなるじゃん あの現象を
「世の中の真実に気づいてしまった俺への警告音なんだ」って
真剣に話してる人もいた
その人は薬をちゃんと飲まずに看護師のいうことを聞かなかったから
例の牢屋(保護室)に異動させられてた

症状は?

信じてもらえないかもしれないけど症状は特に無い 不眠くらい

今はどうして生きてるの?自殺したいという思いは消えた?

普通の人と同じ気持で生きてる 死にたいとは思ってない  
閉鎖病棟っていうのはとにかく外界との接触が取れない
公衆電話があるんだけど医者が許可した相手にしか
電話しちゃいけない
俺の場合は母親だけには電話してもいいって言われた
病棟の外に出れないから保護室ほどじゃないにしても
「病棟」という名の大きな牢屋と例えてもいいと思った
事実、罪人になった気分だったし仲良くなった人と一緒に
脱走計画を話したりもしてた
もちろん病棟は外から鍵がかかってるから脱走計画なんて
ただの暇つぶしのもしも話なんだけど

新聞やテレビで時事的な情報には触れれるのか?

新聞とテレビはあった
テレビで街角の様子とか流れるたびに悔しかった
「俺は隔離されてるから街には出れないんだ」っていう無力感というか
疎外感がひどかった

ちなみに院内のテレビは録画機能がついてた
患者は6時起床21時就寝だから深夜番組はみんな録画して見てた
なぜか一番人気があったのはカウントダウンTV(音楽番組)だった
ロビーにはテレビが二つ用意されてたからチャンネル争いは特になかった
ただ、ネット禁止、ゲーム機禁止だったから俺は退屈で仕方なかった
看護師に相談したら院内の売店でラジオを買ってきてくれた
(この時点で俺は自分で売店に行くのも禁止されてるくらい
隔離されてたから)それ以来、ラジオが俺の生きがいになった

入院中、一番不安だったのは
「いつになれば退院できるのか」って事だった
それが予定不明なうちはもう一生出れないんじゃないかってくらい
心配だった
俺の病棟で一番長く入院してる子が1年半だった
その子は半年近く薬を飲むフリしてポケットに隠して捨てて
それがついに看護師にバレて長期入院してる子だった
そのエピソード聞いた時おれは何故か笑ってしまった

隔離されて閉じ込められてる被害者意識のせいで病院が敵に見えて
その病院に背いて薬を飲むフリしてた子をちょっと
「やるじゃん」って思ってしまったからだと思う
病棟には意外と外国人もいた
覚えてる限りで、白人2人黒人2人はいた
オーストラリア人の若い子はナルト(アニメ)のファンで
録画してあるナルトのオープニング曲を何度もリピートして見てた

俺が一番気に入ってた患者は26歳くらいの人で
何の脈絡もなくバンプ・オブ・チキンの歌を大声で歌い始める人だった
すごい音痴で、でもいつも堂々と突然歌い出すから面白かった
1回につき10秒くらいで歌い終わるからウザさも感じなかった

ちなみに入院中に母親に電話した時
「やばいよ、俺いつ退院できるか分からないよ」って言うと親も
「とりあえず入院に了承しちゃったのよ。そんなに長くなるとは
思わなかった」って謝られた
まあ謝るべきは俺の方なんだけどな

治るもん?

一般的には治らない病気って言われてるらしいね
症状を抑える事はできるから一生薬と付き合っていく事になるのかな
入院から2ヶ月くらい経った頃に俺は「院内自由に歩き回れる権利」を
30分限定でもらえた
鍵のかかった病棟のドアに患者が並んで、鍵をあけてもらって
一斉に外にでる 外と言っても院内の敷地内だけなんだが
俺は2ヶ月ぶりくらいに外の風を浴びて嬉しかった
ちょっと心が洗われた気がした

医者にも「もう死のうとする意思はない。病状も軽い」って伝わってた
これで問題なく散歩を繰り返せば、徐々にレベルが上がって
外出時間が1時間、2時間と増えていくらしい
俺は問題を起こさないで散歩を楽しむ決意をした

同じ自殺未遂の判定でも入院したのは、俺が過去にも大量服薬してる、
ある意味前科があったのと今回は両親が入院に承諾しちゃったからね
もともと通院してて、入院する半年くらい前に医者に
「幻聴が聞こえるかも」って一言だけ漏らしたことはある
それが記録されてて統合失調症にされたのかもしれない

二ヶ月半経った頃には俺は完全に優等生の患者になってた
医者に文句も言わないし散歩の時間もちゃんと守るし
特に問題も起こさないし医者から一時外出許可をもらえた
1泊だけ自宅に戻れる権利だ すごく嬉しかった

病院から出て1人で家に帰るんだけど、外を歩くのが
ひさびさだったせいでなんか違和感とかあった 
電車に乗るのもちょっと怖かった
でも無事に自宅に外泊できた
外泊報告シートっていう紙に、外泊中の過ごし方とか、
どう感じたかとかを書く欄があるんだけど
そこにも思い切り優等生的な書き方をした
外泊したらそのまま脱走して戻ってこなくなる患者もいるらしい
でも俺はちゃんと病院に戻った

一時外泊から病院に戻ったら医者の態度が変わってた
「もう大丈夫そうだから退院しちゃいましょうか?」って言われた
そんなあっさり退院できるのかと驚いた
優等生ぶってて良かったと思った
その言葉から5日後に本当に退院できた

以上
とりあえず今は自宅で普通に生活できてて嬉しい
もう二度と入院したくない

Author :名無しさん@おーぷん




ひとひらの雪 』



人の為(ため)と書いていつわり(偽)と読むんだねぇ
誰にだってあるんだよ、人には言えない苦しみが。
誰にだってあるんだよ、人には言えない悲しみが。
ただ、黙っているだけなんだよ、言えば、……



 


  P R


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入れてもらえば気持ちは良いが、
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Moto3
 

チャンネル・掲示板

チャンネル・掲示板

幸せがつづいても、不幸になるとは言えない
 不幸がつづいても、幸せが来るとは限らない


Mousou2 昨日という日は
歴史、
今日という日は
プレゼント
明日という日は
ミステリー 

  

 
子を持つも持たぬも人の宿命(さだめ)なり 
日に日に努めて行かむ
あなたの人生なんだから好きなように
お行きなさい(生きなさい)



『バレンタインの一日・・・』

2月14日。 バレンタイン・デーの朝。
大島圭吾は、いつものように出社した。
「いつものように」とはいうものの、ちょっとだけ気が高揚する。
(ひょっとして、ひょっとして)誰か自分のことを
気にかけてくれる女子社員が、 チョコレートを
くれるんじゃないかと期待してしまうのだ。
もちろん、そんなことは、ただの「期待」というより
「妄想」に過ぎなかった。
中学・高校・大学・・・と、「期待」と「失望」を繰り返してきた。
自分の席に着き、パソコンの電源を入れる。
「あーあー」圭吾は、喉に手を当てた。
どうも夕べ、深夜までビデオを見ていて、
夜更かししたのがいけなかったようだ。
湯冷めしたのかもしれない。
もう一度、「あーあー」と声を出してみる。
声が少しかれている。「エヘン、エヘン・・・あーあー」
かすれる声を絞りながら、コーヒーサーバーからお茶を入れる。
一口すすると、再び、「あーあー」そんな様子を見ていた
部長が声をかけてきた。
「なんだ、大島。風邪でもひいたのか?」
「いや、そんな大ごとじゃないんですが、
喉がいがらっぽくて・・・」 「
お前、今日はバレンタインだぞ。
彼女とデートしなくちゃいかんだろ」
「課長、知ってるくせに。そんなにモテるわけないでしょ」
「ハハハハッ! 一人淋しいバレンタインか。
残業なら付き合うゾ」圭吾は、半分冗談で答えた。
「じゃあ、朝まで付き合ってください」そう言い返しつつ、
圭吾は同じ部の新人・谷口奈菜の笑顔を思い浮かべていた。

一か月ほど前のことだ。
会議の資料作りに手間取り、二時過ぎにランチに出掛けた。
ササッとサンドイッチで済まそうと思って入った会社の
すぐ近くのスタバ。席に座ると、隣のテーブルに谷口奈菜がいた。
同じ部とはいえ、課が異なることもあり、
「おはよう」の挨拶程度しかしたことがない。
でも、ちょっとカワイイので気になっていた。
圭吾は、「よかったら、一緒に食べる?」と訊いた。
そんなことを気軽に口にした自分に驚いた。
今までの人生で、この一言がいつも言えたなら、
違う人生があったろうにとつくづく思うのだった。
すると、いとも簡単に、「はい」と言い、
バッグとカーデガンを持って、圭吾のテーブルに
移動してきたではないか。
またまた圭吾は驚いた。(ひょっとして・・・俺に気があるとか)
いやいや、そんなはずはない。そんなことを期待しちゃ、
後でガッカリするだけだ。
圭吾はそう言い聞かせた。しかし、思うよりも会話は弾んだ。
今、聞いている韓流ポップのこと。
大学時代のサークルのこと。
最近見つけたおいしいレストラン。コンビニの新商品。
相手は5つ年下だが、以外にも話が合った。
急いで食事をしようと思っていたのに、
1時間もゆっくりしてしまった。「いかん、この後、会議なんだ」
「あ、ホント、私も今日中にやらなきゃいけない仕事があるの」と言い、
慌てて店を出た。
普通の男なら、この後、デートにでも誘うのだろう。
「今日、お茶しない?」圭吾は、その一言が言えないまま、
一日、二日が過ぎ、 やがて何事もなかったかのように
風化してしまった。

朝礼が始まる直前、圭吾のいる販促部の女子社員が
揃って部屋に入ってきた。
ぞろぞろと、7人全員揃って。先頭にいるのは、
お局様・・・と言うと叱られるが、 一番年齢の上の村瀬法子。
一番後ろには、谷口奈菜がいた。

販促部では、バレンタインの恒例になっている。
「皆さん、日頃はたいへんお世話になっています。  
今年も、私たち女子から感謝の気持ちをこめて、  
男子諸君にチョコレートをプレゼントさせていただきます」
そう村瀬が言うと、「おおっ」という声が上がる。
女子社員が男性たちにチョコを配り始めた。
しかし、ちょっと様子がおかしい。
そのチョコはあまりにも小さかった。
キャンディ一粒の小袋の大きさだ。

「おいおい、毎年嬉しいけどさ、なんだか
今年のは小さ過ぎないか?」
部長が声を上げた。「あ、わかりましたか、部長」
「もらっておいて悪いが、幼稚園児じゃあるまいし」
「はい」 「ホワイトデーにはさ、豪勢なお返しをしてるじゃないか。
倍返しどころか、5倍返しで」村瀬法子がこれに答えた。
「あのですね、部長。今年はですね、ちょっと考えたんです。  
僅かばかりですけど、チョコをケチって、
その分を震災の被災者に寄付しようって」
「ほほう、そういうことか」
「それでですね。ホワイトデーに、けっこう高いお菓子を  
皆さんでプレゼントして下さるでしょ。  
それも止めてしまって、ホワイトデー募金にしたらどうでしょうか。  
今回の余ったお金と一緒に、私がまとめさせていただきます」
「いいアイデアだね。義理チョコ、義理ホワイトデーだ。  
そんな義理でも、世の中のために立つんなら・・・」
男性社員で異論を唱える者は一人もいなかった。
村瀬が言う。「これ、新人の奈菜のアイデアなんです。
彼女、友達が仙台にいるらしくて・・・。」
いいことだと思ったが、ちょっとだけガッカリしていた圭吾も、
そう聞いて何だか嬉しくなった。

圭吾は、朝礼が終わってカバンに書類を詰め込んだ。
これから、取引先との打ち合わせがある。
「エヘン、エヘン」さっきよりも、喉の調子が悪い。
冷めたコーヒーの残りで、行儀悪くガラガラッとうがいをした。
そこへ、隣の課から回覧を届けに来た谷口奈菜が、
「大島さん、これ舐めてください」と言い、差し出す。
圭吾は、無意識に手を差し出した。
それは、紙包みのキャンディーだった。
最近はあまり見かけない。コンビニでアメを買うと、
大袋の中には一つずつビニールに個別包装されたアメが入っている。
奈菜か差し出したのは、駄菓子屋さんで一粒ずつ
買ってきたようなアメだった。 イ
チゴ色の水玉模様一枚の紙の真ん中にアメを置き、
クルクルッと両端がよじってある。
「ありがとう」この前のことがあったので、圭吾は少し緊張して
受け取った。「行ってきます」
「行ってらっしゃい」アメをポケットに入れてトイレに行く。
そこには2年後輩の優太がいた。 さかんに咳をしている。
「どうした、風邪かよ」 「うがいしに来たんですけど、
喉をやられちゃって・・・」
「なんだよ。ガラガラじゃないか」
「これからプレゼンなんです。参りました」
圭吾は、無意識にポケットのアメを取り出していた。
「おい、これ舐めとけ」 「え?! あ、ありがとうございます」
圭吾は少しだけ後悔した。たった一粒のアメとはいえ、
ほのかに想いを寄せている奈菜がくれたものだ。
でも、優太は自分よりも喉の調子が悪い様子。 こ
のアメも役に立てば、奈菜も喜んでくれるに違いない。
もっとも、そんなことは、奈菜の知らぬところではあるが・・・。
その日は、忙しかった。
圭吾は取引先3か所を回り、クタクタになって戻ってきた。
だんだんと喉の具合が悪くなってきた。
途中のコンビニで、ハーブの入った喉アメを買った。
それに、ミネラルウォーターも買い、常に喉を湿らせていた。
よろよろっ、と会社に戻って席に着く。一つ、溜息。
「ああ、疲れた」そこへ、優太がやってきた。
「先輩」 「おお、プレゼンはどうだった?」
「どうだったじゃないですよ」
「どうしたんだ?上手くいかなかったのか」
優太は、何だか怒っている。「プレゼンはバッチシです。
喉はガラガラですけどね」
「なら、いいじゃないか」
「そうじゃないです、コレ!」そう言って優太が差し出したのは、
出掛ける前に圭吾がやったキャンディーだった。
「なんだよ、オレがせっかくやったのに、舐めなかったのかよ」
「こんなの舐められませよ」
「何言ってんだよ、せっかくお前のためにと思って」
そこまで言ったとき、優太はキャンディーを
圭吾の手に押し付けて行ってしまった。
「・・・変なヤツ」手のひらのキャンディーを、
圭吾は両手でルクルクッとむく。 ピンクのアメが出てきた。
それを口に中に放り込もうとして、気づいた。
何やら、細かい文字の書いた紙切れが入っていた。
「え?!」イチゴ色の包装の内側に、もう一枚の紙切れ。
それを取り出す。……もしよかったら、
仕事がおわった後、スタバで待ってますね……奈菜
慌てて、机の下に隠した。
振り返ると、優太が、口にチャックをする仕草をして
笑っていた。……

Author:志賀内泰弘


『大の仲良し 』

愛里(あいり)には、大の仲良しの友達がいる。
波照間(はてるま)京子だ。名前から想像するとおり、
両親が沖縄の出身。
父親の仕事の関係で小学生のときに転校してきた。
そして愛里と同じクラスになった。
二人は高校まで同じ学校に通っていたが、
卒業後は別々の道にすすんだ。
愛里は私立大学の経済学部を卒業し、中堅の商社に就職した。
京子は看護学校に入り、 今は看護師として
都内の病院で働いている。
お互いに生活のペースは違うが、今でもときどき会って話をする。
いや、正確に言うと、愛里がいつも話を聞いてもらっているのだ。
京子にはなんだか不思議なパワーがある。
いつもいつもニコニコしていて、そばにいるだけで癒される。
そして、口癖が「てーげー」と「なんくるないさー」。
「てーげー」とは、沖縄の方言で、
「大概」とか「だいたい」という意味である。
なんくるないさー」は、「なんとかなるさ」の意。
愛里が仕事で悩みがあると、すぐその晩に電話をする。
すると、京子は、「大丈夫さあ、なんくるないさー」と
励ましてくれる。
さらに、「愛里は真剣にものごとを考えすぎさあ。
てーげーにしたらいいよ」と言う。
それは、この何年かの間に、 何度も何度も
繰り返されてきた会話だった。
いや、愛里は、その言葉が聞きたくて電話をしているのだった。
京子の声を聞くだけで癒される。心がほっと温かくなる。
まだ行ったことはないが、 それは沖縄の
美しい海のような感じがしていた。
今日も愛里は、上司に怒られた。
昼ごろ、お得意先からの電話が入った。
課長宛だった。席を見ると姿がない。
たぶん、早めのランチに出掛けているのだろうと思った。
先方には、「折り返し電話をさせます」と言って切った。
普段なら、ちゃんと机の上に、「丸菱商会の遠藤様から電話あり。
下記の番号まで急ぎかけてください」とメモを残す。
ところが、その電話の直後に「社長を出せ!」と 怒
鳴るクレームのお客様が訪ねてきて、大騒ぎになった。
そのため、すっかり忘れて自分も食事に出掛けてしまったのだった。
オフィスに戻ると、課長はおかんむり。
先方から再度、電話が入ったのだった。
みんなの前で大声で怒られた。それだけならいい。
過去のミスまで、一つずつほじくり返された。
「すみません」としか言いようがない。
悪いのは自分だ。悲しくて悲しくて、涙があふれてきた。
そして、その晩、話を聞いてもらおうと思い、
京子に電話をした。

それはたぶん、100回目、いや200回目だったかもしれない。
「はい」 「あっ、キョーコ」 「う、うん」
愛里は、いつもと違う雰囲気に、 誤って違う人に
かけてしまったのではないかと思い、 ケータイの画面を見た。
たしかに、京子の電話番号だった。
いつもなら、「はい、京子です!愛ちゃん元気だった~」という
弾んだ声が響いてくる。
「どうしたの、キョーコ」 「うん」
いつもなら、それは京子が愛里にかける言葉だった。
「なんだか元気がないわねぇ」
「・・・」 「ねえ、キョーコったら」
電話の向こうで、かすかに鼻をすする音が聞こえた。
「え? キョーコ、泣いてるの」
「う、うん・・・」
「どうしたのよ」
「あのね、あのね・・・。健ちゃんがね・・・」
そう言われても、愛里にはパッと何のことだかわからなかった。
しかし、ふと京子の言う「健ちゃん」のことを思い出した。
京子が担当している病室の、小学3年生の
男の子の名前だということを。
「健ちゃんがね、健ちゃんがね・・・今日・・・亡くなった・・・」

そう言われて、京子はだんだんと記憶が甦ってきた。
たしか健ちゃんは不治の病で、
京子がずっと励ましてあげていた患者であることを。
京子は、どう答えていいのかわからなかった。
(何か言わなくちゃ)そう思えば思うほど、言葉が出てこない。
「キョーコ、辛いねぇ、辛いねぇ」ケータイに向かって、
そう発した次の瞬間だった。
「あ、あ、あ~ん」今まで、一度も聞いたことのない大きな声で、
京子が泣きじゃくるのが聞こえた。

「キョーコ、キョーコ、いい、いい、 今からアパートへ行くからね。
しっかりしてよ。いいわね」そう言うと愛里は、
財布だけ手にして通りへと飛び出していた。
空からは白いものが舞っていたが、
薄いセーター一枚であることにも 気が付かず、
タクシーに手を上げた。
「待っててよ、キョーコ!」愛里は、課長に叱られて
辛かったことなど忘れていた。
「運転手さん、早く~」確かにではない。しっかりとではない。
しかし、愛里はタクシーの座席で前のめりになって前を見ながら、
ぼんやり、そう、ぼんやりと思った。
人に甘える人間よりも、甘えられる人間になろうと。……

Author:志賀内泰弘




 『涙のしずく』




時は絶えず流れ、
 今、微笑む花も、明日には枯れる


添うて苦労は覚悟だけれど、添わぬ先から、この苦労

 
P R
    カビの生えない・きれいなお風呂
   
お風呂物語

入れてもらえば気持ちは良いが、
どこか気兼ねなもらい風呂

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